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スウェット女は偽名を名乗る

コンビニから連れ立って出たふたりは、ほど近い分譲マンション下の公園まで無言のまま歩いてきた。そこでふいにスウェット女が立ち止まってから、僅かに眉根を寄せて横に立つ嵩を見上げた。


「あの、もう、近いので、ここで結構です」


相変わらずの囁くような声音で言って、彼女はぺこりとお辞儀をした。それからこてんと首を傾げて、帰ろうとしない嵩を見た。


「時間も遅いですし、お礼になるかどうか、わかりませんが、公園で良ければ、アイス、一緒に食べませんか?」


「え?」


「あ、やっぱりご迷惑ですよね、すみません」


慌てて謝る彼女の手首を嵩は弛く掴むと、力強く公園へと引っ張った。


「いえ、喜んで。明日は休みですし、抹茶アイス、本当に好きなんで嬉しいです」


公園内の、外灯に照らされたベンチ目指して歩く嵩に手首を掴まれたまま彼女は抵抗もなく連いてきた。ベンチまで来て、嵩は彼女の手首をほんの少しだけきゅっと握ってから離すと、ポケットからハンカチを出してベンチの上に置いた。それを手で示して、どうぞ、と彼女に座るように促したのだが、慌てた様子でハンカチを取り上げて、丁寧に畳んでから嵩に返してきた。


