【映画】ダ・ヴィンチ・コードを解体する
【タイトル】ダ・ヴィンチ・コード
【あらすじ】
ロバート・ラングドン教授は著書のサイン会の途中、ルーヴル美術館の館長が不自然な遺体となって発見されたことを聞かされた。
なぜ警察が自分のもとへ? 彼はこの後まさに遺体の人物――ソニエール館長と会う予定があったのだ。おそらくその関係だろう。
「犯人がじゃない。ソニエール館長は銃で撃たれて絶命するまでの間、自分でこれをやったんだ」
信じられなかった。彼は上半身裸で身体に妙なマークを描かれたまま絶命している。"自ら行った"というその死にざまは、レオナルド・ダ・ヴィンチのかの有名な人体図を模したものだったのだ。
遺体の側にはダイイング・メッセージが残されていた。これがまた要領を得ない。「ドラコンのごとき悪魔! 役に立たぬ聖人め」。捜査にあたるファーシュ警部はラングドン教授に意見を求めるが、とても事件の手がかりになるような文言ではなかった。
誰がやったのか?
実はファーシュ警部には犯人の目途がついていた。ダイイング・メッセージには彼が意図的に消した"四行め"があり、そこにラングドンの名前がはっきりと書いてあったのだ。
『P.S. ラングドンを探せ』
警部は最初から意見を求める気などなかった。ラングドンをこの場に呼び寄せ、即座に容疑者として逮捕するつもりだ。
この事実をラングドンに知らせたのは、大使館から派遣されたソフィーという女性。ファーシュ警部が行動を起こす前に彼をトイレへと誘導し、「あなたは容疑者よ。警部はあなたを犯人と断定し他を捜してもいない」と彼に迫らんとする危機を伝えた。
自分が容疑者? 確かに館長と会う予定はあった。だが死の間際に名前を記されるほど親しい間柄ではない。ソニエールはなぜ自分の名を? 意味がわからない。
「待ってくれ。君は何者だ?」
このソフィーという女性だ。
突然現れてショッキングな事実を次々と並べ立て、警察側の人間でありながら自分を助けようとしている。
「文字を見て」
ファーシュ警部が消してしまったという"四行め"の写真だ。『P.S. ラングドンを探せ』
「P.S.は追伸だ」
「違う。プリンセス・ソフィー。彼は幼い私をそう呼んでた。私はソニエールの孫よ」
それはソフィーにしか解けない暗号。
ソフィー、ラングドンを探せ
二人は逃げる。
ソニエールの他に三人が殺された。ファーシュ警部はラングドンを複数殺人犯と断定し、苛烈に二人を追いつめる。
なぜソニエール館長は二人を引き合わせたのか? なぜダ・ヴィンチなのか? なぜラングドンは殺人犯にされたのか?
逃亡の道程でダ・ヴィンチの絵画に隠されたイエス・キリストの秘密に行きあたり、自分たちを殺そうとする第三者が正体を現す。
冤罪を押しつける警察。
教会側の秘密結社オプス・デイ。
影の評議会。
シオン修道会。
暗殺者シラス。
導師なる謎の人物。
今は亡きテンプル騎士団。
彼らは事件にどう関わっているのか? ダ・ヴィンチの芸術によって歴史がひも解かれ、キリスト教が2000年間秘密にしてきた"真実"を知った時、ラングドンは――"聖杯"を発見する。
こんにちは。めっちゃたのしみにしていた『ダ・ヴィンチ・コード』。文庫本は飛ぶように売れ映画は大大大ヒット。
そしてこの映画、主人公が変化しないストーリーとの噂です。三幕構成は『ストーリーは主人公の変化を描くこと』を原則とします。一部のサスペンスやミステリー映画はその原則からやや外れますが、『なぜやったのか?』という動機を描く段階で『変化』を描いています。この原則に乗らないストーリーが大ヒットしたとなれば観たくなるじゃないですか! 気になるじゃないですか!
