【映画】天使と悪魔を解体する
【タイトル】天使と悪魔
【原題】Angels & Demons(小説原作)
【あらすじ】
ローマ教皇の死に全世界の信者が涙する中、科学の粋を結集した研究所で"反物質"が盗まれる事件が起きた。
大学に戻っていたラングドンの元にヴァチカンからの使者が訪ねてきたのは、まさにその最中のことだったのだ。
歴史は光と闇の側面を持つ。書物に記された"歴史"は勝者の言い分であり、教会の歴史とは自らの正義を守り通すための闘争を指すものだ。ガリレオが支持した『地動説』を圧力によって撤回させたカトリック教会の過去――それは現在においても大きな影響力を持ち、宗教と科学との溝をより深くするものだった。
使者から得た情報によって"科学側"の仇敵・イルミナティが現代に甦ったことを確信したラングドンは、なぜ自分に白羽の矢が立ったか理解した。
著作『イルミナティの芸術』から専門家と見なされたのだろう。外部の者に頼らざるを得ないほどに、現在ヴァチカンは危機的状況にあるらしい。
教皇を失った"空座の時"にあるヴァチカンは、教会法の定めにより新教皇選出の儀式『コンクラーベ』を執り行おうとしていた。候補は四人の枢機卿。ところがつい数時間前に、四人は何者かにさらわれてしまった。
『今夜の八時から一時間ごとに枢機卿を公開処刑に処す』
この脅迫文をスイス衛兵隊に送りつけた犯人は、自らをイルミナティと名乗った。ラングドンは教義にとって都合の悪い科学者を亡き者にしてきた教会が、彼らの生き残りたちの報復を受けるストーリーのただ中にいた。
追加で送りつけられた脅迫文には、さらに信じがたいことが書いてあった。
『おまえらの四つの柱を破壊し、有力候補者たちに焼き印を捺し、科学の祭壇に捧げおまえらの教会を崩壊させる』
『ヴァチカンは光に包まれて、啓示の道の果てに輝く星が姿を現すだろう』
盗みだされた"反物質"。
爆発すればヴァチカンどころかローマ全土が滅ぶ爆弾が敵の手に渡ってしまった。
ヴァチカンに集った群衆は新教皇の登壇を今か今かと待っている。だが枢機卿らの誘拐によって選出の儀式は強制ストップし、彼らの公開処刑の後に待っているのは反物質による大爆発だ。ラングドンら警察と犯人以外、誰もその事実を知らない。
宗教が最新鋭の科学によって殺される。
「殺害は8時、9時、10時、11時で、0時にあの装置が爆発する。最初の教会を突き止めれば先回りできるんだ。手がかりは記録保管所にある!」
ラングドンは警察と共に事件解決へと急ぐ。
こんにちは。『ダ・ヴィンチ・コード』に続きダン・ブラウンです。いやーこの映画ほんっっとに……!
まあまあまあ、そこらへん後でたっぷりとね。
私はストーリーの基礎を学んでいます。もちろん"基礎"ですから、あてはまらないものもある。でも『序破急』の教えの通り、基本を破るから型破りという。基本は大事です。"知らない"と"知ってて壊す"のは違う。
そして『天使と悪魔』という作品は『破』であり『急』の域にある。これによって私の中に存在した"あたりまえ"が、温暖化による北極の氷山みたいに次々と崩れ落ちていきました。
価値観を打ち砕かれました。
『ダ・ヴィンチ・コード』の感想では「この圧倒的な作り込みを映画の枠内に収めるには無理がある」と書きました。
この映画は逆です。
原作は読んだこともない。でも「原作よりすごいのでは?」と思ってしまう。その、最も顕著なのは冒頭部です。開始たった数分のうちに「すげえええええええええええええええええ」と唸り、感嘆のため息が出ました。映像に。
んで脚本もすげえ。相変わらず歴史考証を基礎にした複雑な展開なんですが、複雑さを理解できなくても問題なく観れる設計にしてあるのです。誰が観てもたのしめる映画です。
■もくじ
①これが「いかにとてつもない映画」か
②ストーリー構造
解体分析
③両極端の対比
④変化しない主人公が見せる共感とは?
⑤謎と時間制限のテクニック
【アイデア】宗教と科学
【コンセプト】①もし新教皇の選出中に大事件が起きたら? ②もし最新鋭の科学とカトリック教会がぶつかったら? ③もし教会の新たな変化を見せるなら、それは?