「所詮、スウェットですから、お気遣いは無用です」


柔らかく言ってから、ふわりと笑い、


「でも気持ちは嬉しいです。ありがとうございます」


と礼の言葉を口にした。嵩は素直にハンカチを受け取り、ポケットに捩じ込むと、ベンチに腰掛けた。それをみて、彼女も隣に座る。


「あの、これ、どうぞ」


差し出された抹茶アイス。

初夏とはいえ、夜気はまだ冷たい。

受け取れば、アイスの冷たさに嵩はぶるりと僅かに身体を震わせた。それを誤魔化すように名乗る。


「俺、嵩っていいます。相沢嵩」


「あ、私、か…」


馨、と名乗ろうとして、唐突に焦る。

思わず手元のアイスに視線を戻し、


「桂、万紀、です」


と、親友の名を騙ってしまった。

言って、口にした自分に驚く。


「万紀さんか、素敵な名前ですね」


どこかうっとりとした表情を浮かべた嵩が褒めて、抹茶アイスを食べ始めた。馨は居た堪れない気分で、バニラアイスを開けた。


「万紀さんは…どんなお仕事をされてるんですか?」


無言でアイスを食べ終わった嵩が弁当を開けながら聞いた。それを眼にして、ペットボトルのお茶を馨は渡す。


「普通の会社員です。イベントとかのお手伝いをしてるような?」


あまり具体的に言って、気付かれたくなかった馨はなんとなく疑問系で言葉を濁した。


「お休みの日とかは?」


あっという間にハンバーグ弁当が半分まで減っていて、馨は内心、早食いは身体に毒だ、と要らぬ心配をした。


「あまり外には出ないので、家で本を読んだり、趣味程度のことを楽しんだりしてますね」


「そうなんですね」


「あの、相沢さんは…」


「嵩、でいいです。嵩、て呼んでください」


ハンバーグ弁当をぺろりと食べきった嵩は次の野菜炒め弁当を開けながら、名前を呼ぶように乞う。

幾分、困ったように眼を伏せてから、


「嵩さんはどんなお仕事を?」


と馨は聞き直した。

それに満足したように破顔して、嵩はご飯を口いっぱいに詰め込んだ。

暫く咀嚼音だけがふたりの間に響いていたが、ごくりと飲み込む音のあと、嵩が説明を始めた。


「近くの百貨店で働いてます。イベントの企画立案がほとんどですね」


「楽しそうなお仕事ですね」


「仕事は楽しいですし、やり甲斐もありますけど、やっぱり仕事ですからね、それなりにキツかったりもします」


野菜炒め弁当も食べ終わったらしい嵩が空容器を袋に入れると、馨から貰ったお茶を勢いよく飲み干す。


「俺の上司が女性なんですけど」


続けた嵩の言葉に馨の肩がぴくんと跳ねたが、それには気付かないのか、彼は淡々と話す。


「これがまた嫌味なくらいよくできた人で。美人だし、仕事はできるし、しかも八つ当たりもしない、いつもにこにこしてる人なんですよ」


馨の心臓がどくどくと荒立つように脈打って、全身に熱い血が急激に流れたように、身体が熱を持った。


「でも、それは、社会人として、普通じゃ、ないですか?」


掠れた小声で伝えてはみるが、嵩は乾いた笑いを返してきた。


「俺はいつもダメ出しされて、仕事の詰めが甘い、て指摘されてるようで、それも笑顔で言われるから、正直かなりムカつくんですよね」


「ごめんなさい!」


強い語気で吐かれた自分への愚痴に思わず小さく謝ってしまった馨はハッとして口に手を当てたが、怪訝そうに嵩から覗き込まれて、顔を背けた。


「え?」


「いえ、なんでもないです。なんだか自分が言われてる気になっちゃって…」


「万紀さんとは全然違いますよ」


「でも、上司の方も嵩さんに期待してるから、意見しちゃうんじゃないですか?」


「そうなんですかね?俺が企画立てるより、彼女が立てたほうがずっと無駄な時間が省けるんじゃないか、て思うんですけどね」


ダメ出しされるくらいなら大人しく従って動くほうがストレスが少ないんじゃないか、なんて思ったりもするんです、と呟いて嵩は茶目っ気たっぷりに瞳をぐるりと回した。


「たぶんですけど…」


馨はこくりと生唾を飲む。

僅かな間、逡巡して、軽く頷いてから唇を震わせながら話し始めた。


「たぶんですけど、きっと、その方には嵩さんの企画力が必要なんですよ。それに人を纏める才能とか、負けん気の強さとか、途中で投げ出さずにやりきる姿勢とか、そういうことを評価して…」


そこまで語って、馨は口を噤んでしまった。

言い過ぎたのではないか?と自分の言葉が耳に入って意味を成したときに気付いたのだ。

しまった!と後悔するが、口は災いのもと、後悔先に立たず、の諺がぐるぐると脳内を回った。


恐る恐る横に座る彼を窺えば、キラキラと瞳を煌めかせて、熱い眼差しを馨に送っていた。


出会ったばかりの相手に言うべき台詞ではなかったのに、嵩は不審がるどころか、甘やかに瞳を蕩けさせている。


「万紀さんはそう思ってくれるんですね!」


声にまで甘さを過分に含んで、弾んでいる。


「いや、まぁ、えぇ、そうですね」


躊躇いがちに応えれば、


「明日からやる気出るなぁ!」


と嵩は嬉しそうに笑った。


「あの、嵩さんは、その上司の方がお嫌いなんですか?」


おずおずと聞く馨の質問に、嵩はきょとんとした表情を浮かべた。そして腕を組んで、思案するように視線を遠くに投げた。


「いいえ、嫌いではないし、尊敬してますね。ただ、俺は悔しいんですよ、きっと」


晴々とした微笑みを弾けさせてから、嵩は立ち上がった。


「俺、あの人に完璧な企画だって言って貰いたいんだと思います」


スッキリしたなぁ、と溢してから嵩はそろそろ帰ります、と告げた。馨も立ち上がり、もう一度ペコリと頭を下げて礼を言ってから、彼と連れ立って公園を出た。

出たところで別れ、マンションに向かおうと身を翻したとき、


「また話したいです」


唐突に嵩が馨の手に紙を握らせてきた。

両手で彼女の手を包み、ぎゅっと強く握ると、にっこりと笑ってから嵩は駅に向かって走り去った。


呆然として立ち竦んだ馨の手には見覚えのある名刺が微かにくしゃりと皺を寄せて、のせられていた。

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