もったいぶらず感想を言うと、「やっぱり三幕構成の原則は正しいかも」としみじみ思いました。今回はそこをメインに解体して考えていこうかと。
【アイデア】ダ・ヴィンチの芸術が歴史の真実を語る
【コンセプト】①もし私たちの人生に関わる大いなる信仰がひっくり返ったら? ②もしシオン修道会が現在に至るまで活動を続けていたら? ③もしイエス・キリストが神ではなかったら? ④もしキリストに子どもがいたら? ⑤もしその子孫が現代に生きていたなら、カトリック教会はどうするか?
【ログライン】宗教学教授ラングドンはルーヴル美術館館長の殺人容疑をかけられ相棒ソフィーと逃げるが、道中ダ・ヴィンチの遺した"暗号"から、命を狙われる理由はキリスト教が2000年間隠し続けた秘密にあると知る
【設定原則】見あたらず(ドラマがない)
【テーマ】①大事なのはなにを信じるか ②殺人者は歴史に記されると英雄になる ③キリスト教が隠し続けた秘密
【テーマの尺度】濃い。テーマの主張(10段階中9)
設定原則は(私個人の理解ですが)物語をよりドラマティックに描くための"縛り"を作ります。ジャンル『家の中のモンスター』においては、主人公がモンスターから逃げられないような状況を作りだすこと=設定原則ですね。
ミステリ小説における『嵐の山荘』と同じ。宿泊客の中に殺人鬼がいる。主人公らは人里離れた山奥にいて、外は猛吹雪でとても下山できない。だから生きのびるには自分たちで殺人鬼をどうにかするしかない――ここにドラマがあります。
物語がドラマ性を持つように設定によって人物たちを縛ること。これは私たちが主人公に同調し応援するために必要なものです。
それが『ダ・ヴィンチ・コード』ではいくら頭を捻っても出てこない。なぜならこの映画はドラマを描かないから。
■もくじ
①ストーリー構造
解体分析
②主人公が変化しない大ヒット作について
③映画と小説について
①ストーリー構造
【主人公】ロバート・ラングドン(宗教学教授)
【ジャンル1】ミステリー
【ジャンル2】なぜやったのか?
【欲求】冤罪を晴らしたい
【動機】わけもわからず殺人犯にされた。だが次第に自分が大きな大きな歴史の転換点にいることを知り、宗教学の知識から秘密を解き明かしたいと願う
【リスク】事件を解決しなければ「あなたは何か月も拘束され、ソニエールの伝言は無駄になる」
【葛藤】なし
【障害・対立】導師、暗殺者シラス
【変化】なし。一応欠陥の克服はあるが、主人公の変化のためではなく【テーマ】の裏づけとしての役割
【外見】博識な教授
【内面】なし
【亡霊】井戸に落ちた幼き日の記憶
【内面の悪魔】なし
【真の姿】なし
【心理的欠陥】閉所恐怖症
【道徳的欠陥】なし
【進行度】(148分)三幕構成
0%……館長ソニエールが暗殺者に殺される(つかみ)。謎めいたセリフと伏線の嵐。シラスという【対立・障害】の登場があり、読者へ謎を投げかける。すぐにラングドンが登場し、著作ファンへの講演という名目で【テーマ】を暗示する。「我々は過去を知ることにより現在を理解できるのです。『真実だと信じること』と『真実』をどう見分けるのか」。これは3幕でソフィーに伝えたセリフへの伏線
10%……ソフィーが登場。彼女によって『殺人犯に仕立て上げられ警察から逃げなければならない』旅のきっかけが提示される。世界観の描写
14%……一つめの暗号。『P.S.ラングドンを探せ』は"プリンセス・ソフィー"を意味し、ソニエールが二人を出会わせたことがわかる。伏線は続く
20%……警察の目を盗んでソニエールが遺した暗号を読み解いていく。隠されていたのは百合の紋章が彫られた鍵。ラングドンはソニエールと孫のソフィーがシオン修道会と関わっているのを悟り(世界観の描写)、教会がひた隠しにする"秘密"に迫る旅に出る。転換点1
