27
――白いチャペルの待合室。
柔らかな朝の光が、ステンドグラスを通って床に色の模様を落とす。
純白のヴェールをかけた雪絵は、その光に照らされながら鏡の前で深く息を吐いた。
「…………やっと……」
呟いた声は微笑みは穏やかだった。
その時――
「ゆきちゃーん!」
ドレス姿の4歳の女の子が、スカートを揺らしながら駆け寄ってくる。
淡い桜色のドレス、胸元にはリボン。髪には白い花のカチューシャ。
その姿は、まるで小さな天使のようだった。
「ゆきちゃん、おたんじょうびおめでとうございます!」
無邪気な声に、雪絵は思わず吹き出した。
「ふふ……彩、違うのよ。今日はね、お誕生日じゃなくて――」
その言葉を引き継ぐように、大地が現れた。
焦げ茶のスーツに身を包み、しっかりとした腕で彩を抱き上げる。
「言ったろ?今日は結婚式の日だ。だから“おめでとう”は雪絵ちゃんと隼人さんに言うんだぞ。」
「けっこんしきのおめでとう?」
彩は大きな瞳を瞬かせ、父の顔を見上げる。
「そう。ふたりが幸せになりますように、っておめでとう。」
千沙が近づき、そっと彩の頬を撫でた。
彼女の指先には、母としての優しさがにじんでいた。
「彩。今日ゆきちゃんと隼人さんのために頑張るんでしょ?リングガールのお仕事。」
「うんっ!」
彩は小さく拳を握って笑った。
その笑顔に、雪絵の胸がじんわりと温かくなる。
―あの日、誰もが傷を抱えていた。
愛されなかった過去を持つ者も、失う痛みを知る者も。
けれど今、ここには確かに「愛して、愛される」姿があった。
――入場前の扉の外で高瀬隼人と雪絵が並んで始まりを待っていた。
白いカーテンの隙間から差す光が、ふたりの頬をやさしく照らしていた。
静かな喧噪の合間、雪絵と隼人は、深く息をついた。
「……彩は絆の証だな。」
その言葉に雪絵が目を瞬く。
「千沙と大地さんの…そして綾音と橙真の」
彼女は小さく笑い口元を押さえる。
「まさか“あや”と名付けるとは……本当に、あの二人らしいわね。」
ふと目が合う。
視線の奥に、同じ時を歩いてきた者だけが知る、深い理解があった。
二人は堪えきれず、ふっと笑い合う。
その笑いは涙を含んでいて、懐かしくも温かい。
やがて雪絵が隼人の腕にそっと腕を絡ませ、微笑んだ。
「ねぇ……いつ気づいたの、“詩織”?」
隼人は目を細めて、口元に柔らかな笑みを浮かべた。
「最初からだよ。お前が入社してすぐ分かってた。」
少し照れくさそうに肩をすくめる。
「でも、お前も気づいてただろ?“雪文”。」
雪絵はふっと息を漏らして笑った。
その名――互いが過去に背負っていた名前。
秘密と約束の中で交わされた、二人だけの暗号。
けれど、それで呼び合うのは今日が最初で最後。
長い年月を経て、ようやく迎えたこの日。
「……もう“詩織”も“雪文”も、今日でおしまいね。」
雪絵はその光の中で、小さく囁く。
「――さぁ、新しい物語を、ふたりで。」
隼人は頷き、その手を取った。
その瞬間、過去の名も傷も、静かに幕を閉じた。
鐘の音が鳴り響く。
白い扉の向こうでは、祝福の光が差し込んでいた。
そして小さな手が、指輪を乗せたクッションを抱えて歩き出す。
新しい未来へと続く道を、彩の小さな足音がそっと刻んでいった。




