最長のひと月
異世界に来て二日目、一か月間の地獄が決定した日からちょうど三十日が経った。つまり長い訓練と教育が終わりを告げたのである。しかし、あれは訓練や教育と言うにはあまりにも苦だった。拷問のほうが適してると思われるぐらいには。
この一か月間の日程をおさらいしよう。
一日目が朝食から始まったからおさらいもそこからにしよう。朝食を食べ終わったらまずこの世界の知識を身に着けるところからだ。ひたすらにこの世界の“当たり前”を覚える。最初の数日間は、俺自身の知識の確認や、地球のことについてをフレニアに共有したりもした。最後のほうの数日間なんかは、多少一般常識から外れたことも覚えることになっていた。それだけでなく、魔術なんかについても教えてもらった。おかげで、いくつかの便利な魔術は唱えられるようになった。そんな緩い時間が太陽が真上に来るまで、つまり正午まで過ぎていく。問題はそこからだった。戦闘訓練だ。フレニア曰く、「死ぬ気になればよく伸びる」とのことで、フレニアの魔術によって作られた、肉体にダメージがなくても痛みを伴うという攻撃が無数に浴びせられるのだ。ある時は、無数の弾幕として。またある時は、複数人の人型の影が武器を持って襲ってくる。もうこれは辛いとかじゃない。悲しくなってくる。いかに自分が無力かが、嫌でもわかってしまうのだ。しかし、この訓練の攻撃はとにかく痛いのだ。今までこんな痛みを味わったことは一回しかない。二階から落ちた時だ。あれは嫌な事故だった…。話が逸れたな。気を取り直して、この訓練の終わりは、日没が訪れるか、俺の攻撃がフレニアに当たるかのどっちかである。攻撃を当てるっていう方は、この一か月で一回も達成できなかったが…。一応フレニアからの攻撃を数分避け続けると、プロコーピーが何らかの武器を投げ込んでくれるのだが、フレニアはこの武器を取らせるつもりが全くない。数回取れたことがあったが、取ったとしても当てるのはほぼ不可能である。フレニアの能力はかなり高いのである。この世界基準ではわからないが、身体能力だけでも地球基準ではかなり高い。確実に。というか、助走なしで高さ約1.7mを一回転しながら跳べる人間っているのか…?瞬発力も恐ろしいし、何より記憶力だ。普段の生活を見ていると記憶力がずば抜けていることがわかる。
日没が来ると夕飯である。かなり量が多く、時間もかけて食べるのだが、なかなか味が良いのである。全てプロコーピーが作っているらしい。機会があればコツなんかを教えてほしいものだ。夕飯のあとは、言語と思考速度のトレーニングの時間である。これはとにかく忙しいのである。できる限りとにかく早く文字を追ったり、この世界の言語の早口言葉を聞き取り、口に出す。などである。この訓練は、何とも言えない漠然とした焦燥感がある。言語的な訓練のほかにも、簡単な暗算をいっぱい解かされたりした。あまり効果が感じられないのだが、効果はあるらしい。フレニアが言っていただけなので、本当かはわからないが。しかし、言語習得のほうは問題なかった。難しい言い回しなどは、まだ理解できないが、フレニアの補助なしで大抵の文章は読めるし、聞き取れるし、発言でき、筆記できるようになった。この訓練が終わると、一日は終了。無事睡眠時間である。朝は大抵日が昇り始めたときに起きている。この時間、フレニアはまだ寝ていて、朝食のタイミングで起きてくるのだが、夜明けから朝食まで、そこそこ時間がある。この時間、俺は前日の午前や夜の復習や、個人的に気になったことを書庫で調べたりするようにしていた。
…ここまでの話だけだと、戦闘訓練だけが辛いだけで他にすごく苦しいことがあるとは思えないだろう。しかし、残り一つの訓練が一番つらかった…。主に精神的に。その目的というのは、顔や態度にすぐ影響が出るところを矯正することなのである。内容は、フレニアの魔術が不定期に、俺に不快感を与えるというものだ。不快感というのは具体的に、思い出したくもない嫌な思い出や恥ずかしい出来事、恐怖を感じたことなどの俺自身の過去の記憶を強制的に思い出させるものや、突然の幻痛に襲われたり、様々な幻聴、幻覚など、多彩な方法で顔や態度に不快感を表させようとしてくるのである。そして顔や態度、言動に何らかの影響が認められると、その場ですぐに罰が下されたり、戦闘訓練の内容が厳しくなったり、夜に戦闘訓練を行うようになったりと、何らかの“お仕置き”がある。しかも、この不快感はいつでも来るのである。寝ていても、食事をしていても、戦闘訓練中にも…。思い出したら気分が沈んできた…。
まあ、そんなことを考えてないで朝食の残りを食べることに……痛えっ!?