【ログライン】新教皇の誕生を控えたヴァチカンが爆弾で吹き飛ぶまで、五時間
【設定原則】教会法は絶対。だから不測の事態に対応できず、コンクラーベ続行によって"爆弾から逃げる"選択肢を奪うことで、時間制限の緊迫感を最大に描くことができる
【テーマ】宗教と科学
【テーマの尺度】中庸(10段階中6)
①これが「いかにとてつもない映画」か
『ダ・ヴィンチ・コード』の続編と思って観てみたら!(小説では『天使と悪魔』のほうが時系列が前らしいです)
ダン・ブラウンのストーリーは、明確で力強い【テーマ】が支えになっています。前作ではキリスト教の暗部に切り込んで物議を醸し、今作では一転、教会が時代と共に変わろうとしているさまを描きます。
wikipediaで調べものをしていると、ダン・ブラウンが発展させ大成功に導いたストーリーの元となる資料は、"根拠のない事実"とされているものが多い。
前作のシオン修道会とか今作の地動説についてのあれこれがそうです。ですが史実と噛み合ってないことはそれほど重要じゃありません。『ダ・ヴィンチ・コード』で作者は、「神か人間か。大事なのは(自分が)なにを信じるか」という問いを投げかけました。まさにそれ。
『天使と悪魔』の世界観にあって、自分が受け入れられるならそれでいいんです。物語はつじつま合わせではなくドラマであるべき。観客が求めるのは納得できるトーリーじゃなく、たのしめるストーリーだからです。
まず冒頭に鮮烈な『つかみ』がある。
私たちが物語に招待されて最初に目にするのはローマ教皇の大葬列です。全国各地から集まった信者たちがヴァチカンの広場に集い、亡くなった教皇の死を悼むシーン。様々な人種に溢れ、葬送の列には鮮やかな赤のローブを着た枢機卿たちが棺桶を取り囲み、群衆の中を練り歩く――壮大で荘厳な歴史的一幕です。
ところが次のシーンでは全く違うものが映しだされます。無機質な鈍色と直角のシルエット。ビーム同士を衝突させ未知のエネルギーを生みだすための装置が層をなす、科学技術の粋を結集した研究所の姿が。象徴的な赤のローブと対比をなす白衣の人間たちが、モニターをにらみつけ"反物質"を生成する実験のシーンです。
これがいっこの映画に同時に存在するわけですよ。およそ交わらないだろう二つの要素が。
「これどういう映画……?」
「これからなにが起こる?」
両極端にあるものが一つのストーリーに収まっている。それはタイトルが暗示していました。『天使と悪魔』。
ものすごい映像ですよ。これ以上ない"つかみ"。だってカトリック教会と反物質が手を繋ぐストーリーですよ? なにが起こるか想像もできない。ただただ圧巻。
そしてすごいとこがもう一つ。ラングドンは『変化しない主人公』です。
いいですか? 変化しないということは『落差』がない。落差がないから『ドラマ』がない。ドラマがないから主人公に感情移入できず感動できない。
だから基本的なストーリー論は「主人公は変化すべき」と訴えます。主人公が目的を達成することが物語のゴールだから、どうせならゴールテープは思いきり派手に切りたい。大富豪が一億円手にするのと、借金まみれで自殺を考えていた男が一億円手に入れるラストとではどちらがドラマか?
