雪のトンネルを抜けて、あなたに会いにいく
暖冬だと思っていたら、急に寒くなり、それどころか雪がちらつきはじめた。
「車で来ればよかったな……」
呟いても仕方がない。歩いて帰るしか選択肢はないのだから。
田舎の田んぼを抜ける道はまっすぐ続いている。晴れていれば地平線まで見えそうなぐらいなのに、雪が視界を閉ざすと別世界だった。
ただ無人販売所へ大根を買いにいっただけなのに、気分はちょっとした冒険になってしまった。
どうせアパートの部屋にはねこすら待ってはいない。心配するひとはいないので、私はゆっくりゆっくり、足を滑らせて帰れなくなることだけを気をつけながら、まっすぐ続く道路の上を歩いた。
子どもの作った雪だるまさえひとつもなかった。とはいえ雪うさぎが跳ねるのを見るほどには自然の中でもない。
「無事に帰って鶏大根作らなきゃ」
ビールは冷蔵庫で冷えていた。
ご飯も炊けているし、からしもある。あとは大根がないだけなのだった。
ほんとうはべつに帰れなくてもよかった。
誰もいない部屋に私が住まなくなっても、どうでもいいと思えた。
大切なひとが、先月亡くなった。
そのひとがいない世界に私は未練などなかったが、それでも生きていた。なぜ、生きているのかと聞かれたら、惰性だとしか答えられなかった。
食欲があるのが恥ずかしい。どうして私はあのひとがいなくなった世界でごはんを食べ、ビールを飲んで、幸せそうに寛いでいるのだろう。
この雪がもっと激しくなって、夜を凍りつかせ、私を楽にしてくれればいいと願いながらも、私の足は前へと動き続けている。
雪が壁のようになりはじめた。吹雪が足元の道すら隠しはじめた。
私はジャンパーのフードをかぶり、大根を胸に抱きしめて、歩き続けた。もう、『寒い』ということ以外、何も考えられなくなった。
雪が渦を巻きはじめた。
私を中心に、外へ、外へと広がっていく。
やがてそれはトンネルになり、空洞となった。私は顔をあげてみた。
白い吹雪が私を取り囲む壁となっていた。行く先は暗いが、周りは白さでほんのりと明るかった。
トンネルの出口に春が見えた。
あの春の穏やかな日、病床で笑っていたあのひとの姿が見える。
私は背筋を伸ばし、目をおおきく見瞠いて、それを見た。遠く、遠くにそれは見えながら、はっきりと私のすぐ側にあった。
手を伸ばし、駆け出すと、私の周りに花は咲き乱れ、天使の歌声のようなものが聴こえはじめる。
自分の顔が笑っているのがわかった。口元によだれをつけながら、私はお母さんの膝に顔を埋めようと、手を伸ばして走った。
「来てはだめ」
お母さんがたしなめるように、ベッドの上で首を横に振った。
「あなたはまだ、来てはだめ」
気がつくと、周りはまた白い世界だった。
だんだんと吹雪がやんでいく。
まだお昼だった。仕事をしていない私は昼間からビールを飲もうとしていたのだと気がついた。
「ごめんね、お母さん……。側にいてあげられなかった」
呟くと、私はまたゆっくりと、歩きはじめた。
「私、生きるから。……生きていくから。そのほうがお母さんも嬉しいんでしょう?」
雪のあいだから太陽が顔を覗かせた。
暖かい冬の空気が、ふたたび私の背中を押した。