クール系女子、目が死ぬ
「ん……」
意識を取り戻して、真っ先に認識したのは白い天井と消毒液の臭い。
(そっか、私……)
徐々に意識がはっきりしていくにつれ、自分の身に何が起きたのかを思い出す。
そこで右手が温かい感触に包まれているのを感じ、そちらに視線を動かすと、そこには私の右手を両手で握って目を瞑っている倉瀬君がいた。
恐らく私を保健室まで運んで、そのままずっと見守っていてくれたのだろう。
(ありがとう、倉瀬君……)
……うん、まあ惜しむらくは……
小さな丸椅子の上で結跏趺坐するっていう、頭と難易度がおかしいことをしてなければもう少し素直に感謝出来たんだけどね!!
(……よくもまあ、こんな無茶な体勢で倒れないなぁ)
そんなことを現実逃避気味に考えていると、倉瀬君の両目が開かれた。
「ああ、気付いたんだね渡井さん。よかった」
「うん……わざわざ見ていてくれたの?」
「まあね、保健の先生もいなかったし」
「そっか……ごめんね? 迷惑かけて」
「気にしないで。僕が好きでやっていたことだから」
「……そう」
優しげな顔で言われたその言葉に、妙に居心地が悪くなる。
どうしても倉瀬君の顔を直視出来ず、視線を逸らすと、自然と倉瀬君に握られている右手に視線が向いてしまった。
すると、倉瀬君が少し慌てた様子で手を放した。
「あっ、ごめんね?」
「あっ、いや、別に……」
そんな反応をされると、私も妙に気恥ずかしくなってしまう。
目を覚ましたら恋人に手を握られていた……なんて、まるでドラマのワンシーンみたいだ。うわっ、そう意識するとなんかすごく恥ずかしい!
慌てて寝返りを打ち、倉瀬君に背を向けると、自分の顔を両手で押さえる。
手に触れる頬は既にじんわりと熱を持ち始めていて、自分の顔が赤くなっているのがはっきりと分かった。
……が、続く倉瀬君の言葉を聞いて、物凄い速度で熱が引いた。
「少し、ね。渡井さんの右手を通じて、気の流れを読み取っていたんだ」
「……Pardon?」
顔から両手を離すと、これ以上ないほどの真顔で振り返る。
「いや、僕なりに渡井さんの体調を診てみようと思ってね。他人の体内の気を読み取るのは初めてだけど、意外とやってみれば出来るもんだね」
「……そっかぁ」
うん、自分ではっきりと分かるよ。
今の私の目、完全に死んでるって。
色々と言いたいことはあるけど、本人が至って大真面目な顔で堂々としているから何も言えない。
しかしそれでも、これだけは聞いておきたい。
「なんで結跏趺坐?」
「ん? 意識を集中するためだけど?」
「……だったら半跏趺坐にすればいいんじゃないの?」
その方が、片足を下ろせる分楽だと思うんだけど。
しかし、そう言うと倉瀬君の両目が大きく見開かれた。
「……盲点だった」
「なんでやねん」
思わず関西弁でツッコミを入れてしまう。
いや、でも普通気付くでしょ! というか、結跏趺坐を組む過程で自然と半跏趺坐になるんじゃないの!? 片足を組んだ時点で半跏趺坐になるんだからさぁ!!
「両足を一遍に組んだから……気付かなかった」
「まさかの」
組み方が予想の斜め上過ぎた。本当に器用ですね。
というか、本格的に倉瀬君の様子がおかしい。この1週間、一体何があったの?
「……ねえ、1週間休んでいる間、何をしてたの?」
少し迷ったが、結局私は素直に聞くことにした。
……恋人同士なら、本来もっと早くに聞くべきだったのかもしれないが。
一体どんな答えが飛び出して来るのか。
軽く身構える私に、倉瀬君は片眉を少し上げると事もなげに答えた。
「ん? いや、ちょっとじいちゃんのところに行ってたんだ」
「お祖父さん? 何かあったの?」
「ああいや……少し、人生相談にね」
「人生相談? 1週間も?」
「まあ、ね……実は、僕のじいちゃんはお寺の住職をやっててさ。相談をしながら、お話を聞いたり座禅を組んだり……まあ色々と」
「へぇ……それで、その……ちょっと雰囲気が変わったんだ?」
「はは、分かる?」
(分からいでか!! というかオブラートに包んで言ったけど、実際にはちょっとどころじゃなく変わってるからね!? 雰囲気というより言動が!!)