それがねえ……『天使と悪魔』のラングドンって、変化しないのに共感できる主人公なんですよ! これすげえって思った。変化しないでも全然いけるんだ? と。
前作『ダ・ヴィンチ・コード』とでは主人公の描かれ方が全然全く違います。今作のラングドンって人は物語を左右する力を持ち、負け越していたところから徐々にギアを上げ、最後には歴史そのものを変えてしまうヒーローなんだよなあ。
今回の解体分析は、主にこの二つに焦点をあてます。
②ストーリー構造
【主人公】ロバート・ラングドン
【ジャンル1】ミステリー
【ジャンル2】家の中のモンスター
【欲求】記録保管所に入りたい、枢機卿を助けたい
【動機】学者としての使命と知識欲のため。貴重な歴史的書物が眠る記録保管所は教会によって厳重に封じられており、何度申請しても入れてもらえなかったが……
【リスク】五時間以内にイルミナティの謎を解き明かし犯人に迫らなければ、爆弾によってヴァチカンが消滅する
【葛藤】宗教と科学の溝。対立は深まる一方
【障害・対立】イルミナティを名乗る黒幕
【敵対勢力】科学を認めない宗教
【変化】なし。彼自身の内面に変化はないが、新教皇となった枢機卿を救いだしたことで教会と和解し、ガリレオの貴重文書を譲り受けた
【外見】博識な教授
【内面】知識を得たい。研究を進めたい
【亡霊】なし
【内面の悪魔】なし
【真の姿】カメルレンゴに気に入られなければ記録保管所に入れない究極の状況で、誤魔化さず本心を語った。『ダ・ヴィンチ・コード』でも見られなかったラングドンの"内面の深み"
【心理的欠陥】なし
【道徳的欠陥】唯一垣間見えたのは、ラ・プルガを知らなかった衛兵隊らに対し「歴史を勉強してほしいね」と怒りを見せた場面。欠陥はぼぼない
【進行度】(138分)三幕構成
0%……『教皇のしるし"漁夫の指輪"は、教皇逝去の後ただちに打ち砕かれて、教皇の部屋は喪の9日間閉鎖されます。"セーデ・ヴァカンテ"『空座の時』と呼ばれる期間です。この数日、全世界のカトリック教会の指導者がローマに集まっています』――映画の一行め。ローマ教皇の死から始まる世界。大葬送の伝統的なシーンが大々的に描かれ、四人の枢機卿が姿を見せる。
『喪が明けると枢機卿たちはシスティナ礼拝堂にこもり、コンクラーベという会議で新教皇を選出します。世界のカトリック教徒は10億。現代社会と伝統の狭間で新教皇は10億人を率いるのです』。世界観の提示、宗教を描き、【テーマ】に触れる
3%……スイス、セルン研究所にある大型ハドロン衝突型加速器。科学者たちが"反物質"の生成に成功。だが研究者シルヴァーノは侵入者に殺され、反物質は奪われてしまう。最初の謎の提示。殺人によるつかみ。主要人物ヴィットリアの登場
ここまで8分。伝統と物質主義とが並べて描かれた。その切り替えは「同じ映画か?」と疑うほどに大胆不敵。両極端のものが同時に存在する。しかもそれはタイトルとも【テーマ】とも密接に繋がっている。
6%……ハーバード大学。主人公ラングドンが登場。ヴァチカンの使者をその容姿だけで看破するさまは名探偵のよう。主人公の紹介。敵対勢力イルミナティがラングドンの言葉で描かれる。同時に『記録保管所に入り、著書の続きを書きたい』という【欲求】のため、ヴァチカンへ
12%……ヴァチカン警察、スイス衛兵隊と顔合わせ。新教皇候補者である四人の枢機卿を誘拐した人物から脅迫状が届いた――【対立・障害】の描写。ヴィットリアが反物質は爆弾だと説明し、もしバッテリーが切れる前に回収できなければローマが吹き飛ぶ事実が提示される。
「そして今、反物質を手に入れ教会を破壊しようとしてる。科学が宗教を抹殺する」と、宗教と科学の対立を描く『設定』パート
「殺害は8時、9時、10時、11時で、0時にあの装置が爆発する。最初の教会を突き止めれば先回りできるんだ。手がかりは記録保管所にある」――『時間制限』による【リスク】提示と緊迫感の演出があり、ラングドンの新たな目的が明確に示され、行き先がわかる。作り込みは複雑だが、観客が「なにが誰に起きているか」をはっきり理解できるすばらしい脚本
17%……記録保管所に入ることはラングドンの強い【欲求】だった。ラングドンは「事件解決のため」と、記録保管所訪問を渋るリヒター隊長を強く説得した。記録保管所に眠る秘密は次章へのフック。ラングドンの行動が始まる。転換点1
