第2話「秘された日々」
――三年前。ベルンシュタイン王都、秋の散策路にて。
落葉の舞う石畳の上を、彼女は音を立てずに歩いていた。
その後ろから、わざとらしく足音を響かせて追ってくる男がひとり。
「……つけられているような気がするわ」
ゾフィが呟くと、間髪入れずに声が返った。
「まさか。高貴な皇女殿下を尾行するような不届き者が、この街にいるとでも?」
「いるのよ、すぐそこに。あなたっていう、笑い方だけやたら紳士なストーカーが」
カール・フォン・アッシャースレーベンは、肩をすくめて笑った。
彼女の視線に追いついて、隣に並ぶ。そのまま、ふたり並んで歩く。
「それにしても、今日はずいぶん早かったな。約束は日が暮れてからのはずだったけど?」
「気が変わったの。もう少しだけ、あなたと話したくなったのよ」
秋の風がふたりの髪をなで、ゾフィはそのままカールの袖口を指でつまんだ。
「ねえ、私、あなたと一緒にいるときが一番“皇女”じゃなくなれる気がするの」
「……それは僕にとって、最上級の褒め言葉だな」
「でも、ねえカール。あなたの妹が、世界で一番美しいっていうのはほんと?」
「まあ、書類上は。僕の中では二番目だけど」
「一番目は?」
「……今、目の前にいる君」
ゾフィはあきれたように肩をすくめたが、笑いはこぼれていた。
この人は、いつだって大事なところでふざける。だがそのふざけ方は、なぜか心を溶かしてしまう。
ふたりがよく会っていたのは、宮殿の中庭でも、公式の晩餐でもなかった。
人の来ない読書室、離宮の裏手にある温室の小道、そして――秘密のザクロの木の下。
木の幹に背中を預け、並んで腰かけたときの、あの沈黙の心地よさ。
ゾフィは、自分の人生に“愛される自由”があったことを、初めて信じかけていた。
「ねえ、もし――私がただの娘だったら、あなたは嫁にほしいって言ってくれる?」
「何をいまさら」
カールは笑いながら、そっとゾフィの髪に指を通した。
「君が皇女だろうが、農家の娘だろうが、僕にとっては変わらない。
――ただ、もう少し会う口実がほしいけどね」
「たとえば?」
「婚約とか、どう?」
その夜、ゾフィは初めて“未来”を思い描いた。
彼と並んで生きていく日々――公務も、式典も、名家のしがらみも、なんだか全部、越えられる気がしていた。