21%……2幕A。カーチェイス(2幕A『反応』お約束パート。詳しくは進化論で)。『ダ・ヴィンチ・コード』すらカーチェイスをやるのか……。映画製作とはかくも大変なものか
26%……シオン修道会、そしてテンプル騎士団。ソニエールの死は氷山の一角にすぎず、なにか大きなものに巻き込まれている。テンプル騎士団が血眼で探した宝物『聖杯』の登場。聖杯はキリスト教の聖遺物のひとつで、最後の晩餐に使われたとされる杯(wikipediaによる)
29%……オプス・デイと"影の評議会"。【対立・障害】の描写。ピンチポイント(後に進化論で取り上げます)
30%……銀行で百合の紋章の鍵を使い、ソニエールが遺したクリプテックス(キーワードで解錠する手のひらサイズの金庫みたいなもの)を手に入れる。ソフィーは狭いトラックに押し込められた閉所恐怖症のラングドンのためにおまじないを。長年悩まされてきた苦しみがなぜだか消える。3幕ラスト【テーマ】への伏線
50%……ミッドポイント。ミッドポイントがもたらすのは『新事実』『新たな解釈』。警察から逃げ続けたラングドンは、謎に迫るため旧知の友リーを訪ねる。彼によって提示されたのはダ・ヴィンチの『最後の晩餐』に描かれた"聖杯"と"マグダラのマリア"。聖杯とは"∨"の記号が意味する"女性"であり、『最後の晩餐』でイエスの右隣にいるマグダラのマリアを指すと。2幕Bパート『攻撃』へ
50%……同時に【テーマ】の提示がある。マリアを愛し子を為した事実は、イエスが人間であることを証明してしまう。だからマリアの存在は教会にとって都合が悪い。「いや(魔女狩りの犠牲者は)数百万という説もある。想像してみろ。キリストの権威を女児が引き継ぐのだぞ? 人を殺してでも阻止するさ。人類史上最大の隠ぺい行為だろうな」。【テーマ】キリスト教が隠し続けた秘密
55%……暗殺者シラスによる襲撃。ソニエールが殺された理由が明らかになる。オプス・デイの暗殺者シラスが聖杯の守護者たちを殺した。ソニエールはルーヴル美術館館長であり、同時にシオン修道会の総長――守護者筆頭でもあった。だから不都合な真実を消し去りたい教会が秘密結社オプス・デイを――信者シラスを使ってシオン修道会に聖杯のありかを吐かせようとした
58%……ピンチポイント、つまり敵対勢力の描写。「我々はずっと続いている戦争に巻き込まれたようだ。かたや修道会。かたや権力を謳歌した古き支配グループ」「高僧も秘密メンバーとして彼ら(影の評議会)に与した。キリストの血脈を断とうとするこの"影の評議会"は、はるか昔からキリストの末裔を見つけだし殺してきたよ」。魔女狩り。修道会は聖杯の秘密を守ろうとし、オプス・デイが参加する"影の評議会"は聖杯を壊そうとしている。敵対勢力の目的が明らかに
65%……執事に裏切られクリプテックスを奪われてしまう。辛くも逃げだしたラングドンとソフィーは、真実へ到達するため行動を開始する。主人公の行動=『攻撃』の開始
73%……観客視点でリーが"導師"と判明する。裏で糸を引く黒幕だ
75%……敵対者との対面。"導師"リー。オプス・デイを操ってソニエールらを殺し、聖杯の秘密を歴史から抹殺しようとする"影の評議会"を出し抜いて、キリスト教の真実を全世界に知らしめることが彼の目的だった。
「祖父の最期を知ってるの?」
「聖杯の探索の犠牲者さ」
「人殺し!」
「それは違う。ロバート、話してやれ。"殺人者は歴史に記されると英雄になる"と」
【テーマ】を描く。3幕へ
85%……敵対者の退場。最初の【欲求】(冤罪を晴らすこと)の解決。うまく操られていたことを知ったファーシュ警部はラングドンではなくリーを逮捕した。クリプテックスの解錠に成功したラングドン(主人公による行動と攻撃)はいよいよ聖杯の地へと向かう(旅の行程で生まれた新たな【欲求】へ)
93%……【欲求】の解決。
