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「夕飯どうする?相談したいってLINE来たけど…」
駅へ向かう途中大地が千沙に確認する。
夜の風が少しひんやりしていて、二人の手を繋いだ温もりがより温かく感じた。
千沙はふわっと笑うと
「今日はお総菜買って行きませんか?
でも明日は私が作ります。私、明日お休みなんです。」
その言葉を聞いた瞬間――
大地の思考が一瞬止まった。
(休み……?明日、休み……)
彼女の作る料理を食べたい――
その光景が自然に頭に浮かんだ。
一緒にテーブルを囲んで、笑いながら話す彼女の姿。
それだけで心が満たされていく。
(俺も……取るか。有給。どうせ部長に取れって言われてたし。)
スケジュールが頭に浮かぶ。
プロジェクトはひと段落した。
部下たちも問題なく回してくれる。
――なら、いいだろ。
「じゃあ……明日、一緒に過ごしてもいいか?」
千沙が少し驚いたように顔を上げる。
けれどすぐに、目を細めて笑った。
「……はい。うれしいです。」
その笑顔に、もうすべての理屈がどうでもよくなる。
この時間が続くなら、仕事も、世界も、今は関係ない。
夜風が二人の間をすり抜けていく。
大地は心の中で静かに明日の休みを決意した。
中目黒の駅前のスーパーの袋を片手に、大地は千沙の隣を歩く。
惣菜売り場であれこれ選ぶ彼女の姿が、思っていた以上に楽しそうで―
袋の中には、バケットとサラダ、アクアパッツァ風の魚料理、そして千沙が選んだ小さなデザート。
「これ、食後に一緒に食べましょうね」
そんな言葉さえ、どうしようもなく愛おしい。
中目黒の川沿いを歩きながら、夜風が頬を撫でる。
目黒川のライトアップが水面に映り、街の喧騒が遠く感じられた。
「……この辺り、春になったら桜綺麗ですよね」
「あぁ…春になったら桜一緒にみよう」
やがてマンションの前に着く。
白い外壁のモダンな建物。
エントランスにはオートロックと観葉植物が並ぶ。
カードキーで部屋に入ると、柔らかな間接照明が灯る。リビングの奥には観葉植物、グレーのソファと大きなテレビ。
物は少なく必要な仕事道具だけがテーブルに並んでいた。
「盛りつけ一緒にやろっか」
大地がそう言うと、千沙はすぐに笑顔を見せ、
「はい」と頷いた。
二人でキッチンに並び、惣菜をお皿に移していく。
ガラスの器にサラダを盛りつけ、大地が魚料理を温め、千沙が盛りつけを整える。
肩がふと触れた瞬間、どちらともなく視線を逸らして笑った。
「ふふ、でも綺麗に並べたらお店みたいですよ」
「そうだな。美味しそうだ」
そんな何気ない会話が、どうしてこんなにも心を満たすんだろう。
ただの夕食。
なのにカウンターテーブルに2人並んで食べる食事が人生で唯一の帰る場所だと感じた。
食後、千沙が食器を片付けるあいだ、大地は紅茶を淹れた。
琥珀色の液体から湯気が立ちのぼる。
ソファーでその香りに包まれながら、彼はゆっくり息を整え、テーブル越しに彼女と向き合った。
「……千沙」
呼ばれた名に、彼女は少しだけ背筋を伸ばす。
大地は紅茶のカップを置き、まっすぐに見つめた。
「君が好きだ」
一瞬、空気が止まった。
「できれば……できればもう、このまま一緒に住みたい。結婚をしてほしいって思ってる」
言葉にしてから、自分でも可笑しいと思う。
(バカげてる。会ってまだ数日。おままごとみたいな話だ)
それでも、胸の奥で何かが確かに叫んでいた。
――この人だけは、手放したくない。
千沙はしばらく黙っていた。
けれど、静かに息を吸い込むと、真っ直ぐに大地を見つめ返した。
「……私」
小さな声。けれど震えてはいなかった。
「私、大地さんの側にいたいです。
1日でも離れるの、不安で……わからないけど、あなたじゃなきゃ嫌で」
その言葉を聞いた瞬間、大地の胸の奥が熱で満たされた。
紅茶の香りと、彼女の声。
そのすべてが、確かに現実で―夢なんかじゃないと感じられた。
(……もう、この人しか見えない)
言葉にならない思いが、ただ静かに二人の間を満たしていった。