19%……記録保管所へはカメルレンゴの承認が要る。「あなたに一つお聞きしたい。神を信じますか?」という問いに、体のいい言葉で誤魔化さず本心を語った。記録保管所へ入れれば彼の長年の目的が叶い、同時に事件解決に大きく近づくことができる。だがラングドンは自分の欲望に流されず毅然と返答した。カメルレンゴはなにかを感じ取り、記録保管所への立ち入りを許可した。主人公の第三の次元【真の姿】の描写。観客視点でラングドンという人間が深みを持ち、尊敬できる人物へと変わっていく
21%……コンクラーベが開始される。今は教皇選出よりもヴァチカンの群衆を爆発の外へ逃がすことが先決だというカメルレンゴの意見を、シュトラウス枢機卿は撥ね退けた。「信仰心が(爆弾から)彼らを守る」。現代社会に背を向ける宗教は科学と相容れない。物理的現象すら神の名で神聖なものへとすり替えてしまう、教会の頑とした姿勢が見える
27%……記録保管所でガリレオが遺した暗号を解読し、第一の犯行現場を特定した
32%……ヴィットリアとのささやかなサブプロット。「夫婦らしいふりを」
35%……ポポロ広場、午後7時59分。犯行予告のわずか1分前に到着。枢機卿は既に殺されていた。ラングドンは間に合わなかった。第一の【葛藤】との対決に敗北
38%……サン・ピエトロ広場、午後8時58分。やはり暗殺者に先を越され、枢機卿は死ぬ。第二の【葛藤】との対決にも敗北。ここで暗殺者が遠目に映り、ラングドンを見ている。ピンチポイント1、敵対勢力の描写。ただ、お気づきだろうか? 到着が1分早くなっている。1分だけラングドンが暗殺者に追いついている
51%……教皇の死は毒殺だった事実が発覚。ミッドポイント、新解釈の提示。教皇は誰に、なぜ殺されたのか? 2幕Bへ
54%……カメルレンゴがコンクラーベに突入し、自らの価値観とコンクラーベ中止を説く。「どちらが無知なのか。稲妻を定義できない者? それとも稲妻の威力に敬意を払わぬ者? 戦いは今も続いています。今度こそ正面から戦って自らを守りましょう。卑怯な企みに真実で挑み、野蛮な戦いを永遠に封じる。教会の真の姿を見せるのです」――宗教と科学の敵対を煽るセリフ
55%……聖マリア・デッラ・ヴィットリア教会、午後9時58分。三人めの枢機卿が火あぶりにされていた、が、まだ生きている。救出しようとした警察官らを暗殺者が皆殺しにした。前回は姿を現さなかった暗殺者が自ら動かなければならなくなったのは、ラングドンの行動によって物語のテンポが上がっているため。枢機卿は死に、ラングドンは銃撃戦から辛くも生き延びた。二時間後には反物質が爆発する
60%……三人の枢機卿が殺され警察官もたくさん死んだ。自身も死にかけたが、及び腰なスイス衛兵隊に対し、ラグドンは行動する。
「ラングドン教授、リヒター隊長が大至急ヴァチカンへ戻れと」
「四人めの枢機卿が殺害されるんだぞ! ヴァチカンに戻って彼は死に、皆で涙を流すのか? 君が本物の警官ならナヴォーナ広場での殺害を止めるんだ!」
自らの言葉で若い警官の心に訴えかけた。これぞ主人公という姿を見せる。彼には『変化』こそないが英雄的行動で観客を虜にする
62%……ナヴォーナ広場、四大河の噴水、午後10時55分。5分前に到着。これまでで最速。物語はラングドンの行動によってどんどん加速する。ここで初めてラングドンが暗殺者を上回り、最後の枢機卿バッジアを救いだす。バッジアの証言から敵のアジトを特定した
70%……カステル・サンタンジェロ、午後11時19分。爆発まで一時間を切った。いよいよ敵を追い詰める。五つめの焼き印を発見し、敵の狙いがカメルレンゴと知る。さらに暗殺者との対面で、暗殺者に誘拐事件を依頼した"黒幕"がいると判明した。ピンチポイント2、敵対勢力の真実。「用心しろ。相手は神のしもべたちだ」。黒幕は教会の中に潜む
73%……カメルレンゴを救うため必死に戻る。ここでも事件を解決する役目は警察ではなく主人公の手に委ねられている。ラングドンの決断は警察よりも早い。教皇執務室ではカメルレンゴがリヒター隊長に銃を向けられていて、すんでのところで警察がリヒターを撃ち、カメルレンゴは生き延びた。「爆発物は聖ペテロの墓にある!」と最終目的地が判明する。転換点2。3幕へ
