完璧女は友人と語らう
嵩が手直しした企画書にリストアップされた店舗を確認した馨がゴーサインを出した夜。
翌日に休みを控えていた彼女の部屋に久々に万紀が訪れていた。両手にはコンビニで買ったスイーツと酒が入った袋を提げている。
「適当なものしか作ってないけど」
相変わらずのスウェット姿で出迎えた馨に
「呑めればなんでもいい」
と答え、万紀は勝手知ったる我が家のように上がり込んだ。ソファには腰掛けず、床に直接座ると、万紀は嬉しそうに袋から酒を出してテーブルの上に並べていく。同じように買ってきたスイーツも並べた。
キッチンから馨が簡単なサラダやカルパッチョ、チーズのフライなどを持ってきてテーブルの隙間を埋めるように置いた。
用意してあった空のグラスを手にとって、万紀はビールを波々と注いだ。テーブルに並べられた10本以上ある酒はすべて、いくら呑んでも酔わない酒豪の彼女のものだ。
馨は下戸なので、自分用に準備していた炭酸水で自家製の梅ジュースを割った。気分だけでも、と彼女はいつも梅酒のソーダ割りもどきを飲む。
「最近どうよ?」
注いだビールを一気に喉に流し込んだ万紀がチーズフライを口に運びながら親友に聞いた。
それに肩を竦めて、馨は俯いた。
「相変わらず、てことね」
馨は投げられた言葉に、さらに身体を小さく竦める。それに視線を送った万紀は手酌でビールをまた注ぐ。
「仕事は順調なの…」
弱々しく声にしてから、馨はサーモンのカルパッチョを啄むように食べた。
「春のイベント企画も手応え感じてるし、部署のみんなもやる気はあるし、部長もなにも言わないし、好きなように働かせて貰ってる」
「……でも?」
「………………」
「相変わらず怖いんだ?」
問われた馨はこくりと首を縦に振った。
「部署の人たちとコミュニケーションも取れてるんでしょ?」
こくり。
「プライベートで会ったりとか、ないわけ?」
こくり。
「男もいるんでしょ?」
こくり。
「あんたほど綺麗でも誘われたりしないわけ?」
「…綺麗にしてるだけだから」
「バカね、スタイルキープして、綺麗にしてたら、それで充分だって。素っぴんで出歩くこと自体が女に生まれたからには稀有なことなんだからさ、化粧は女のスーツだよ、社会人として最低限のマナーなんだから、それをちゃんとして、しかも綺麗に仕上げてるんだから、なに、文句があるっていうのよ」
「でも、詐欺並に顔が変わるから…」
「別にデートしたからって、あんたのことだからすぐに素っぴん晒すわけじゃないでしょ?」
「そうだけど、なんか、不細工なのに、て思っちゃって」
「はぁ?あんたの顔は確かに地味だけどそれだけ。不細工じゃないよ、むしろ遣り甲斐のある顔面じゃん?」
「それは褒めでも、慰めでもないからね」
ねめつけるように馨は万紀を窺う。友人からのジトリとした視線を躱すようにビールを煽って呑んだ万紀は掌をひらひらと振って、ソファに座り直した。
「いいじゃん、化けた顔だけ見せておけばいいのよ、素顔なんて晒す必要なし!しっかり絡め取ってから晒せば詐欺とも思われないかも、だし?」
軽く言われて、馨はふと思い出したように口を開いた。
「昨日の夜、主任に会ったの、お弁当屋さんで」
「主任、て、あんたんとこの、わりとイケメンとか言う?」
万紀の言葉にこてんと首を傾げて、馨は唇を尖らせた。
「イケメンかどうか、わかんないけど、社内では人気かな。私としては仕事ができるなぁ、て感じなんだけど、いつもね、あとちょっと、て感じなんだけど、彼はそれ以上に人を使うのが、本当に上手なの。だから結局スムーズに物事が運ぶし、部内のモチベーションも上がって、いい仕事ができてるんだよね」
こくりと梅酒もどきを飲んでから、自嘲気味な笑みを溢す。
「本当に、それが、羨ましい…」
ため息混じりに洩らされた台詞を無視して、万紀はサラダから生ハムだけを取り出して食べた。
「んで、その主任て、背は高いの?」