いきなり右手に激痛が走った。危うくフォークを落としかけた。ここで落とさなかったのはこの一か月の訓練の賜物だろう。
おそらくこの痛みの原因であるフレニアを見る。するとニヤッとしながら、
「何を考えていたかは知らんが、過去の苦しいことを思い出していたような顔をしていたぞ?」
と言ってきた。…魔術に思い出させられてたか。
「フレニア様。シルベスタ様はこの一か月でよく成長しました。からかうのはやめてさしあげてください。かわいそうです」
ああ、プロコーピーよ。お前は優しいな、主人と違って…。
「なんじゃ、シルベスタ。顔に出てなくても、わしはある程度はわかるのだぞ?」
「いえ、特に。お気になさらず」
フレニアがわざとらしく目線で天を仰ぐ。
ふと思念を読み取る能力のことを思い出す。この能力のことは、一か月間で全く触れていなかったから忘れていた。フレニアが、「そんなものは訓練しなくても大体使えるんじゃ、鍛えなくても良いぞ。」と言っていたからだ。しかし、やはり鍛えておいて万全にしておいた方がいいのではないだろうか。これからちょっとずつ鍛えておこう。
朝食の残りをちょうど食べ終わり、フレニアに気になっていたことを聞く。
「ところでフレニアさん。これからはどうするんですか?」
「うむ。しっかり考えてあるぞ。しかし、この話をするにはまだ早い。というより、まだ揃っていない」
「揃っていない?それはどういう…」
「おっ久しぶりいいぃぃ!!!!」
突如背後から大音声と轟音が聞こえてきた。後ろを向くと、家の壁が変わり果てた姿になっていた。もともと壁があったところには、短い金髪の少女が満面の笑顔で立っていた。
驚いて心臓の鼓動が大きくなっている…。
「…何度言えばわかる。入口から入れ!」
「前にそう言われたからね。今日はちゃんと入ってきたじゃない。窓から」
金髪少女は当たり前のことのように答えた。いい笑顔で。
「お主がわざとそういうことがしてるのはわかってるんじゃよ。なんでこんなことするんだか」
フレニアがあきれたように返す。
「まあまあ、お堅いこと言いなさんなって。ヘムちゃんがどうせ直してくれるんだから。」
「いくら直るのがわかっておっても、我が家が崩れるのを見るのは気分がよくないんじゃよ。」
そうブツブツ文句を言っているフレニアを笑顔で見ている金髪少女はいまだに笑顔のままである。
「で?そこで呆けた顔のまま固まってる子が例の彼かい?」
「そうじゃよ。こちらでの名はシルベスタ」
「君が!よろしくねシルベスタ君」
笑顔で近づいてきて握手を求めてきた。俺は思い出したように体を動かし、握手に応える。この一か月で過去にフレニアが言っていた七魔人について調べた。今までの状況や、この少女の容姿から考えると、この少女の名はイミアス。七魔人の一人であり、その能力は『身体』。詳細は一般には知られていない。
「ああ、シルベスタよ。もう知ってると思うが、この扉と窓の見分けもついていない阿呆の名はイミアス。わしと同じ七魔人の一人じゃ」
「“阿呆”ってひどいなあ。冗談に決まってるじゃん」
「冗談だからと言って、限界があるじゃろ。それもわからんのか」
と、二人の少女は言い合っている。
するともともと壁のあったところから、二人のフレニアほどの身長の人影が入ってきた。髪の色はそれぞれ、青と橙色。その中性的な容姿により性別は判定できない。髪の長さは二人とも同じであり、腰少し上らへんまで伸ばしている。
「やあ、イミアス。今日も元気だね。なんかいいことでもあったのかい?」
橙色のほうがイミアスに親しげに話しかける。
「そりゃ、みんなに会えるのがうれしくてだね、きっと。久しぶりシガちゃん、ルゴちゃん」
「なかなか、嬉しいことを言ってくれるね」
