28
――春の陽だまりが差し込む午後。
ベランダからやさしい風が吹き込んでいた。
千紗は、いつものように湯呑みを手にしていた。
「……あの子、ちゃんとご飯食べてるかしら」
リビングの写真立ての中には、結婚式の日の彩とその夫……そして生まれたばかりの頃の孫の写真。
その隣で新聞を読んでいた大地が、ふっと笑う。
「心配性だな。お前に似たんだろ、あの真面目さは。」
「大地さんに決まってるでしょ。あの頑固さ。」
「……あぁ、否定できねぇな。」
二人の笑い声が、穏やかな午後に溶けていった。
彩は大地に似て、何事にも真剣で融通が利かないところがある。
反抗期の頃は、父娘でよく衝突した。
「どうして分かってくれないの!」
「分かってる。だから言ってるんだ!」
そんな声が家中に響くたび、千紗は困ったように微笑みながら間に入った。
「ほら、二人とも落ち着いて。似た者同士なんだから………」
その一言で、ふたりは決まって同じように黙り込み、少ししてから気まずく笑う。
季節が巡り、彩は成長し、大学を経て医者になった。そして結婚した。
その後千紗と大地にとって初めての孫が生まれる。
男の子。名は大樹。
その小さな手を握りしめた大地は困ったように優しく笑って
「……こいつ、俺にそっくりだな」とつぶやく。
「そうね。ほんとそっくり」
千紗は優しく笑いながら、孫の頬を撫でた。
あの日、命を授かったと知った時の感情が蘇る。
――怖いほど幸せで、愛しい。
大地と千沙の二人、生きていけるならそれだけでよかった。
夕方……食卓に湯気を立てる味噌汁を並べながら、千紗がふと立ち上がろうとした時―
「……あれ?」
手にしていたお椀が落ち、陶器の割れる音が響く。
「千紗?」
大地が振り向いた瞬間、彼女の身体がゆっくりと傾いだ。
時間が歪む。
駆け寄る音、椅子が倒れる音。
そのすべてが遠く感じた。
「千紗! 千紗、しっかりしろ!」
抱きとめた腕の中で、彼女の体温が引いていく気がした。
微かに動いた唇が、何かを言おうとしたように見えた。
――けれど、言葉は、音にならなかった。
桜の花びらが静かに舞っていた…………