「王家の血。僕が間違ってた。君の務めは聖杯の秘密を守ることではなかった。ソフィー。君がその秘密なのだ」
「そんな……」
「君が継承者だ。血を引く最後の一人。この世に生きている最後の子孫だ。イエス・キリストのね」
95%……余韻パート。自分がイエスの血を継ぐ最後の一人と知りとまどうソフィーへ、ラングドンは言う。
「だが、子どもの頃、リーが話したように僕は井戸へ落ちた。そのまま死ぬと思った。僕はなにをしたか? 祈った。僕はイエス様に祈った。両親に会わせてください。すると誰かがそばにいる気がした。それが人間だったのか、神か。人は神なのかも。子を持ったイエスは奇跡を行ってはいけないのか?」
ラングドンの心理的欠陥が描かれた意味がここでわかる。
「神なのか人なのか。大事なのは自分がなにを信じるかだ」
これが最後の【テーマ】。
「君はその血を継いでる。公園の男はヤクをやめたかも。君の手は僕の恐怖症を直したかも」
ソフィーは満面の笑顔になり、抱き合ってラングドンと別れた
100%……
聖杯は古のロスリンの下で待つ
匠の芸術に囲まれて
ルーヴル美術館。
跪いた彼の足元にマリアの棺が――
伏線の回収。ソニエールがルーヴル美術館の館長をしていた意味が描かれた。彼は死ぬまで棺を隠しとおし、シオン修道会の秘密を……ひいては棺のDNA鑑定によって危険が及ぶであろうソフィーを守った
【人物と役割】
ソフィー……ソニエールの孫として育てられたが、その実フランスの旧家メロヴィング王家の血を引く最後の生き残り。すべての鍵を握る人物。彼女の登場でラングドンの旅が始まる。道中ラングドンと親密になるサブプロットが描かれるも、恋人関係にはならなかった
ソニエール……ルーヴル美術館館長でありシオン修道会現総長。暗殺者シラスによって物語開幕直後に殺される。ソフィーは彼に確執を感じていたが、ラストシーンで彼の振る舞いのすべてがソフィーへの愛情故だと明かされた。死の間際でさえ"聖杯"と"棺"のありかを漏らさず、ラングドンだけが彼の遺した"暗号"を解読し"棺"に到った
ファーシュ……警部。秘密結社オプス・デイの一員。オプス・デイの上役アリンガローサに唆されてラングドンを犯人と思い込んだ。容疑者でしかないラングドンに対し、捜査官を総動員して銃装備で踏み込むなど過激な追い込みを行うが、アリンガローサと暗殺者の関係に気づくと警察官としての使命を優先した
アリンガローサ……オプス・デイ司教。影の評議会会員。オプス・デイとは教皇直轄の保守的なカトリック宗派のこと。目的は聖杯と棺の破壊。不都合な真実の隠ぺい。シオン修道会の【対立】であり、暗殺者シラスを使って修道会トップのソニエールを殺害し、聖杯の秘密に迫ろうとした
シラス……暗殺者。敬虔なカトリック修行僧であり、歪んだ幼少期に植えつけられた精神的苦痛に対し、信仰による救済を望んだ。アリンガローサを恩人と慕う。神を信じ汚れ仕事を一手に押しつけられた挙句に、警察に射殺された。尖兵としてラングドンらの【対立・障害】の役割を果たし、同時にカトリック教会がイエスの子孫を始末してきた歴史を体現する悲しき人物
リー……"導師"を名乗る黒幕。オプス・デイに接触してシラスに聖杯を探させた。ストーリー的にはラングドンにダ・ヴィンチの"暗号"を教え、ミッドポイントから物語を急展開させる大役を果たす。目的はキリスト教の真実を世界に知らしめること。ファーシュによって逮捕された。オプス・デイともシオン修道会とも【対立】する、真の【障害】――コンフリクト
■解体分析
②"主人公が変化しない大ヒット作"を考える
この映画にいちばんわくわくしていたのは、ストーリーの原則を外れながら大成功を収めたその"秘密"です。
それアリなの? って思うわけですよ。ストーリーは主人公の変化を描くもの――この原則が成立せずともストーリーは成功するのか?
