灯り
村野歩は猫派だ。犬と猫どっちが好きかと聞かれたら、迷わず猫と答えるくらいには猫派である。
だから、大学1回生から始めたバイトの帰り道、たまたま出会った猫を追いかけてしまったとしても、それは仕方のないことだと自分に言い聞かせた。
ただ、それにしても
「早すぎる…。」
思わず声に出た。
「はぁ〜…。」
前を見て、ため息も出た。ここまできたら意地だと、歩は足を持ち上げた。
働き始めてそろそろ2年になる、バイト先のコーヒーショップからの帰り道。実家の近所はなんとなく嫌で、最寄駅の一つ隣、駅前、ちょっと非日常、それが決めてだった。
いつも通り、店長に別れを告げ、エプロンをロッカーに放り込み店を後にする。電車で一駅、改札を出て徒歩10分。スマフォでお気に入りの音楽を聴きながら、SNSをそれとなく見ながらの帰路につく。歩はこの時間を気にいっていた。
「まぶしっ…」
最近は日が落ちるのがはやくなった。電車の中よりも画面の明るさを強く感じた。慣れた手つきで明るさを調節し、音楽アプリのプレイリストにお目当の曲を見つける。
にゃーん
そんな声が聞こえたのは、再生ボタンに指がかかる直前だった。
声は下からした。
画面をどかすと、ちょうどのところに、1匹の白い猫がいた。野良猫にしては毛艶が良く、触れると沈み込みそうな毛並み、それになんとなく猫の周りがぼんやり光っている気がした。
歩は思わずスマフォを上着のポケットにしまい、しゃがみ込んだ。
「お月様みたいにまん丸やね。」
季節的にそう思った。
そう言ってひと撫ですると、猫は嬉しそうに目を細めた。先程感じたぼんやりとした光は、すでになくなっていることにふと気づく。さっきのは気のせいだったようだ。スマフォの画面を見すぎたせいかもしれない。
そんなことを考えていると、
にゃ〜ん
と催促するような鳴き声。
「ごめん、ごめん。」
なんとなく謝ってしまった。
少しの間、撫でてやっていると、不意に白猫は向きを変えてかけはじめた。少し先の曲がり角で止まってこちらを見ている。
にゃーん
いや、呼んでいるようだった。
「どこいくのー?」
追いかけないといけない、なぜかそう思った。立ち上がって、意味もなくお尻を叩くと、我儘姫の後を追う。別に王子でも良いのだけど、歩はこの猫がなんとなく女の子な気がしたのだ。
白いもふもふの塊が、ちょっと進んでは、歩の方をちらっと後ろを振り返る。追いつきそうになると、また進んでは振り返る。その動きがまるで急かしてくるようで、歩はその度に小走りで追いかけた。
途中、昔よく友達と屯した空き地がコインパーキングになっていた。高校の下校途中に買い食いしていた個人商店がコンビニになっていた。なんとなく寂しい気持ちになった。
猫を追いかけて夜闇に目が慣れてきていた歩には、現代の明かりは、明るすぎるように感じたのだ。
路地を何度か曲がる。この道は知らないような気がする。少し不安が襲う。かれこれ10分以上は経っているのではなかろうか。
高校では陸上部に所属していた歩は、体力にはそれなりの自信があった。しかし、お姫様はめちゃくちゃ早かった。向こうは優雅に歩いているように見えるのに、何故か全然距離が縮まらないのだ。
すっかり街頭のライトが明るくなった頃、歩は高台の公園の前にいた。あと階段を20段ほど上がれば、小さい頃両親によく連れてきてもらった公園だ。知っている景色に、少し心が楽になった。
真っ白なお姫様は、まるで女王様のようにすでに階段の上にいた。はやく上がってこいと言わんばかりにこちらを見ている。
ここで冒頭のため息である。
「登れば良いんでしょ、登れば…。」
ここまできたら意地であった。どこに連れて行ってくれる気なのかは分からないが、歩はこのお姫様にもう少し付き合ってみようと思ったのだ。
