目的
残酷な表現や暴力的なシーンがあります。
苦手な方はご注意ください。
「喜べ、我が妹よ。お前の嫁ぎ先が決まったぞ」
にやにやと気色の悪い笑みを浮かべなから、勝ち誇ったように言うデロイを、15歳のアリアは冷めた目で見つめていた。
いずれこうなることはわかっていた。
嫁ぎ先があの皇国だと聞いても(この男にしてはよく考えたな)としか思わなかったくらいだ。
動揺を見せない彼女の様子に、デロイは次第に苛立ちを見せる。
「なんだ、その目は...!お前はいつもそうだ!バカにしたように俺をみる!お前など、何も持たぬただの女の癖に!!」
癇癪を起こして喚き出すような男が、この国の王であるなんて、アリアは信じたくなかった。
(この国は腐っている...せめて、大切なものだけでも守れそうなのは、良かったけれど)
ジークは英雄として騎士団に所属しているので、さすがのデロイも今さら手出しはできないだろう。エリックはすでに王宮勤めは辞している身だし、ジェイドも要領が良いからあまり心配していない。
ナニーは...泣くだろうが、一介の侍女になど、デロイは目も向けないはずだ。
ディートリヒは、アリアよりよっぽど生き方が上手いので問題なし。
権力、地位、金、ちっぽけなプライド...デロイが必死に守ろうとするものはいつだって、アリアにとってはくだらないものばかりだった。
だからアリアの大切なものは脅かされないで済む。自分自身は、特に勘定に入っていないことに、彼女は自覚がなかった。
(わたしは、今さらどうなっても構わない...)
デロイが引き続き何かを喚き散らしながら近づいてきて、強くアリアの腹部を蹴っても、彼女は叫び声も上げなかった。
(顔を傷つける勇気もないくせに...!)
じろりと強く睨み付けると、デロイは怯んだように後ずさった。
すかさず、アリアは踵を返す。
「それでは、失礼します、国王陛下......準備がありますので」
そのまま、振り向くこともなく部屋を出た。
ーーーーその翌日にジークと過ごした素晴らしい時間は、アリアにとってかけがえのない思い出だ。
その思い出があったから、夜遅く、皇国へ向かう馬車のなかでも、アリアは決して泣き叫んだりしなかった。
***
皇国に着いたのは翌日の昼前だった。
虚ろな顔をした執事が出迎えてくれ、そのまま皇帝の元へ案内するという。着替える時間も与えられない。
くたびれた服のまま通された部屋は、薄暗く、冷たかった。
ーーーー奥に置かれた皇帝のための椅子に座っていた男の、真っ赤な瞳のように。
「よく来た...『魔女の目』よ」
開口一番届けられた声に、アリアの背筋はぞわりと震えた。
(なぜ、この男がそれを知っているの...!?)
ーーーーアリアには物心着いた頃から不思議な力があった。「見たい」と思ったものを見る力だ。
ある日、デロイ王に閉じ込められた部屋のなかで(自由になりたい...鳥のように)と念じた瞬間、遠い大地を飛び回る鷹の姿が見えた。それが始まりだった。
その事を母妃に話すと、彼女は古い一冊の本をアリアに渡した。古の魔女について書かれた本だ。
おとぎ話だと思っていたそれを、母妃は真面目な顔で説明した。そして、アリアにはその『古の魔女の力』が宿ってしまったのかもしれない、と言った。
母妃は聡明な人だった。そして、確かにアリアを愛してくれていた。
だからこそ、幼い娘に、繰り返し言い聞かせたのだ。
「その力は、決して人に話してはいけないし、極力使ってはならない」、と。
使うことを禁じなかったのは、デロイからの当たりの強さが念頭にあったからだろう。娘の命を、母は案じていた。
だからアリアは、自信の力を、決して誰にも話さなかった。父王はもちろん、ジークやエリックたちにも...
ーーーーそれなのに、なぜこの男が知っている?
