記憶消去サービス
「くそっ、おかしい。これは絶対、あれのせいだ……!」
――二十四時間三百六十五日いつでも鍛えられる! プラチナジム! 今なら入会特典でプロテイン一か月分無料!
うるさい、黙れ。ああ、確かに今、おれは走っている。だが、筋トレ目的じゃない……!
――ランニングシューズ『快速』を履けば、君もクラスで一番だ!
ふざけるな、それは子供用だろう! おれはもうすぐ三十だぞ!
――スーツを新調しませんか? 三十代のワンランク上の男へ。スーツは佐山。
黙れ黙れ黙れ! 全部、あれのせいだ。こうなるとわかっていたら、絶対に受けなかった。あの“記憶消去サービス”なんてものは……!
『あなたの頭の中にある嫌な記憶、それって消せますよ? 嫌な記憶は消してスッキリ爽快! 今ならお得なプランあり! 電話相談も受付中!』
という広告にまんまと釣られて、おれは記憶消去サービス『メモリーフレッシュ』に申し込んだ。
脳科学者を名乗る男の説明によると、施術は拍子抜けするほど簡単で、椅子に座って奇妙なヘルメットを頭にかぶるだけ。嫌な記憶だけをピンポイントで消せるという。
「なるほど、子供の頃に――してしまったんですね」
「はい……たまに、ふとした瞬間に思い出してしまうんですよね。他にも恥ずかしい失敗とか、人にしてしまったこととか。たとえば――とか――など、それから――で、あああ……」
「大丈夫です、大丈夫。順番に一つずつ消していきましょう。今のように、その記憶を具体的に思い浮かべてください。すると、こちらのモニターに映し出されます。あとはそれを、浮かび上がった汚れを拭き取るように消していくだけ。他の記憶は一切見られませんので、ご安心ください」
穏やかで丁寧な口調に、おれはすっかり安心して施術を受けてしまった。こうして思い返してみても、何を消したのかまったく思い出せない。つまり施術は成功したのだろう。施術のあと、頭は驚くほど軽くなって、過去に縛られない生活は想像以上に快適だった。
だが、それから数日後、問題が起きた。
出勤前、テレビをつけ、片手間に眺めていたときだった。「犬」という単語を耳にした瞬間、脳内に突然、真っ赤なロゴとともに声が響き渡ったのだ。
『ワンちゃんのおやつにはコレ! コレ! コレ! ジュルジュルジュール!』
いったいなんだ今の……? わけがわからず、おれはしばらくその場を動けなかった。
だが待ってみても何も起きず、時間もないので、とりあえず洗濯機を回しておこうと洗面所へ向かい、洗剤を手に取った。だがその瞬間、今度は頭の中に『ルー、ルルルルー! 柔軟剤ならワンダホー! 香りが芯まで届く!』と、またしてもメロディと映像が脳裏に流れたのだ。
その後も謎の現象は次々と襲ってきた。
職場で同僚が結婚の話題を出しただけで、ポップな音楽とともにブライダル情報誌の宣伝が頭に流れ、「実は転職を考えてるんだ」と別の同期が話しているのを耳にしたら、『職探しはビジリサーチ』と、したり顔の女が人差し指を立てる映像が頭に流れた。
これはどう考えても、あの施術のせいだ。そう確信したおれは『メモリーフレッシュ』に乗り込み、あの担当の男に詰め寄った。
「ああ、それは激安プランをご利用の方に付帯している広告機能ですね」
「広告機能……?」
「ええ、特定のワードを耳にすると、自動で関連広告が再生される仕組みになっています。記憶消去でできた余白に広告を挿入することでコストを抑えているんですよ。良い活用法でしょう?」
男はこともなげにそう答えた。
「そ、そんなの聞いてないぞ!」
「いえいえ、ちゃんと事前にご説明しましたし、同意書にも明記しております」
「ええ……まあ、聞き流していたかもしれないが……」
「もちろん、生活に支障が出ないように、再生のタイミングは調整されてます。運転中や会議中など、集中しているときには流れない仕組みになっているんですよ」
――タイーヤ、タイヤタイヤ! タイヤなら! スーパーカウボーイ!
「……それ、おれが気を抜いた生活をしてるって言いたいんですか?」
――リラクゼーションなら、ココニコ~! 年会費? 今ならゼ~ロ~!
「だあああっ!」
「まあまあ、落ち着いてください」
「うるさい! ほら、あれだ、訴えてやろうか……」
「一日の再生回数には上限がありますし、普通はそこまで気にならないはずなんですが……うーん、どうもプランが合ってなかったみたいですね。プレミアムプランにアップグレードすれば、広告は一切流れない上に、より精度の高い記憶処理も可能ですよ。しかも、今なら初月無料です」
「えっ……それはいいですね! 今すぐ加入します!」
おれは即答した。なんだ、あっけなく解決してしまったじゃないか。あんなに悩んでいたのが馬鹿みたいだ。やっぱり『メモリーフレッシュ』は最高のサービスだな。しかも初月無料なんて、いいね最高だ。これからも嫌なことがあれば、すぐに記憶を消しに来よう。この先、嫌な思い出と無縁でいられると考えれば、プレミアムプランなんて全然安い。保険に入るようなものだ。絶対プレミアムプランに加入するべきだな。迷ってるやつがいたら、おれが背中を押してやろう。ああ、それがいい。
……でも、なんでだろう。急にプレミアムプランに加入したくてたまらなくなった。
いや、最高だからに決まってるじゃないか。まず響きがいいしな。プレミアム、プレミアム、プレミアム…………。