18(千沙目線)
休日の昼下がり――
いつもの三人との定例女子会。
窓の外は夏の光が街を照らしているのに―胸の中は曇り空のように重かった。
雪絵、愛、佳乃。
高校の頃からずっと続いている仲間。
心配そうな視線が痛いほど優しい。
雪絵が、先に口を開いた。
「……何があったの?」
その声があまりにまっすぐで、
何かがほどけたみたいに喉の奥が熱くなった。
愛も眉を寄せて、
「うん……疲れてるっていうより、やつれてるよ。寝てないでしょ?」
佳乃がそっと手を伸ばす。
「大丈夫ですか? 無理してない?」
――笑わなきゃ。
そう思ったのに、唇が震えて、声にならなかった。
「……ごめんね……」
言葉の途中で、涙がこぼれた。
止めようとしても止まらない。
溢れる涙が、ずっと押し込めていた恐怖を暴くように頬を伝う。
「……あの人が……」
喉が詰まって、呼吸が浅くなる。
やっと絞り出した言葉は、かすれていた。
「……浩正さんが……きたの」
ガタン――
雪絵が勢いよく立ち上がった。
その瞳は怒りで燃えていて、拳が震えている。
「……は?」
愛と佳乃が息を呑んだ。
浩正。
あの男の名前が、この空気を一瞬で凍らせた。
千沙の元恋人。
優しさの仮面を被りながら
暴力で、言葉で、自由を奪って―最後には千沙を風俗に売ろうとした。
その地獄のような場所から救い出してくれたのが、雪絵だった。
泣きながら、千沙を抱きしめて逃げ出した日の夜。
あの時の雨の匂いまで、今も鮮明に覚えている。
「どこで見たの? いつ?」
雪絵の声が低く震えている。
怒りを押し殺しているその目が、かつて浩正を警察に突きだそうとしたときと同じだった。
千沙は小さく首を振る。
「……先週。仕事帰り、駅の前で……“久しぶり”って……声かけられたの……」
手が震えて、カップのコーヒーが少し零れた。
愛と佳乃が息を呑む。
(どうして……今さら……)
胸の奥で、何かが軋む音がした。
隣にいるはずの大地の顔が浮かんで、
怖さと同時に、守られたいという願いが込み上げた。
雪絵の拳が、テーブルの上で小さく鳴った。
「……許さない。あの男、まだ千沙に近づいてるなんて……」
その言葉は、冷たくて鋭く、闇を切り裂く刃のようだった。
⸻
千沙はこの一週間、逃げるように遠回りをして、タクシーで帰宅していた。
胸の奥でずっと繰り返す思い――
「…………大地さんに…知られたくない。あんな人と付き合ってたこと。嫌われたら…」
小さく肩を震わせながら、カフェの椅子に座り込む千沙を見つめる雪絵。
その瞳には浩正に対する怒りと千沙への優しさが入り混じっていた。
雪絵「………嫌ったりしないわよ。大丈夫だから………藤宮さんにも話しなさい。あと明日からは私が一緒に帰るから」
千沙は視線を落とす。
「そんなの悪いよ…雪絵ちゃんの営業成績落ちたら…」
雪絵は小さく笑い、肩をぽんと叩く。
「馬鹿なこと言わないで。そんな事でおちることなんてないくらい私優秀よ」
愛もにっこりと微笑んで言った。
「私、看護師だから夜勤明けなら自由効くもの」
佳乃も同意する。
「エステサロンって研修なければ残業ないから。遅くなる日は私が迎えに行くね。」
千沙は目に光る涙を抑えながら、震える声で答えた。
「みんな……………ありがとう」
胸の奥にじんわりと温かいものが広がる。
こんなにも、自分を守ってくれる仲間がいる――その事実が、どれほど心強いか。
千沙は深く息を吸い込み、涙をそっとぬぐった。
その瞬間、千沙の目からまたぽろぽろと涙がこぼれた。
震える肩を、雪絵がそっと抱き寄せる。
「もう一人で抱えないで。私たち、あんたの味方なんだから」
「怖かったでしょ。でも、もう大丈夫。浩正なんて、私たちが絶対に近づけさせない」と愛が笑う。
「そうよ。警察に言うのも一つの手だし、会社に来るようなら私たちが間に入る。ね?」佳乃が千沙の手を握る。
千沙は、涙をぬぐいながら胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……ありがとう。本当に、ありがとう……みんながいてくれてよかった」
三人が頷く。
「泣くのは今日だけ。明日からはまた笑って。藤宮さんに隠すことなんてない、あんたは何も悪くないんだから」
「そうよ、過去のことより今どう生きてるかが大事」
「うん、むしろ話した方が、藤宮さん…もっと千沙ちゃんを守ろうって思うと思う」
千沙は小さく笑った。
その笑顔はまだ少し痛々しかったけれど、確かに前を向こうとしていた。