思わず口に出したくなったが、すんでのところでぐっと呑み込む。
完全に納得したわけではないが、どうやら倉瀬君はこの1週間で気とやらに目覚めたらしい。
いや、本当に納得したわけじゃないけど。したわけじゃないけど!!
「それで……人生相談は上手くいったの?」
言いたいことを呑み込んで、代わりに別のことを聞く。
すると、倉瀬君はまた何やら遠くを見るような目をし出した。
そして、どこか慈しむような笑みを浮かべて言った。
「うん、自分の視野がいかに狭かったのか……よく分かったよ」
「ふぅん?」
当然のことながら、私にはなんのことだか分からない。
不明瞭な反応を返すと、倉瀬君は微苦笑を浮かべながら言った。
「まあ簡潔に言うと、小さなことにこだわらないことにしたんだ」
「……そう」
やっぱりよく分からないが、これ以上聞くのはやめておく。
倉瀬君が敢えてぼかして言っていることに、無神経に踏み込むべきではないだろうと思ったのだ。
納得したことにして、ゆっくりとベッドの上で上体を起こす。
すると、またしても軽く眩暈がした。
思わず額を押さえると、すかさず倉瀬君が背中を支えてくれる。
それに礼を言いながらしばらくじっとしていると、ようやく眩暈が治まった。
すると――
くきゅるっ
……今度は、お腹が空腹を訴え出した。
その音は静かな保健室に驚くほど響き、私はがばっと自分のお腹を押さえた。
しかし、そうしたところで一度響いた音は誤魔化せない。
先程とは別方向の羞恥で、自分の頬が熱を持つのが分かる。
(うあああぁぁぁ~~!! なんでそんなに音が鳴るのぉ!? 恥ずかしい! お腹が鳴る音を聞かれるとか女子として終わってる! こんなことならちゃんと朝食べてくるんだったぁ!!)
お腹を押さえて俯いたまま、脳内でひたすら悶える。
すると、内心で煩悶する私の耳に、こぽこぽと液体を注ぐ音が聞こえた。
チラリとそちらを見ると、倉瀬君が水筒のコップに何かを注いでいるところだった。
そして注ぎ終わると、スッとこちらにコップを差し出してくる。
「これ、よかったら飲んで? 少し落ち着くと思うから」
「……ありがと」
どうやらさっきの音については聞かなかったことにしてくれるらしい。
倉瀬君の気遣いに心の中で感謝しつつ、コップを受け取る。
すると、なかなかに特徴的な香りが鼻を突いた。
「これ……なんのお茶?」
「ああ、それは薬膳茶だよ」
嗅ぎ慣れない香りに思わず眉をひそめてしまったが、返ってきた答えを聞いて安心する。
茶葉だけじゃなく他にも色々混ざっているなら、嗅いだことのない香りがするのも納得だ。
「へぇ、私薬膳茶なんて初めて飲むよ」
「大丈夫、じいちゃん直伝のだからよく効くよ」
おおっと、一気に不安になったぞ?
え? これ飲んで大丈夫?
私までなんか気とか感じ取れるようになっちゃわない?
まるで得体の知れない薬品を渡されたような気分に襲われ、コップを持ったまま完全に硬直する。
すると、そんな私を見て、倉瀬君は「ああ!」と声を上げた。
「僕のコップを使うのが気になるなら大丈夫。さっき飲み口の部分をそこのエタノールで消毒しておいたから」
「そこまでしなくていいよ!?」
そしてそっちじゃねぇよ!?
ああでも、ここまで言われて「あなたのお祖父さんのオリジナルレシピってところが信用出来ないんです」なんて言えるわけがない。
ええい腹を決めろ、渡井愛佳。
飲んだところでまさか死んだりはしないだろう! よし、飲むぞ!!
ごく、ごく……
……薬膳茶は無駄においしかった。そして、たしかに体調も心もすごく落ち着いた。
ただ……なんか負けた気がした。
半跏趺坐:その名の通り、結跏趺坐の片足だけを組む座り方。これなら普通の人でも出来る。むしろ出来ない人は体が固いと思われる。
「Pardon?」:「なんて?」
「なんでやねん」:「なんでだよ」
「分からいでか!!」:「分からないはずがないだろう!!」