もう一人の子
後半残酷表現が多発します。ご注意ください。
「乳母が4人?」
問いかけたアリアに、ジェイドは神妙に頷いて答えた。
今、彼女たちは例のごとくディートリヒの私室に集められていた。いつの間にかリーゼロッタも呼ばれていて、のんきに紅茶を飲んでいる。
「侍女ならまだしも、乳母が4人いるなんて…不思議ねえ」
事態の本質をわかっているのかいないのか、リーゼロッタがカップの中で揺れる紅茶を見ながら、ため息をついた。
アリアはそのふてぶてしさに呆れながらも、言葉を引き継ぐ。
「皇国では、皇子や皇女1人に対し、専任の乳母が1人付けられると聞いているわ。それが4人いるということはつまり…」
「子供がもう1人いる」
ジークが重苦しくつぶやくと、ジェイドはまた頷く。
「そういうことです。聞いたところによると、イフリードの子供は皇子が3人…ここまではアリア様たちがご存知の通りです。そして…実は、皇女が1人いるとのことです」
他国のこととはいえ、通常であれば、その存在すら知られていない王族などまれだ。
しかし、イルヴィア皇国は、男尊女卑の風潮が長く続く国だ。武力で栄えた国だというのもあるが、だからこそ「後宮」などというあの恐ろしい場所も容認されてきたというのもある。
そんな国からしたら、皇女などいてもいなくても同じなのかもしれない、と、アリアは自身の境遇に重ねてやるせない気持ちになった。
ジェイドは続ける。
「私たちが捉えているのは、皇子とその母妃たちのみです。皇女は見つかっていません」
「母親は?」
「第3皇子の母妃と同一人物で…どうやらこの皇子と皇女は双子のようです。赤子のときから引きはがされていたようなので、ほぼ交流はないようですが」
「…皇国は男児にしか関心がないということか?」
ディートリヒが不快気に吐き捨てると、意外なことにジェイドは首を横に振り「いいえ、逆です」と言った。
「逆?どういうことだ」
「…実はイフリードが最も可愛がり、側に置いていたのがこの皇女だと…乳母が証言しました」
「見つけなければ」
アリアは反射的に呟いた。
ジェイドがやってきた時からあった嫌な予感は、確信に変わりつつある。
彼女は顔を青ざめさせながらも、ディートリヒに向き合った。
「兄様…その皇女が『古の魔女の力』を持っているとすれば、辻褄が合います」
同じことを考えていたのか、ディートリヒも難しい顔をして頷く。
「あのイフリードが、ただの親心で子を可愛がるとも思えない。事実、他の皇子たちには教育こそ施していたようだが、めったに顔を合わせなかったと聞いている」
アリアは頷き、言葉を引き取った。
「…その皇女が『魔女の血』…癒しの力を持っているとすれば、イフリードの遺体がなくなったことにも関与している可能性があります」
想定していなかった事態に、誰もが固唾を飲み込んだ。
***
広大な旧皇国の領土内にある、うっそりとした森のなか、その塔は静かに佇んでいた。
かなり古い石造りのその建物は、今は苔が生え、蔦が生い茂っているため、注意していなければ、見つけることもできないだろう。
夜遅く、そこへ馬に乗った一人の男がやってきた。
男はくたびれた農民のような装いをしていた。この辺りではよく見られる服装だ。
しかし、慣れたように馬を扱うその様子や、腰から下げた剣が、彼が農民ではないことを物語っている。
男は塔の下で馬から降りると、生い茂る蔦のなか、ある一ヶ所で、壁に向かって手を伸ばす。
がちゃん、という音がして、その部分の壁が動く。塔内部への入口だ。
素早く中へ身を滑らせると、現れた階段を慎重に上っていく。
しばらくすると、また新たに現れた扉に、腰元にぶら下げていた鍵を差し込む。
ぎいぎいと軋む扉をゆっくりと押し開くと、強い匂いが鼻を突いた。......血の匂いだ。
しかしそこでは誰も死んでいないことを知っているので、彼は表情を変えもしない。
薄暗い室内には、古いベッドがひとつ。その横には、ベッドと同じくらい大きな箱が、こちらもひとつ置かれている。
匂いは、箱のなかから漂っている。当然だ。そこに血を溜めているのだから。
男はベッドに静かに近づく。
チラリと横にある箱のなかを見て、歪んだ笑みを浮かべた。
「お疲れさまでした、姫様...十分な量があります。きっと陛下も喜ばれるでしょう!」
芝居がかった仕草で話しかけるが、横たわる少女からは返事がない。まあそれも仕方ないだろう、と男は考えた。
何故なら、彼女はこの箱をいっぱいにするくらいの血を毎日少しずつ提供してくれたのだから。
男は皇国が反乱の憂き目にあったあの忌々しい夜まで、偉大なる皇帝の近衛騎士団長として仕えていた。
しかし敬愛するイフリード帝は殺され、一夜にして皇国は滅んだ。
男は命からがら逃れながら、絶望していたが…神は彼を見放さなかった。
(あの方は戻ってきたくださった…そして、私に素晴らしい役目を与えてくれた…)
男は恍惚とした表情で箱の中を覗き込む。そこにいるのは、彼が仕えるべきお方だ。
悪夢のような夜から数日たったころ、男のところへ彼はやってきた。己の首を手にもって。
「この場所へ行き…我が娘を連れてくるのだ。そして、余を血で満たせ…」
そう言って、この箱の中で再び眠りにつかれた。
確かに首と身体が分かれているのに動いていることも、隠されていた姫の存在も男を驚かせたが、彼を妄信していた男には、それもすべて当然のように受け入れられた。
(この方は…イフリード様は、特別なお方なのだ…!)