「どうだろ?私からすればみんな高いんだけど」
小柄な馨は身長が160センチに満たない。ヒールでも履かない限り、ほとんどの人から見下ろされる状態だった。
「でも、部内でも大きいなぁ、て思ってたから180くらいはあるのかなぁ?」
ふぅん、と頷き、さらに万紀は畳み込むように質問を被せた。
「いくつ?」
「30前だったかな?」
「太ってるの?」
「細いよ、でもなんか、わりとマッチョだって、去年のレクリエーションのときに騒がれてたかな」
2年に一度、馨の働く百貨店では部署を越えての親睦を目論見にしたレクリエーションが開かれる。それが去年で、実施されたのは部対抗ソフトボール大会だった。企画部は女性比率が高かったのだが、嵩の活躍もあって準優勝まで漕ぎ着けることができたことを馨は思い出していた。
「顔は?」
「普通に整ってる感じ?」
涼しげな目元に、高くはないがシュッとした鼻筋、形のいい薄い唇は見方によっては官能的にも感じる。
触れてみたいような、ふわふわとした髪をいつも無造作に後ろに流している。
細身のスーツがさらに彼の魅力を引き立て、屈託ない笑顔に癒される、と給湯室で黄色い悲鳴と共に噂されているのを馨も何度か目撃していた。
「じゃ、なに?若くして主任で、背も高くて、シュッとしてて、イケメンで、しかもあんたの会社って、それなりの大卒じゃなきゃ入れないんでしょ?」
「そうなのかな?」
呟く馨自身も某有名国立大学卒業の身分である。
「なによ、超ハイスペックじゃん!」
万紀が叫ぶが、妬むように言っている彼女の彼氏も実はかなりのハイスペックであることを知っている馨は可笑しそうに笑うと、貴女の彼氏ほどじゃないんじゃない?と返した。
万紀の彼は薬剤師なのだが、実質は経営者だ。彼の父親が県の薬剤師会の会長に就いており、市内にいくつかある薬局の経営が彼の仕事になっていた。
見目良しのハイソな自慢の彼氏である。
「そんで、その主任くんがどした?」
「うん、お弁当屋さんで会ったんだけど、素っぴんスウェットの」
馨が言いながら、自分の姿を指差す。
「この状態だったの。気付かれたらどうしよう、とかすごく焦ったんだけどね」
「バレるわけないでしょ?別人なんだから」
カラカラと笑って万紀は新しいビールを開けた。
「しかもね、優しかったの。いつも私のこと、嫌いなのかな、て思うくらい睨む人なんだけど」
いつもダメ出しの辛辣なセリフを吐き捨てている自覚のない馨が可愛らしく首をこてんと横に倒した。
自分のために明太子弁当を注文してくれた彼を思い出す。柔らかな微笑みと慣れた感じの雰囲気に、張り上げた艶のある声。
そして慮るように気を遣ってくれた、優しさ。
あのときの彼は馨の知っている嵩ではなかった。
ふいに胸がきゅんと痛んだ。
「へぇ」
にたにたと眼を弧にして万紀が親友を見た。思わぬことにやや頬を赤らめた、その珍しい姿を。
「まぁ、仕事モードのあんたって、結構ヤな女だもんね、睨まれても仕方ないじゃん?」
「うそ?!」
「え?まさかの自覚なし?」
万紀の言葉にショックを受けたのか、馨は両手で口を覆って、これでもかと眼を見開いた。
そんな仕草すら四十路前には見えないほど可憐で可愛い。万紀は思って、思わず彼女の頭を撫でた。
「あんた、わりとキツいこと言うのよ、しかもあんた自体がスペック高いでしょ?それはもう、嫌味以外ないよね、ましてや男にとってはさ。睨まれる程度で済んでラッキーなんじゃない?」
「気をつけてたんだけどなぁ」
「そのままのあんたでいいよ、それが馨なんだから、今から変わる必要もない。でもね、できるだけ傷付けないようにだけは気を遣ってやんなよね」
そう言って、万紀は愛おしそうに馨の肩を抱いた。
この男っぷりの良さが馨には眩しくて、いつも無駄にときめかされるのだ。彼女のいつもよりも高い体温が心地よくって、馨は万紀の肩にこてんと頭をのせた。
「早くあんたも恋ができるといいね」
万紀の言葉が静かに部屋に木霊した。