率直な感想。「すごい」と思いました。でも「感動した」とは思わなかった。やはりストーリーの原則は大事なんだなって結論ですね。
どこまでいっても個人の意見でしかありませんけど、この映画のヒットは【テーマ】にあります。
①大事なのはなにを信じるか
②殺人者は歴史に記されると英雄になる
①は世界でただ一人イエスの血を引くソフィーが『人か、神か』という問題にぶち当たった時、ラングドンが彼女に提示した答えです。イエスの子孫は人として生きるべきか、それとも神を体現すべきか。これは本映画が投げかけたカトリック教会の真実、イエスはマグダラのマリアとの間に子をもうけた――すなわち「イエスは神ではない」という問題へのアンサーにもなっている。
まあ……大反響呼ぶでしょうからねこの映画w 実際に教会から抗議されたみたいだし。そこへのフォローでもあるんでしょう。
②は歴史に対する問いかけです。現在とは違って歴史を残す手段が"口伝"と"書物"しかないことがなにを意味するか。――つまり歴史とは『勝者が正義』なのだと考えさせられるテーマです。そしてなによりヤバイのが……
③キリスト教が隠し続けた秘密
これですよね。
聖杯を守ってきたシオン修道会にニュートンやダ・ヴィンチが籍を置いていた。そんな"一部の証拠"から着想を得た壮大なフィクション!
歴史をひも解き、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』にユニークな解釈を加え、私たち(というかキリスト教が身近にある人々)へ"常識の破壊"をもたらした、すさまじいストーリーです。
リーがこれを説明する時に、一応ラングドンが反論することでテーマのバランスを取ろうとしています。言い切っちゃうと断定になるからラングドンに「それは君の考えだろう」と言わせ、観客が自分で判断する余地を残しているわけです。
謎が謎を呼び、真実が明かされた後に、ラングドンはソニエールが遺した最後の暗号に到ります。マグダラのマリアの棺。
ラングドンはラストで、まるで神の意志に導かれるようにルーヴル美術館に到達するんですが、『棺がまさかのルーヴル美術館――物語のスタート地点にあった』ことは、ソニエールがソフィーの身を案じていた証拠となる最後の最後のサブテキストです。
私たちの身近にある題材から壮大な【テーマ】をくり広げ、一応は歴史的事実に基づいて複雑な展開を作り上げた。すごいですよねえ。(人によっては)宗教とは自らを構成する一部と同義です。そこに問いかけるなんて……勇気もすごい。ダン・ブラウンは歴史に名を残す偉大な書き手でしょう。
一方でこの映画にはドラマがありません。主人公の内面がほぼ描かれないため、成長や変化がない。
本来なら主人公を描くための【心理的欠陥】ですら、【テーマ】のために使われています。美術館に召喚されたラングドンがエレベーターに乗る時に心理的欠陥が描かれますね。井戸に落ちたトラウマによる閉所恐怖症です。トラックでも同様。
ラングドンの不調を心配したソフィーが"おまじない"によって心の病を解消したシーンが、ラストの「神か人か。大事なのはなにを信じるかだ」というラングドンのセリフ――【テーマ】に帰着しています。
噂は本当でした。
主人公の変化を描かないのに成功している。
じゃあ実際どう感じたかと問われれば「すごい!」、でも「感動した!」とはならない。重厚で複雑なストーリーに圧倒された。でも涙を流すシーンはなかった。心は揺さぶられなかった。ソフィーとのサブプロットも恋愛じゃなかったですしね。
【テーマ】を見せることに全振りした特大エンターテインメントです。
③映画と小説について
