出会いの記憶②(ジーク目線)
「じゃあ、あなた、私のモノになってくれる?」
目の前で嫣然とほほ笑む少年(と思われる)をジークは半ば呆然として見上げた。
その笑顔はまさに天使の如し。見惚れてもおかしくない状況だが、なぜか彼の背中を冷たい汗が伝った。
(なんだ…!?なんか追い詰められてる気がするぞ!?)
そもそもどうしてこうなったんだ?
ジークは混乱する頭を何とか働かせて、これまでのことを思い出していた。
ジークはもうずいぶん長く、独りで生きてきた。
ろくでもない両親の間に生まれ、ろくでもない環境で育てられた…いや、放っておかれていた自分は、当然のようにろくでもないやつになるしかなかった。
もちろん金銭的余裕なんて一切なかったので、飲むのも食べるのも、盗むか拾うかしかない。
それでもどういうわけか病気ひとつすることなく、気づいたら15歳まで生き延びていた。
両親はいつの間にか死んでいた。食べ物を探して街中を彷徨い歩いていたので、「家」なんてものの存在も久しく忘れていたほどだ。その事実を知っても感情は動かなかった。
今日だって、そんなろくでもない人生の、なんてことない1日にすぎなかった。
ただ、腹が減っていた。とにかく、とんでもなく、腹が減っていたのだ。
だから、少しおかしくなっていた。「なんてことない日」には絶対にやらないようなことに手を出した。
目の前を通った、見るからに悪そうな大柄の男。
そいつのズボンのポケットから覗く財布が見えた瞬間に、なぜかジークは手を伸ばしていたのだ。
―――――生まれてからずっとろくでもない暮らしをしてきたからこそ、ジークは「線引き」をしっかりしてきた。
手を出していいこと、悪いこと、近づいていいヤツ、悪いヤツ…
適切な見極めによって、こんな人生でもなんとか生き抜いてきたのだ。
それなのに…
(うおおおお、絶対エ、間違えた!)
無意識につかんだ財布。振り返る男。怒りの形相…
(終わった…)
――――そして、ジークは薄暗い部屋に投げこまれ、上半身を縄でぐるぐる巻きにされたのである。
放り込まれた先には先客がいた。見るからにジークより幼い少年だ。
手足を縛られた状態でポカンと見つめてくる瞳は、獣を思わせる透き通った金色だった。
綺麗な顔してるな、と思ったのもつかの間、そいつはシンプルに生意気な奴だった。
ジークをバカにしているのが一目でわかる。
(なんだよ、お前も縛られてるくせに…)
心の中だけで思ったつもりだが、もしかしたら声が出ていたのかもしれない。
反論するかのように、目の前の少年が立ち上がった。
そう、立ち上がったのだ。縄で縛られていたはずの手足を自由に動かして。
「!!!???」
どういうわけか、少年を縛っていたはずの縄は床に落ちている。
ぎょっとして固まるジークを事もなげに見つめると、口を開いた。
「わたし、もう行くけど。あなたはどうする?助ける?」
わたし…?あなたはどうする…だと?
あまりに動揺しすぎて、ジークは少年に対してふと覚えた違和感をうまく認識できなかった。
「な…ななな、なんで…」
うまく言葉が出てこない。そんなジークを笑うでもなく、目の前の少年淡々と問いかけた。
――――ん?いや、少年???
「なんで、は何に対する質問?私の縄が抜けたこと?それとも助けるか聞いたこと?」
「……ど、どっちも…」
驚きすぎて素直になったジークが可笑しかったのか、少年はクスリと笑った。
その柔らかな笑顔にあてられて、ジークは頬が熱くなるのを感じる。
しかしその元凶は特に気にした様子もなく続ける。
「これ、縄抜けっていうちょっとした裏技なの。本で見たから、縛られるときに試しにやってみたのよ」
「た、試しにって…」
「あなたを助けるかどうか聞いたのは、もしかしたらあの男が実はあなたの父親とかで、ただの躾だったら余計なお世話かなって」
「し、躾え!?そんなわけあるか、他人だあんなヤツ!親なんてとっくの昔に死んだ!」
ジークが反射で答えると、一問一答に満足したのか、少年はふむ、と黙り込んだ。
そのままじっと、ジークを見つめてくる。
見たこともない金色の瞳が、自身をまっすぐ映しているのに慣れなくて、ジークはだんだん逃げ出したくなってきた。縛られているので無理な話なのだが。
しばらくそうしてジークを眺めて…いや、「観察」していた少年は、急に満面の笑みを浮かべていったのだ。
「じゃあ、あなた、私のモノになってくれる?」
鈴の音のようなその声を聴いた瞬間、ジークはようやく目の前の少年が、「少女」であることを理解した。
それと同時に、自身が今人生の岐路に立たされていることを、心の奥底で感じとった。
(やばい、俺…今、絶対エやばい…)
止まれ~~~と頭の片隅でもう一人の自分が叫んだ気がしたが、無意識のうちにジークは首を縦に振ってしまっていたのだ。