少し重くなっている足を持ち上げ、石畳みの階段を登る。目はすっかり暗がりに慣れてきて、階段の途中にひび割れを見つける。そういえば昔からあったなぁと、変わらないものに何となく安心する。
1番上につくと、今度はお姫様も待っていてくれた。
「やっと、追いついた…。それで…、私を、どこに連れて行きたかったの?」
息を整えつつ、足元に目をやる。
にゃっにゃっ
お姫様が今度は短く鳴いた。何故か誇らしそうに、歩の後ろを見つめている。
目線の先が気になって、歩は振り返って驚いた。
「きれい…。」
ただそう思った。
「うちの町にも、こんなに夜景が綺麗に見える場所ってあったんだね。」
呟くように声に出た。
流れるような車のテールランプ、マンションの部屋に灯る明かり、遠くの小さな赤いランプは電波塔だろうか。
その光の粒1つひとつに、人々の営みを感じた。それは遠くの光だったが、手のひらのディスプレイ越しに見る世界よりも、とても人間を感じたのだ。
ぼんやりと夜景を眺めていると、なんだか急に家族が恋しくなった。
「うん、帰ろう。」
口に出すと寂しさが急に襲ってきた。気温も低くなったように感じ、少し身震いを覚えた。お腹も空いてきた。母の手料理が食べたくなった。
ここまで案内してくれた彼女は、すでに階段を降りはじめていて、こちらを振り返ると『ほら、早くお帰りなさい』と言っているようだった。
「ありがとう」
お礼を言いながら追いかける。帰り道は、一緒に隣を歩いてくれるようだった。少しもの寂しい気持ちになっていた歩の心を、ひと時だけ埋めてくれるようで嬉しさに少し口角が上がる。
最近のお気に入りの曲を鼻歌で歌うと、にゃっにゃと隣から合いの手が入った。
帰り道の途中、コンビニからは肉まん片手に女子高生が出てくるのが見えた。部活帰りの途中だろうか。少し先のコインパーキングでは、大学生の集団が屯しているのが見えた。まだまだ仲間と話し足りないようだ。
「もう大丈夫。」
自分に言い聞かせるように呟いた。足元の相棒を見ると、『本当に大丈夫?』と尋ねるように目と目があった。
「大丈夫。」
今度はしっかりと、相手に伝えた。もう彼女についていて貰わなくても、幾分か寂しさは和らいでいるのが分かったのだ。
彼女は一声鳴くと、駅の方へと向かって行った。また誰かを誘いに行ったのかもしれない。彼女の後ろ姿を見送ると、歩も家への道を急いだ。
普段は何とも思わないような、信号待ちがもどかしい。家はこんなに遠かっただろうか。普段より距離が遠く感じる。家が近くなるにつれ、歩く速度が速くなる。
家の明かりが見えて、気分が高なった。門を開けて、玄関までの階段を1段飛ばしで駆け上がった。
「ただいまー!ねぇ、高台の公園覚えてるー?」
今日の夕飯は何だろうか。昔の思い出を、みんなで話しながら団欒するのも良いだろう。そんなことを考えながら、歩は勢いよく玄関扉を開けた。
はじめまして、紅トラです。
本作品は処女作になります。
生まれて初めて、物語と呼べるものを書きました。
至らぬ点だらけの文章だったかと思いますが、楽しんで読んでいただけたなら幸いです。
さて、私の持論ですが、後書きや解説が面白い本にハズレはないように思っています。
そのため、自分が物語を作った時も、何か残せたらと考えいました。
本作品の主人公、歩はどこにでもいる大学生です。
バイトをして、友達とSNSで盛り上がって、両親のいる家に帰る。そんな女の子を書きました。
そんな彼女が、日常の中で忘れてしまっていたものを見つけ出す、そんな話を書きたいと思いました。
白いお姫様は、本編のナビゲーターです。歩が日常から出かけて、戻ってくるのを助けてくれる存在として登場します。
物語作りの忠実に、色々と詰め込んだつもりです。
少しでも見つけていただけたら嬉しいです。
今後もよろしくお願いします。