77%……午後11時57分。反物質の容器を発見。だが既に爆発は回避不可能だった。カメルレンゴは爆発物を胸に抱き、避難命令を無視した群衆らの中をヘリで上空へ。反物質が容器のバッテリー切れによって大爆発を起こし、ヴァチカン上空は地獄が開いたような景色に。彼の英雄的行動によって命を救われた群衆はカメルレンゴの名を叫び、未だ選出されない新教皇の出現に熱狂した
85%……ラングドンが"黒幕"を解き明かす。すべてはカメルレンゴの計画だったのだ。「戦争は続いてる。戦わねば! 科学が"想像の力を得た"と言い始めたら、神の存在は?」――彼は彼なりの正義に基づいて教会を救おうとした。警察に追い込まれたカメルレンゴは自らに火を放つ
91%……余韻パート。ラングドンが命懸けで救ったバッジア枢機卿が新教皇に選ばれた。シュトラウスから「教皇聖下と新しいカメルレンゴからの感謝のしるしです」と、記録保管所に封印されていたガリレオの書物を譲り受ける。【欲求】の解決と、教会の変化。変化するのは主人公ではなく教会のあり方そのもの、という壮大なラストを描いた。
「新教皇の名は"ルカ"」
「科学と宗教が融合した名ですね」
「両方大切だ」
新教皇ルカがラングドンに敬意を表し目礼を。ラングドンが教会の新たな歴史を作った
【人物と役割】
ヴィットリア……科学側の専門家。異性の相棒。映画でなければヒロイン枠かも。『ダ・ヴィンチ・コード』と異なり今回のヒロインは脇役に徹している。サブプロットもない。なにかを隠しているような描写があるものの、映画内では描かれなかった。宗教と科学というテーマにおいて科学側の肩を持つ、ということもなかった。あくまでストーリーを円滑に進行させるための人物
カメルレンゴ(パトリック)……教皇の養子で気に入られていた。「もう宗教と科学とでいがみ合うのはやめよう」という教皇の思想を否定し、教会が今日まで貫いてきた正義を守るため自らトップに立とうと画策した。宗教と科学とが調和に向かうゴールへの【障害・対立】となる重要人物。身近な人間が黒幕、というのはダン・ブラウンの常とう手段なのかな
シュトラウス枢機卿……大選皇枢機卿。コンクラーベの責任者。カメルレンゴの「爆発が起こる前に群衆を退去させてください」という訴えを拒絶し、観客目線で【障害・対立】に見える役割を演じた。隣人愛と教義を頑として信仰する宗教側の象徴。ラストシーン、彼が穏やかな表情で"宗教と科学の迎合"を認めた描写によって、本作がもっとも描きたい【テーマ】に結論を出した
③両極端の対比について
この映画が見せてくれたもの。
それは【葛藤】を最大にすることの意味です。
とにもかくにも冒頭のつかみがすごすぎる。教皇葬送の行進シーンから科学者たちによる反物質生成シーンへと切り替わった。つかみでもあり最大の対比でもあります。
両極端のものを衝突させることでスケールを大きく。宗教と科学のあり方を描き、旧態依然としたカトリック教会が教皇の死によって生まれ変わる……その瞬間を、歴史考証によって組み上げたフィクションで描いてみせた。
テーマ、規模、映像、どれをとっても超一級品です。
ストーリーでなにかと向き合う場合、両者の溝が深ければ深いほど『落差』が大きくなり、スケールが増すことを私たちに見せてくれた。
泥棒が金持ちの家に侵入する時、盗みの目的を"巨悪の男から逃げだすウェディングドレス姿の王女"とすると『カリオストロの城』になる。旦那のへそくりを盗むのとはわけが違いますね。
主にコンセプトに影響する重要な示唆と思います。葛藤は最大に。
フィルムニキ講座にも、えーとおそらくプレミスを作るための10の要素みたいなところに書いてありました。プロット段階で「なにか足りないな」と感じたら、設定を裏返したり極端にしてみるといいらしい。
男主人公を女にしたり、片想い設定を地球の裏側にいる幼馴染との超遠距離にしたりとかね。強者同士をただぶつけるんじゃなく、最強の矛と最強の盾をぶつける。フリーターの若者vs巨大組織(東京卍リベンジャーズ)、人間vs神(終末のワルキューレ)、子どもvs狡猾な大人(図南の翼)、平凡な男vs政界の闇などなど。
加えて映像がまぁーーすばらしい!『ダ・ヴィンチ・コード』では小説版に敵わないだろうって感想でしたが、今作は映画版100点満点の出来じゃないのか?『天使と悪魔』ってタイトルから始まる対比構造を、あれだけ大胆に視覚に訴える映像にしたのがすごい。
④変化しない主人公が見せる共感とは?