青髪のほうはさっきから一言も発していなく、基本的に無表情だったが、今のイミアスのセリフで少しうれしそうにしている。
「…知ってると思うが、今の二人はシガリカとルゴグナ。喋る方がシガリカ、喋らない方がルゴグナ。二人とも七魔人じゃ」
「紹介にあずかったシガリカだよ。」
橙色の髪を整えながら、話しかけてくる。
…少しの間が空いて、シガリカがルゴグナの背をたたく。ルゴグナは慌ただしく口を開く、
「あ、えっと、紹介に与りましたルゴグナです…」
かなり小さい声で言う。
「いや、ごめんね。この子は少し人見知りでね。まあ、私達二人は姉妹とか、兄弟みたいなものでね。二人で一人、という感じでやらせてもらってるよ。ま、これからよろしく頼むよ」
「はい、よろしくお願いします。あ、私はシルベスタと言います」
「うん、聞いているよ」
シガリカは、すでにフレニアの隣に座っていたイミアスの隣にルゴグナに座るよう促し、本人は俺の隣に座った。
七魔人についての情報に誤りがないことが確認できた。
「やあ、となり失礼」
シガリカは、『合成』。ルゴグナは、『分解』をそれぞれ権能としているらしい。
「あのな、もっと均等に座ったらどうなんじゃ。暑苦しくてかなわんわ」
今、八角形の机には、フレニア、イミアス、ルゴグナ、シガリカ、俺の順番で並んで座っている。確かにかなりバランスが悪い。
「まあまあ、良いじゃないですか。私達仲良しですし?」
「仲良しを名乗るなら壁を壊すんじゃないわ」
「そして、その後始末を他人に丸投げにするのもやめてほしいものだな。」
「おっと、来てたんだね。毎度ありがと、ヘムちゃん」
いつの間にか、元、元壁のところに男が立っていた。壁はきれいに直っている。明るい緑色の髪をしたその男はため息をしてこっちに向かってきた。
「初めまして、シルベスタ君。私はヘムート。そこにいるみんなと同じ七魔人で、『物体』を司っている。今後ともよろしく。」
と、今までのメンバーの誰よりも丁寧に自己紹介をする。その動作は紳士的であり、かなり品が良い。
「よろしくお願いします」
そして、ヘムートはフレニアの隣に座っていた紫髪の女性の隣に座った。
…いや、誰だよ!?…あ痛ッ!?
驚きを隠せなかったらしく痛みが体を走った。
「フレちゃん…、結構えぐいことするよね…」
「教育じゃよ」
「行き過ぎは良くないと思うけどな」
「鞭がきつすぎると、逆効果になることもあるからな、フレニア、気をつけろよ」
味方がいるというのはなかなかに嬉しいものではないか…。
「わかったわかった。さっさと本題に移りたいから、話を進めるぞ」
「…逃げたね」
「逃げたな」
「ええい!黙れうるさい。シルベスタ、このわしの右隣に座っておるのは、クロイシュルト、ここに集まる予定の者の最後の一人じゃ。『時間』を司っている。これで十分じゃな?どうせ七魔人全員について調べてあるじゃろ?」
「ええ、まあ」
「なら良し。クロイシュルト、何か言いたいことはあるか?」
「いいえ、特には。進めていいわよ」
クロイシュルトは紫色の髪の女性である。七魔人について一番記述があったから、すぐに分かった。
俺とプロコーピーを除いて、六人。七魔人が全員揃った。そう、七魔人だというのに、六人しかいないのだ。残り一つの枠『魂魄』はいないらしい。
「うむ。それではこれから、今後、どう動くかについてみんなで相談しようと思う」
フレニアがそう言い、七魔人による話し合いが始まった。
……そういえば七魔人のメンツって、髪の色カラフルだよな。っていうか虹の色だよな…。なんでなのだろうか。みんなで揃えてるんだろうか、そうだったらなんかお茶目で面白いな。
フレニアがこっちをにらんでくる…。
変なことは考えるなってことだろう。