第6話「夜明けの決意」
――レグニッツ離宮、裏庭。月明かりの下。
「……あなた、ほんとうに、ずっとそうしてるつもり?」
ゾフィの声は、笑っているようで、泣いているようでもあった。
「また黙って、また私を見てるのね……!
黙って、私を嫁に出して、黙って、戻ってきた私を見下ろして……」
「私がどう生きてきたか、知らないでしょう? 知ろうともしなかったでしょう?」
罵倒だった。
痛みの残響だった。
それでも彼は、立ち尽くしていた。昔と同じように。
「……私、もう消えてしまいたいの」
ゾフィが握っていた電報が、くしゃりと音を立てた。
月明かりにさらされたその手から――次の瞬間。
その紙を、カールが奪い取った。
そして、何のためらいもなく、指先で破り、闇に投げ捨てた。
次に来たのは、予想できない動きだった。
前触れもなく、抱きしめられた。
力強く、しかし恐ろしく震える腕だった。
耳元に、震える声が落ちた。
「いくな……。いや、行くと言っても、絶対にいかせない」
ゾフィは息を呑んだ。
カールの声が、こんなに近くで聞こえるのは、何年ぶりだっただろう。
「……なにを言ってるの、カール……?」
戸惑いの声に、返ってきたのは、もうひとつの、決壊した声だった。
「すまなかった……」
「三年前、ああするしか君を守れなかった。
僕の力があまりにも弱すぎて、何ひとつ、守れなかった……全部、僕のエゴだった」
抱きしめる手が強くなる。震えが伝わる。
その震えは、まるで彼の心が、ようやく崩れた証のようだった。
「君に――生きていてほしかったんだ。
あのとき、これを言えば君を追い詰めてしまうとわかっていたから……だから、言えなかった。
でも今なら、言える」
カールは息を吸った。そして、告げた。
「三年前、僕はフェリシアを選んだんじゃない。
――君を選んだんだ、ゾフィ」
ゾフィは目を見開いた。
その言葉を、ただ信じたかった。
けれど、あまりにも遅すぎた言葉だった。
「エイデンにフェリシアを渡していたら、あの男は女に甘い。
彼女を手に入れた代償に、ベルンシュタインごと呑み込もうとしたはずだ。
でもアーヴィルには、抵抗する力があった。僕たちは、戦える位置にいた。
でも、ベルンシュタインは違った。
この国は、あのときヴァルツが攻めてきたら、一夜で終わっていた」
カールの声は低く、しかし確信に満ちていた。
「宰相シュトラウスはその未来を読んでいた。けれど、
“あの男に君を嫁がせること”に、どうしても罪悪感を拭えなかった」
「……あなたが、それを押し切ったの?」
「僕がその壁を壊した。
国の延命のため――そして、君の命を守るために」
その理由がどれほど理屈で覆われていようと、
それはただの――“言い訳”だった。
だから彼は、言い切ったあと、顔を伏せて言った。
「本当に……ごめん、ゾフィ」
「僕が無力だった。無力で、卑怯だった。……すべては僕の罪だ」
ゾフィの目に、初めて涙が滲んだ。
ようやく届いた言葉は、あまりにも重たく、あまりにも遅すぎた。
けれど、その腕の震えが、本物の痛みだと告げていた。
カールは、静かに囁いた。
「……けれど、今度は、ためらわない」
「もう迷わない。周囲のことも、国のことも、何もかも気にしない」
「君を、このまま攫っていく」
風が吹いた。
ザクロの枝が、ふたりの頭上で揺れた。