第4話「ザクロの下で」
――三年前。ベルンシュタイン・レグニッツ離宮の裏庭にて。
ザクロの花が、しだれていた。
紅い花弁が風にゆれ、どこか燃えさしのように見える。
この木の下で、かつて彼女は初めて「未来」というものを口にした。
だが今、その未来は手紙一枚で奪われようとしていた。
ゾフィは、先に立っていた。
自分の意思で選んだ足元――それが、かつてのふたりの密会場所であることに、皮肉めいた意味を感じながら。
遅れて足音が近づいてくる。
振り返らなくてもわかった。
あの歩幅、あの気配。覚えている。忘れたくても、忘れられるはずがなかった。
「……来てくれると思わなかった」
言葉は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
カールは応えなかった。ただ、彼女の前に立つと、ほんの少しだけ眉をひそめた。
その顔を見て、ゾフィの中の感情が決壊した。
「どうして――あなただったの?」
掠れた声が、自分でもわかるほど怒りと悲しみに濡れていた。
「他の誰でもない、あなたが……どうして私を“選んだ”の?」
「……」
「フェリシアじゃなかったのね。私の方が“都合がよかった”。
皇位継承権も低くて、大陸の誰にも注目されていなくて、外交の“布石”にはちょうどいい――そんな女だったのね、私は」
赤い花が一輪、ひらりと落ちた。
「私、信じてたの。
たとえ何があっても、あなたは“私の味方でいてくれる”って。
でもあなたは、何も言わなかった。私の前では何も――何ひとつ、言ってくれなかった」
カールは、なお黙っていた。
その沈黙が、何よりもゾフィの心を刺した。
「言い訳もできないの?」
彼の視線がわずかに揺れる。
だが、言葉にはならなかった。
ゾフィはゆっくりと近づき、たった一歩ぶんの距離に立った。
睫毛を伏せる。唇が、微かに震える。
「私は……あなたと生きたかった。
たとえどんな形でも、あなたのそばにいられるなら、それでいいって思ってた。
でも、あなたは私を“使った”。
それだけは、きっと、一生忘れられない」
ザクロの枝が揺れ、二人の間に赤い影を落とす。
カールは、何かを言いかけた。
けれど、それを飲み込むように、ただ一度、目を閉じた。
「……すまなかった」
たったひと言。
それだけを残して、彼は背を向けた。
ゾフィはその背を追わなかった。
その場に立ち尽くし、じっと木の幹を見上げていた。
あんなに美しかった花が、今はただ、冷たい紅にしか見えない。
(この人は、私を見送ることすら、選ばなかったのね)
風が吹いた。
ザクロの花が、音もなく、地に落ちた。