***
ジークが頷くと、少年…いや少女はそばに寄ってきた。
そしておもむろにズボンのポケットに手を突っ込み、何かをつかんで出す。折り畳み式のナイフだ。
素早く刃を出すと、そのままジークを縛る縄をザクザクと切り始めた。
なぜこんな子供がナイフを持ち歩いているのかも含め、ジークは何もわからず、混乱し続けていた。
ギチギチに縛られた縄を少しずつ切りながら、少女は口を開く。
「わたし、アリア。あなたは?」
「…ジーク…」
「ジーク…呼びやすくていいわね…」
ずいぶんテキトーな感想だ。ジークは呆れた。いまいちアリアのことがよくわからない。
数分もしないうちに、縄はすべて切れた。ジークは肩をぐるぐる回す。
驚くことが多すぎて空腹もどこかへ行ってしまった。そもそも空腹でないことなど、生まれてから一度もないのだ。慣れている。
アリアは、見れば見るほど美しい少女だとわかった。
ジークを揺さぶった金色の瞳はもちろんのこと、抜けるような白い肌も、桃色の唇も人形のように愛らしい。帽子からこぼれ落ちている黒髪も艶やかだ。
(…さては良いところの嬢ちゃんか?でも、それにしては行動が奇抜すぎる…)
そんなジークの思案を知ってか知らずか、アリアはおもむろに「武器を作る」といった。
「武器い?」
そんなもの、見当たらない。薄汚れた部屋には自分たちを縛っていた縄と、ぼろぼろの廃材があるだけだ。
きょろきょろと視線を彷徨わせるジークをよそに、アリアはおもむろに、履いていた靴下を脱いだ。
唐突にのぞいた真白くて小さな足に、ジークは慌てる。
「ちょ、ちょちょちょ、何してんだよ!」
「だから、武器を作るのよ」
わたわたするジークを尻目に、アリアは靴下の中に土を入れ始めた。
家屋がぼろすぎて、床板の間から地面がのぞいていたのだ。
靴下の中にこぶし大の土を入れ終わると、きゅっと口を縛った。
そして端をもつと、数回ぶらぶらと回して感覚を確かめる。ひゅんひゅんと鋭い音がして、見ていただけだが、ジークは少しひやりとした。
「よし。本で見た通り。これならまあまあの威力がありそうね」
「おおおお、お前、何者なんだよ…」
「それは、まあ、後でわかるんじゃないかしら?」
意味深にそういうと、アリアは表情を引き締めてジークを見た。
「ジーク、あなたが連れてこられたとき、ここには何人のひとがいたの?」
問われてジークは思い出す。少なくとも自分が来た時には他に人の気配はなかった。
「たぶん、あいつだけだ」
「きっと子供しかいないし、縄で縛るから油断しているのね……わかった。ジーク、私が合図したら勢いよくドアを開けてくれる?このドア、鍵がかかっていないみたい」
さっきまで縛られていたくせによくそんなことに気が付くな、と感心するジークを無視して、アリアは扉に近づく。ジークもあわてて後に続いた。
緊張しながらドアノブに手をかける。アリアは扉の近くに立って、腰をかがめている。
…一瞬の沈黙。
アリアは大きく息を吸うと、ジークに目配せした。
ジークはもう何が何だかわからないまま、勢いよくドアを開けた。
(うおおおお、本当に開きやがるし!)
戸惑うジークをよそに、アリアは目にもとまらぬ速さで外に飛び出した。一瞬の後、ゴッと鈍い音が響いて、どさりと人が倒れた気配がする。
ジークが恐る恐る外をのぞくと…
男を殴って昏倒させたアリアが、暗闇の中で息をついていた。
「行きましょう。走るわよ」
「えええええええ」
アリアは全く事態を呑み込めないジークの腕を引っ張ると、そのまま建物の外に飛び出て、街の中を駆け抜けた。
年下の少女とは思えない速さである。栄養の足りないジークのほうがよっぽど体力がない。
(俺、とんでもないヤツにつかまってしまったんじゃ…)
ジークのその悪い予感は、きちんと的中することになる。
***
永遠とも言える長い時間、2人は夜の街を駆け抜けた。
アリアが全く止まる素振りを見せないので、ジークは次第に不安になってきた。脚もそろそろ限界だ。
「おい...おい、どこまでいくつもりだよ!こっから先なんて、もう王宮くらいしかないんじゃないか!?」
ジークはこんなにも街の奥に入ってきたことすらない。王宮に近づけば近づくほど、そこは高級住宅地になるからだ。
息を切らしながら問いかけるジークに、アリアはニヤリと笑いかけた。
「そうかもしれないわね」
え、なんだよその顔は。
ジークはまたしてもヒヤリとした。あるひとつの考えが浮かぶが、慌ててまさか、と否定する。
でも、アリアは全く止まらない。
2人は走った。ずーーーーっと走り続けた。
そうして、なんだか湿っていて、虫ばかりのトンネルのようなところを抜けた先で、ジークが腰を抜かすことになったのは言うまでもない。
アリアは王宮の自分の部屋で腰を抜かしたジークを見て満足げな顔をした。
アリアはクールな顔をして、イタズラ好きなわんぱく娘です。