幸せな記憶
その日、アリアは朝起きたときから、「今日は楽しいことをたくさんしよう」と心に決めていた。
まず、泣き腫らした目をした侍女のナニーに、目一杯自身を飾り付けてもらった。
ナニーはアリアが心許せる唯一の侍女で、美しく聡明なアリアに仕えることを心から誇りに思っているような女性である。その上、優秀。
アリアは試すように、信じられないくらいたくさんの要望をいってみたが、ナニーはにこにこと笑って、その全てに応えるような素晴らしい姿に、アリアを仕上げた。
姿見の前でくるりと一周回って、アリアは満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう、ナニー。」
心からの感謝を伝えると、ナニーは深く頭を下げた。
その背中が震えている気がしたが、アリアは気づかないフリをした。
そしてその勢いのまま、アリアは王宮内にあるジークの部屋を訪ねた。非番の日、彼はいつも昼近くまで寝ているが、今日だけは何としても起きてもらおうと思った。
朝からドンドンドン!と大きな音を立てて、遠慮せずに扉を叩いてやると、「なんだよ...誰だよ...!」と不機嫌な声を上げながら、ジークが顔を出した。アリアは彼から漂うユリの香水の香りにも気づかないフリをして、満面の笑みを浮かべた。
「おはよう、ジーク!準備しなさい!」
「は?!え、姫さん!?どうしたんだよこんな朝っぱらから...!?」
慌てる彼を無視して、アリアがパンパンと手を叩くと、どこからともなくエリックと、ジークの同僚騎士であるジェイドが現れ、ジークの肩を掴んだ。
そのまま部屋のなかにズルズルと引きずっていって、無理やり身支度をさせる。
ジークは何が起きているのか全くわからず、「うわあ!」とか「やめろ!」とか叫んでいる。アリアはその様子を目を細めて見つめていた。
しばらくするとげっそりとしたジークが出てきた。
彼の瞳と髪の色に合わせた銀糸で美しい刺繍のされたスーツに身を包まれ、なかなかの仕上がりになっている。
アリアはまたにっこりと笑って、
「エリックおじさま、ジェイド、ありがとう。大儀でした!」
そういって二人の腕にそっと触れ、すぐ離した。くるりと踵を返して、ジークの背中をグイグイと押して外へ出す。
「それでは、行ってきます!」
残された二人の肩が揺れるのにも、やっぱりアリアは気づかないフリをした。
***
「姫さん、いい加減説明してくれ...」
朝から散々やられて、ジークはすっかりやつれていた。
「説明って?」
「一体どこに連れてこうっていうんだ?大体、なんですんなり外に出てる?どうやって許可とったんだ?」
アリアはデロイ王から散々難癖をつけられて、王宮外に出ることは禁止されている。ジークの疑問は尤もである。
しかし、彼女はきょとんとして、「当然でしょ?」と言った。
「なんだって?」
「貴方こそ、何を言ってるのよ、だって今日は私の誕生日よ?特別に許可をもらったのよ、ふふん」
「許可だぁ?ほんとにおりたのか?」
「おりました!そんなことより、貴方は私に言うべきことがあるはずよ!!」
アリアの言葉に、ジークは一瞬首をかしげて、それからすぐに破顔する。
「姫さん、誕生日おめでとう」
どうもありがとう、と返して、アリアは花が咲くように微笑んだのだった。
***
アリアがジークを連れて訪れたのは、宝飾品店だった。
「珍しいな、姫さん。つけてく場所がねえからって、滅多に買わないじゃねぇか」
「誕生日だもの、たまには良いかと思って!」
アリアは興味深げにショーウィンドウを覗いている。ジークは苦笑すると、彼女にそっと寄り添った。
「何がほしいんだ?」
「うーん、なんかこう、小さくて良いのよ。高くなくて良いの...毎日でもつけられるデザインが良いわ...」
「かー!すでにひとつしか持たない気じゃねえか!」
「なによ!文句あるの!?」
べつに~と良いながら、ジークはキョロキョロと店内を見渡した。そして「お!」と声を上げるとアリアを呼んだ。
「これはどうだ?」
ジークが示したのは、シルバーの台座に小さなダイヤが一粒のったネックレスだった。
不思議なことに、陽の当たる角度が変わると、透明なダイヤが黄色味を帯びる。
それに気づいて、アリアは桃色に頬を染めた。
「素敵。これにするわ」
お会計をしようとアリアが店員を呼ぶと、ジークが横からスッと手続きをしてしまった。
アリアが金色の瞳を真ん丸に見開いて彼を見ると、ちょっとふてくされたように「買ってやる」とポツリと呟いたので、アリアはまたまたにっこり笑って、「ありがとう」と心の底から嬉しそうな声で応えた。
2人はそこから、食べ歩きにチャレンジしたり、ひなたぼっこをしたりと、特に何をするでもなく、穏やかな時間を過ごした。
アリアはそのとき目に入ったひとつひとつの景色を、ジークの表情を、心のスケッチブックにしっかりと記録した。
(忘れないわ......きっと、永遠に)
アリアは数年振りに「自由だなぁ」と思った。
ジークと駆け抜けたあの夜の自分を取り戻した気がした。
別に誰に命じられたわけでもないが、王宮には日暮れ前に戻った。
ジークも明日は仕事があるだろうし、今日は早く切り上げよう。
ジークはしれっとアリアを自室の前まで送り届けてくれた。
アリアは終始にこにこしていたので、ジークもいつもよりずっと穏やかな顔をしていた。
「ありがとう、ジーク!とても楽しかったわ!」
そういってアリアが部屋に戻ろうとしたとき、ジークが彼女の手を掴んだ。
そのままアリアの手の甲に唇を寄せると、そっと口付けた。
ーーーー騎士が貴婦人の手に口付けるのは、忠誠の証......
そのあと二人はしばらく見つめあっていたが、やがてそっと離れた。
「おやすみ、姫さん。よい夢を」
「おやすみなさい、ジーク。よい夢を」
ジークは上機嫌に踵を返した。
鼻唄でも歌いかねないその様子を笑って見送りながら、アリアは少しだけ泣いた。
ジークは最後までその涙には気づかなかった。
グレタナ王国の末の王女、アリア・リリー・グレタナは、15歳の誕生日を迎えたその日の夜遅くに王国を発ち、皇国へと輿入れした。
ジークがその事実を知ったのは、翌朝の事だった。
ようやく次回から、今の時間軸に戻ります~~!