前作に続き主人公ラングドンは完成された人物で、冒頭とラストとで変化がありません。だから基本的には"主人公への同調"以外のとこで物語に没入してもらう必要があって、それが謎だったり大胆な【テーマ】だったりしました。『ダ・ヴィンチ・コード』でのラングドンはなかなか同調しづらい主人公でしたが……今回はちょっと違う。
"同調できる"ってそもそもなんでしょう?
一つの基準としては、その人物の行動に一喜一憂できるかどうかです。これは観客がそいつを理解していないと成り立たない。
ラングドン教授はどんな人?
博識でどんどん謎を解明していき、決断力もある。暗殺者に対抗できる力はないけどヒロインを守る。自身の秘密を知りこれからどう生きていけばいいか迷っていたソフィーに対し、救いをもたらすような言葉を贈った人物。
謎を解き物語を前へ前へと進めるそのさまは、まごうことなき主人公です。でも同調できるかといわれたら……?
彼が暗号を解読してクリプテックスを解錠した時、嬉しくて飛び上がりましたか? ソフィーを解放し額に口づけたシーンに感動して泣けました?
ラングドンはかっこいい。そりゃあもう有無をいわせず。でも観客はラングドンの目線で物語を見ているとはいいがたいのが事実です。『ダ・ヴィンチ・コード』は変化ではなく謎と【テーマ】で成り立っていました。
それがそれが。『天使と悪魔』でのカレったらどうしちゃったの!?
博識でダンディ? それは変わらずです。でも今回の彼は必死なんですよ。自身の【欲求】を横に置いて枢機卿を救おうと奔走し、三度失敗して死なせてしまった。その時警察(正しくは衛兵隊)のトップが言うわけですよ。「ヴァチカンに戻ってこい」
考えてみて? 警察の言うことは絶対です。民間人が口を挟めるとこじゃない。彼らはその道のプロフェッショナルです。でもラングドンは頑なに従わず、強固な縦社会にある警察官に向かって「君はそれでも警察官か!」と怒鳴りつけました。今回の現場では暗殺者によって警察官が皆殺しにされた。リヒター隊長の帰還命令に対し、誰も正義にもとるとは考えない。命の危険があったからです。でも主人公は行動しました。そしてついに暗殺者の行動を読み切って先回りし、最後の枢機卿を救いだしました。この枢機卿は後に新教皇ルカとなる人物です。
ラングドンは止まらない。犯行現場に到着する時刻が一分ずつ早くなってるんですよ。たかが一分。でも確実にスピードを上げて『天使と悪魔』という舞台の上を駆け抜けていく。この『時間制限』の設定とラングドンの行動力が相まった時、観客は彼の行動を賞賛しました。『変化』のない彼に感情移入したのです。
ラングドンが追い詰められていたのがよかったんでしょう。前作もそうでしたが意味合いがまるで違う。今作のラングドンは何度か死にかけて額から血を流し、警察すら匙を投げた事件に食らいつき、全身汗と水でぐしゃぐしゃになりながらバッジア枢機卿を救いました。
確かに成長はない。でもピンチを乗り越えていくんですよね。スマートにではなく貪欲に。『落差』があるとすればここです。博識な教授が身体を張るからこそ観客は彼を応援できる。
同調によらない共感――私の言葉でそれは『尊敬』です。今作の主人公って尊敬できるスーパーヒーローなのですよ。なんたってラストじゃカトリック教会の思想そのものを変えちゃいますからね。
ラングドンが証明しました。
ストーリーは『変化』を描かずとも人物に共感できる。
じゃあ結局キャラクターアークなんてあってもなくてもいいの――?『変化』を追求する三幕構成の基本型は、多くの傑作映画が持つ屋台骨です。型を知らなければ型破りの意味がわかりません。『変化』のない主人公を輝かせる方法は、『変化』の描き方を習得して初めて実現するのでしょう。
『GONE GIRL』や『ロスト・ボディ』はどうだった? 主人公の【欲求】は最後まで描かれません。それどころか真の主人公が誰かさえわからない。主人公への同調で物語に没入させることができないわけです。
脚本家は考える。
「じゃあどうしよう?」
型破りはそこから始まる。このプロットで描きたいことはストーリーの基本型に添うと達成できない。じゃあ基本からどう変えたらいいか?
