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完璧女は化粧も完璧です

仕事を終えた馨は整頓されたデスクの上を隅から隅まで確認すると、小さく頷いた。

翌日の仕事の準備もしてある。

今日の分はかっちり終えてまとめてある。

必要な指示はすでにメールでしてあり、部長への報告も書面にして彼のデスクに置いてある。


完璧だ。


そこまで確認して、馨はホッと吐息を溢した。

それでも胸に一抹の不安が過る。

なにも問題はないのに、彼女はいつでも不安を抱いていた。これはもう性分だ。

強迫観念か、と大学時代に神経内科に通ったこともあったが、結論としては病気ではなかった。

性格なのだ、とあっさり医師に言われ、彼女は項垂れた。

性格なら受け入れるしかない、治ることはないのだ、と。


もう一度デスクを確認してから、彼女は部署の社員たちに先に帰るために挨拶をした。


上司である自分がいつまでも残っていたら帰りにくいだろう、と彼女は常に定時であがる。

部下が困っていたら手助けのため、残業することはあるが、それ以外では滅多に残らない。


故に完璧女は仕事をさっさと終えて素敵な彼氏との時間を大切にするのだ、と社内で密やかに甘やかに囁かれているが、38歳の乙女である馨は独身であり、かつ恋愛未経験者でもある。


極度の恥ずかしがり屋で、実は小心者である彼女は臆病風に吹かれて、人と付き合うことができなかったのだ。友人も少なく、気の置けない人間関係はまさに母親だけ、という一人っ子だった。


それというのも…


「ただいまぁ」


疲れた声で玄関を開けて部屋に入ると、彼女は真っ直ぐにバスルームに向かう。

実家から通うには遠すぎる職場のため、近くの中古マンションを購入して、そこから通っている。


もちろん彼女の挨拶に返るものはない。

独りで3LDKの部屋に住んでいる。


玄関横の部屋は全てをクローゼットに、廊下を挟んだ部屋は納戸に、キッチン横のもう一部屋は趣味部屋として本棚に囲まれた図書室のような空間になっている。

そして広々としたリビングをワンルームのようにして生活していた。

ソファセットとベッドがあるだけのリビング。


脱ぎ捨てたスーツを跨いでバスルームに飛び込んだ彼女はいの一番に化粧を落とす。

ついでのように全身を洗い流し、さっぱりとした表情で短いバスタイムを終えた。

休日以外は湯船にお湯を張ることはない。

張れば勿体無いのでゆっくりと入る。たっぷりの時間をかけて、お湯に浸かりながら本を読むのがなによりの至福なのだが、平日にするのは時間が勿体無い。

だから休日以外はシャワーだけの、烏の行水なのだ。


真新しいバスタオルで全身を拭いた彼女が、ふと鏡を眼にした。そして深いため息を吐く。


そこには日本人には羨ましいほどのメリハリのあるプロポーションを誇る身体が映っている。

が、その顔はおそらく誰もが二度見するほど平凡なものだった。


一重の糸目。

小さな鼻。

唇だけはぽってりと可愛らしいが、それだけだ。


毎朝、1時間以上をかけて仕上げる化粧によって馨はまさに化けるのだが、実際のキャンバスは実に地味で平坦なものなのだ。

高校まで化粧マジックを知らなかった彼女は成績こそ優秀で、抜群のスタイルだったが、


「あの顔にあの身体は宝の持ち腐れだ」


と陰口を叩かれていた。

自分の地味な顔を理解していたが、陰口を叩かれるほどだとは思ってもおらず、男女問わずに囁かれていた心ない言葉に傷付いた彼女はすっかり自信を失ってしまった。


大学で出会った親友、桂万紀(かつらまき)


「あんたのその地味なキャンバスは無限の可能性を秘めている!」


の一言と、魔法のような化粧テクニックのお陰でどうにか表面を取り繕うことができたが、今度は素顔を晒せないようになってしまった。


見事な肢体と鮮やかな化粧マジックで、馨はモテたが、誰に心を許すこともなく、もちろん素顔を見せることも身体を開くこともなく、38まで過ごしてきた。


そのせいで拗れに拗れて、誰かを好きになることはおろか、人と関係を築くことすら怖がる臆病者になってしまった。

仕事を介してなら馨は誰とでも対等に、かつ感じよく対応できるが、仕事というフィルターを外してしまうと挨拶ひとつ、まともにできなくなるのだ。


今日も今日とて、鏡に映った自分に悩み深いため息を洩らし、彼女はスウェットに着替えた。

髪を無造作にひとつに括ってから、くぅ、と鳴った腹に手を当ててキッチンへ向かう。

そして冷蔵庫を開けて、愕然とした。


「買い物、しないと、なんにもないじゃん…」


バターと牛乳、漬物、ペットボトルのお茶。

それだけ。

野菜室も見事に空っぽ。


冷凍庫には氷のみ。


週末に買い物をして、それっきりの冷蔵庫は木曜の夜には空になる。それを忘れて帰ってきた自分に腹が立つ。


馨は盛大にその平凡な顔を歪めると、諦めたようにバッグから財布を出した。仕方ないから近くの弁当屋でなにか買おう、と上下スウェットの素っぴんでサンダルを突っ掛けた。


玄関の姿見で一瞬、自分の姿を眼にしたが、これがあの完璧女の花巻馨だとは誰も思うまい、と確信して、シューズクローゼットの上に置いてあるメガネをかけて、鍵を手にした。


夜道は暗い。


日常、それほどメガネを必要としないが、暗いとほぼ輪郭すらあやふやになる程度には眼が悪い。車の運転と夜道にはメガネが欠かせなかった。


「なにを食べようかなぁ」


呟く声は嬉々として弾んでいる。

頭のなかはのり弁か、明太子弁当か、それとも冒険して唐揚げか?と今から行く弁当屋のメニューでいっぱいだった。

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