男は指示された通りに仕事をこなした。隠されていた姫をこの塔まで導き、その血でイフリードの眠る箱のなかをいっぱいにしたのだ。
男は箱の前にしゃがむと、血だまりの中へ手を入れ、魔力を流し込む。
そして、指示されたとおりに呪文を唱えた。
すると、箱の中の血が、まるで沸騰するようにブクブクと泡立ち始める。そしてその泡はみるみる大きくなり、高く高く連なると...人の身長程度になったところで止まる。
「おお...!」
次の瞬間、バシャン、と大きな音を立てて、泡が割れ、血が再び箱の中に落ちた。
そして泡があった場所には…1人の男が立っていた。
男は血のような紅の髪と鋭い同色の瞳を持った怜悧な美貌を持っていた。だが、その体は、首から下がすべて固まった血のように赤黒く染まっている。
「おお、我が主…!よくぞお戻りになりました」
「よくやった…ギリムよ…。そなたの働きは素晴らしいものだった」
「はは…!ありがたき幸せ!」
元皇国近衛騎士団長のギリムは、蘇ったイフリード帝の前に跪いて頭を垂れる。
「娘はどうなった…」
自身の体の調子を確かめるように視線を動かしながら、イフリードが問いかけると、ギリムは応える。
「はっ!陛下の復活のために大変な量の血をいただきましたので、今は気を失っておられます」
「生きているのか?」
「もちろんでございます!」
「そうか…ならまだ予備もあるということか…」
「は…?」
にやりと笑った皇帝に、ギリムが内心で首をかしげていると、イフリードは「ふむ…」と顎に手を添えた。
「厄介なことに、切られた断面を魔法で焼かれたせいで、頭と胴体をつなぎ合わせることができなかったからな…『魔女の血』を使って急遽作った身体だが、存外悪くない…」
「それは何よりでございます」
「試しに動かしてみるか…ギリム、我が剣をここへ…」
「はっ!」
言われて、ギリムは壁に掛けてあった一本の魔剣を差し出す。これもイフリードの指示を受け、ギリムが皇国の城から秘密裏に持ってきたものだ。
イフリードはそれを受け取ると、柄を右手で力強く握る。すると、ゴウッと音を立てて、赤黒い炎が剣に纏わりついた。
「魔力の調整も…問題はなさそうだ…」
「素晴らしいです…!」
恍惚とした表情でイフリードの炎を見ていたギリムは、当のイフリードにじっと見つめられていることに気づき、姿勢を改めた。
「我が主、他にも何かやるべきことが…?」
「そうだ、今すぐにな」
「何なりとお申し付けくださ――――」
「では、死ね」
ギリムが言い終わるのを待つことなく、イフリードは剣を振るった。
「え…?」
何が起こったのかわからず、ギリムは自身の体を見た。
そこには一本の太刀筋…そして、そこから赤黒い炎が一気に広がり…
「ぎゃああああああ!」
ごおおおおっという音を立てて、炎が一気にギリムを焼き尽くした。
その様を見ながら、イフリードは満足げに目を細める。
「ふむ…問題はないようだ。さて、これからどうするか…」
用意されていた服を着ながら、イフリードは思案した。
苦労して集めた『古の魔女の力』は、すべて再び霧散してしまった。
「…ん?だが、そのうち2つはまだともにあるようだな…」
イフリードは『古の魔女の力』がどこにあるのかを知ることができる。なぜなら、彼こそが『古の魔女の力』の中心であるからだ。
「今の体であれば…力を奪うこともできよう…」
通常の人間の肉体では、ひとつに複数の『古の魔女の力』を宿すことはできない。その力の強大さに、体のほうが崩れ落ちてしまうのがオチだ。
だが、今、イフリードの体は進化した。それこそ『古の魔女の血』を使って。
「今こそ…分かたれていたものをひとつに戻す時だ…」
イフリードは笑った。
再び世界に『血』を呼び込めることが嬉しくて、楽しくて仕方がなかった。
読んでいただきありがとうございます。
しつこいくらい言いますが、この話はハッピーエンド確約ですのでご安心ください。
「もっと続きが読みたい!「おらあ!イチャイチャもっと出せ!」など思っていただけるようでしたら下の評価用☆をぽちっと押していただけると励みになります…
引き続き何卒よろしくお願いいたします。