『GONE GIRL』などのサスペンスジャンルなら、主人公への同調の代わりに『謎』と『対立構造』で観客を釘づけにしよう――脚本家はそう判断しました。
エイミーは死んだのか? そしてニック・ダンというやつは外面だけのどうしようもないダメ夫で、若い女と浮気をし、妊娠した妻を口論の末に殴った。ろくに稼ぎもなく妻の信託財産で食わせてもらっている。
こういう描き方をされれば観客は皆、ニックを敵視する。エイミーの肩を持つ。それは作中のマスコミや世論と同じ目線であり、観客は主人公じゃなく"主人公の敵対勢力"に同調するよう脚本によって仕向けられます。
同調を取るとはどういうことか。
基本を理解しないと変化球は放れない。
まあとにもかくにも『変化は必ずしも正義ではない』を証明した本映画に感謝を。
⑤謎と時間制限のテクニック
本作の"謎"は『重要ではない』という意味ですごい。というのもこの映画、前作と違ってカトリック教会の歴史を理解できなくとも、ストーリーが伝えたいことを理解できる仕組みになっておるのです。なんかもう『ダ・ヴィンチ・コード』にあった数少ない欠点が全部きれいに無くなった感じ。
『ダ・ヴィンチ・コード』のよさって"複雑さ"でもあったから、一概に否定はできませんけどね。重厚で複雑な世界観の中に隠された真実を描いた映画です。
『天使と悪魔』でラングドンは相変わらず歴史の細部を語ります。それは確かに世界観を造り、謎解きの果てに敵対勢力のアジトへ導くものなんだけど、伝えたいことはどシンプルなんですよね。『宗教と科学は相容れないか?』。この【テーマ】が物語の冒頭からわかりやすく提示されるため、観客は物語の大筋をはっきり理解できます。
「殺害は8時、9時、10時、11時で、0時にあの装置が爆発する。最初の教会を突き止めれば先回りできるんだ。手がかりは記録保管所にある」
第1幕『設定』パートのこのセリフが明確に指し示しています。めっちゃわかりやすいですよね? 寄って見ると歴史考証とか反物質がどうこうとか難しいんだけど、物語の大枠はあくまでシンプル。このバランス感覚!
めちゃくちゃすごい構造ですよこれ。ダン・ブラウンと脚本家は神。
『時間制限』もすごく機能してる。
緊迫感をもたらす効果もあるけれど、どちらかといえば"ラングドンを焦らせる"機能がでかい。
それとやっぱり……わかりやすい!
一時間ごとにミッションがあって、五つめのミッションまでにどうにかしないとヴァチカンが吹き飛ぶ。
カトリック教会の歴史がひも解かれイルミナティ(科学)と衝突する――なんて専門的に尖ったことしてんのに、ちゃんと『大衆受け』が意識されている。ほんとプロだわ。いやーもう「すごい」しか感想出てこねえ。
『ダ・ヴィンチ・コード』と『天使と悪魔』。ダン・ブラウンってこの毛色の異なる大傑作を両手に持ってるわけでしょ? まじなんなんこの人。
この二作って似たような構造持ってるんですよ。暗殺者がいて、黒幕は身近な人物だったり、冒頭の殺人を『つかみ』にしてたりね。でも観ると全然違うでしょ?
『ダ・ヴィンチ・コード』でカトリック教会の暗部に踏み込んだかと思えば、『天使と悪魔』では教会がラングドンとの和解を示した。科学を受け入れる姿勢を見せ、教会の新たな姿を示唆しました。
でも一方でラングドンの描き方や謎の取り扱い方は違う。『ダ・ヴィンチ・コード』の複雑性と『天使と悪魔』のシンプルさ。どちらもものすごい。
最高の映画でした。
これまででいちばん脚本に感動したかも。
吸収したいとこばっかです。
いやーーーーこれ極限までハードル上がりましたよ。インフェルノのw
次のラングドンは私になにを見せてくれるのか!?