もう情報量の多さがえぐかったです。映画は公開初週の興行収入がキモらしい。ならば基本的に映画館で観るのを想定したはずで(現在の状況は変わってきていますね)、これを一発勝負で理解するのはいくらなんでもきついなあと。いや『THE BEST OFFER』の時も思いましたけど、比じゃないですから。初見でいちばん意味不明だったのがアリンガローサとオプス・デイですよ。「この人裏でいろいろやってるけど結局なんの人?」ってずっと思いながら観てました。
小説はいいんです。わからなきゃ数行戻ればいい。でも映画はちょっと問題がある。映画館は言わずもがなで、たとえば家族と一緒にテレビ放映を観る場合、わからないからって巻き戻すわけにはいきませんもんね? 結果全容が掴めないまま終わってしまう。映画って尺の問題がどこまでもつきまとうものですから、基本的に『説明』を嫌います。原作は未読ですが、おそらく大きく内容をそぎ落としてもこの説明量なのでしょう。
私が印象に残ってる言葉で進化論でも何度か取り上げましたが、奈須きのこさんがこんなふうに仰っている。
「エンタメとは物語の表層を漂っているもので、真実とか隠されたテーマは深掘りしてみて初めて理解されるくらいがちょうどいい」
これどこで見たんだっけ?『空の境界』とかそのへん読んだ頃かなあ。
とても影響を受けた言葉です。ただ『ダ・ヴィンチ・コード』の場合、そもそもキリスト教の真実を問うメインプロットなわけですから、メインの筋を理解するための情報が伝わらないのはまずいはず。
私、こと映画に関してだけは記憶力いいんですよ。一回観ただけのストーリーも結構憶えてるし。簡単な解体記事かけるくらいに。たぶん二か月間くらいは憶えてます。それでも初回はだいぶ情報取りこぼしましたからね。まあジャン・レノがどうしてもレオンに見えて集中できなかったのかもしれませんけど……。しかしトム・ハンクスはかっこいい。映画追ってみようかな。
音楽も映像もすばらしかった。とってもいい映画でした。それでも小説原作を映画の枠内に収めるのは少し無理があったかも、というのが正直な感想。シオン修道会なんてwikipedia見なきゃ理解できないもん。
■総括
いやー【テーマ】の力をこれでもかと見せつけられた大作でした。『天使と悪魔』もたのしみ。またラングドンに会える!
やっぱり『身近』って大事なことなんですね。身近な題材を扱うからこそ多くの人が興味を持つ。中でも宗教に切り込むのがすさまじい。知識量もさることながら批判覚悟の思いきりがすごい。
謎が解明されてく展開もおもしろかったですよね。ミッドポイントが最高に生きていた。ダ・ヴィンチの絵画を見せられながら、「これがダ・ヴィンチの描いた聖杯だ」なんてねえ。あそこよかったな。
ラングドンの心理的欠陥も結構しつこく描かれていて「これいつ回収するんだ?」と不安でしたけど、そこも見事に。やっぱり無駄な描写なんてないんですよ。主人公の【欠陥】は人物を深堀するためだけじゃなく、ちゃんとラストに影響しているわけです。
個人的にはラングドンとソフィーが美術館から逃げたと見せかけた時のレオ……ジャン・レノのセリフ「チクショー」が笑えました。ここだけ世界観違くない? 字幕おもろすぎ。
バックストーリーもヒロイン(脇役)のソフィーがメインでしたね。主人公の変化を捨てたからこその展開です。まあミステリーとかの謎解き系は主人公の変化を追わないものが多いわけですが、その中にあってもこの映画は特殊です。どちらかといえば主人公すら脇役に徹し【テーマ】を描いた、ということなのかもしれません。
それでも主人公は主人公です。2幕Bパートからラングドンは自ら行動して謎に迫り、ストーリーを動かし、テーマを描きました。主人公の変化は描かずとも三幕構成の役割は果たしていた。
構成の基礎を熟知しているからこそ成し得た独自のストーリーなのでしょうね。基礎は大事! つくづくすごい脚本でした。