得体の知れない恐怖を感じて、アリアは青ざめた。
その様子を面白そうに眺めながら、皇帝イフリードは続ける。
「余が知っていることが不思議か...?ナメられたものよ。お前のその力は、今日から余のために使ってもらう」
そんな恐ろしいこと、絶対にいやだ。殺されることも覚悟して、首を横に振ろうとしたとき、イフリードの真っ赤な瞳が光った...気がした。
次の瞬間、アリアの瞳が燃えるように熱くなった。そんなことは初めてだった。
アリアの力は「見たいものを見る」力のはずだ。それなのに......
ーーーーーアリアの目の前に、見たくもない戦場が、突然現れた。
飛び交う怒号、血しぶき、苦悶に満ちた表情、命乞いをする顔......すべてが、アリアには見えたのだ。
ーーーーーアリアは生まれて初めて大声で悲鳴を上げた。
あまりの衝撃に、薄れ行く意識の向こうで、イフリードの恐ろしい笑い声が響く。
「お前の力は余のものだ!お前の力が血を運ぶのだ!」
アリアは、この日初めて、真の意味で絶望を知った。
***
それからイフリードは、気まぐれにアリアを呼びつけては、その力を無理矢理使わせた。
理屈はわからなかったが、アリアの意思に関わらず、イフリードが望めば強制的に力は使われてしまう。
だが、どうやらその謎の力には制限があるようだ、ということにアリアはすぐに気がついた。
自身で望んで力を使うときとは異なり、無理矢理使われる場合には、能力のレベルが著しく下がるのだ。
特定の位置からしか見えなくなったり、範囲が狭くなったりする。
(これなら、この男の思いどおりにさせなくて済む...!)
しかし、絶望のなか、アリアが見つけた小さな希望を打ち砕くかのように、ある日、恐ろしき皇帝は持ちかけてきたのだ。
ーーーーー悪魔の取引、を。
「ーーーー3つだ」
その日もアリアにおぞましい光景をいくつも覗かせてから、イフリードは悠々と呟いた。
青ざめたアリアがゆるゆると顔を上げると、酷薄な笑みを浮かべる。
「3つ、国を落とすための戦に手を貸せば......お前の望みを叶えてやろう」
まさしく悪魔の囁きだ。アリアは頷くつもりはなかった。どうせ、解放されることなどないことはわかりきっている。この男は『古の魔女の力』に執着しているのだから。
ぎろりと睨み付けるアリアをおもしろそうに見つめると、イフリードは続けた。
「そう...お前が考えている通り、余がお前たちを解放することは、決してない。しかし、余の目的と一致するのであれば、その限りではない。」
「どういう...意味で...」
アリアは息苦しさを感じた。いま、自分がとんでもなく追い詰められているのがわかる。
「お前は国を愛している。どれだけ王宮が腐っていようとも、犠牲となる哀れな民を見捨てられぬ......戦に向かう、か弱い兵士どももな」
イフリードは優雅に足を組みながら、玉座からアリアを見下ろす。
「余は戦がしたい......血を求めている。これは止められぬ衝動だ......」
そして言葉を切ると、今度はゆったりと立ち上がり、未だに立ち上がれないアリアに近づくと、彼女の髪の毛をつかんで顔を上げさせた。
「余はいずれ、お前の国を攻めるぞ...交わされた不可侵条約など、ないも同然だ。そのとき、お前の力を使えば、犠牲を減らすこともできるであろう。そして、お前を王にすることなど、余にとっては、造作もないことだ」
その瞬間、アリアはぎりりと奥歯を噛み締めた。
「この...、悪魔め...!」
アリアは、悪魔の取引を飲んだ。飲むしかなかった。イフリードは言外に伝えているのだ。
ーーーーー大切なものを奪われたくなければ、尽くせ、と。
アリアは、自分のことなどどうでもよかった。もちろんデロイがどうなろうと知ったことではない。
だが、戦となれば話は別だ。アリアには、国に大切なものが多すぎる。
(壊されたくない...壊されてなるものか...!)
アリアはそのとき、暗闇のなかに自ら飛び込んだ。
必ず守るのだ、という強い目的を胸に抱いて。
次話から少しずつ浮上しますのでご安心ください。
何度でも言います!!この話はハッピーエンドです!!!!!