ヨゴレ系女子、溜息を吐く 前編
「おはよ~」
「お~久しぶり~」
「うわっ、お前めっちゃくちゃ焼けてんなぁ」
「ちょっと! アンタどうしたの? その髪!」
「えへへ~思い切って染めちゃった」
「まさか、男か! 男なのか!?」
夏休み明け。久しぶりのクラスメートとの再会に、教室内は夏の暑さとは別の熱気に包まれていた。
高校2年生の夏は、来年には受験生のあたし達にとっては、思いっきり羽目を外す最後の機会だ。だからかは知らないが、今年は例年にも増して、夏休み明けに目に見える変化をした生徒が多い気がする。
肌が真っ黒に焼けた男子。急にあか抜けた女子。ひと夏の経験をしたのか、なんだか余裕と優越感を漂わせる者もちらほら。そして……
「……? なに? 仲澤さん」
「いや、別に」
……なんか、悟りを開いちゃった男子。
始業前でエアコンのついていない教室内。誰もが下敷きや扇子で顔を扇いだり、襟元を掴んでバサバサ空気を送り込む中。1人だけ涼しい顔をした倉瀬君。
……なんというか、一部のクラスメートとは別次元の余裕を感じさせる。
「な、なあ倉瀬。お前は夏休みどうだったんだ?」
「ん? まあ……いろいろあったよ」
「お、おう。そうか……実は、俺もイロイロあってなぁ」
「へぇ、そうなんだ?」
「あ、うん、まあ……やっぱなんでもないわ」
「そう?」
「ああ…………ハハハ」
なんか、明らかに話を聞いて欲しそうな思わせぶりな態度をしていた隣の席の男子が、今はすっかり委縮して小っちゃくなっている。登校してきた時は、「見ろよこの余裕。一皮剝けちゃった俺は、夏休み前とは一味違うぜ?」みたいな顔してたのに。ちょっと大人の階段を上った程度では、生物としての位階が上がってしまったっぽい倉瀬君には太刀打ち出来なかったらしい。
そんな、浮ついた他の男子とは違って実に落ち着いた余裕を感じさせる彼に、クラスの女子もチラチラと熱い視線を送っている。何気なくそちらに足を向けると、女子達の話し声が聞こえてきた。
「(ねぇ、なんか倉瀬のやつ雰囲気変わってない?)」
「(あ、分かる。なんかすっごい大人っぽくなった)」
「(うんうん。なんだろ、別に外見は変わってないんだけど……)」
倉瀬君の方を見ながら、コソコソと囁き交わす女子達。その中でとりわけ派手な山下という女子が、どこか肉食獣めいた笑みを浮かべて言った。
「(なんかさ~ちょっと良くない? あたし狙っちゃおっかなぁ)」
これは流石に聞き捨てならず、思わず話に割り込む。
「ちょ、ちょっとごめん。待った。倉瀬君は、愛佳と付き合ってるんだけど?」
突然話に入ってきたあたしに驚いたのも一瞬、山下はすぐにあたしの言葉を鼻で笑い飛ばす。
「付き合ってるったって、あれただの渡井の男除けっしょ? 全然彼氏彼女って感じしないし」
「あ~たしかにね~。わたしもあの2人が一緒に帰ってるとこ見たけど、ホントただ手を繋いでるだけって感じだった」
「え? じゃあ実質付き合ってるフリってこと? だったら……アリかも」
山下の言葉に周囲の女子も賛同を示し、倉瀬君の方にギラっとした視線を向ける。流石に気付いたのか、そこで倉瀬君がパッと顔を上げてこちらを見ると、小首を傾げながら静かに笑みを浮かべた。
同じ10代とは思えない、妙に大人びた微笑み。「どうしたの? 僕に……何か用かな?」みたいなセリフが、しっとりとしたイケボで脳内再生されそうな紳士スマイル。
これには、どこか軽薄な雰囲気で盛り上がっていた女子達も目を見開いて固まった。中にはうっすら頬を赤らめている者もいる。
「っ、あたし、行くわ」
その内の1人である山下が、そんな自分を恥じたかのようにキッとした表情を浮かべて立ち上がった。一度深呼吸してフッと不敵な笑みを浮かべると、倉瀬君の方へと足を踏み出した──その瞬間。
「!」
機先を制するように、何かに気付いた様子の倉瀬君が席を立った。そのままスタスタと教室後方の扉へと向かう。突然の事態に、踏み出した足をどこに向けるべきか迷って固まる山下。
そうこうしているうちに、倉瀬君が扉の前に辿り着き……同時に、外から扉が引き開けられた。
「聡君い──たね。うん」
「愛佳さん、どうしたの?」
やってきたのは愛佳だった。扉の前で待ち構えていた尋ね人に一瞬面食らうも、すぐさま立て直す。あの子、どんどんスルースキル高くなってるなぁ。
「その……今日、午後から新体操部の引継ぎ式があるでしょ? よかったら、聡君も参加してもらえないかって思って……」
「え? いいの? 言っても僕部外者だけど……」
「大丈夫。他の子達もいいって言ってるから」
「そっか。それならお邪魔させてもらおうかな……っと、愛佳さん後ろ」
「え? あ……」
さりげなく愛佳の腕を引き、入り口を開けてクラスメートを通す倉瀬君。左手を愛佳の肩に添え、自然に脇に避けさせる紳士っぷり。なんという圧倒的ジェントリー。教室内からも「おおっ」という感嘆の声が上がる。
だが、まるで抱き寄せられるかのような体勢に、愛佳は感心どころじゃなかったようで。
「あ……聡、くん」
「っと、ごめんね?」
「う、ううん。謝ることないけど……」
倉瀬君がパッと体を離した後も、視線を泳がせながら指先だけ絡ませてテレテレする愛佳。おーおー乙女じゃのう。
「な、なんだあの幸せ空間は……」
「あの渡井さんが、照れている……?」
「って言うか、名前で呼び合ってるし……夏休みの間に、一体何があったんだ……」
突如発生したピュアっピュアで甘っあまな空間に、クラスメート達が震撼する。同時に、それまで余裕と優越感を漂わせていた一部の者達が、なにやらすっかり大人しくなってしまった。
「俺のひと夏の経験って……」
「わたし……焦り過ぎちゃったのかな?」
「大人になったと思ってたけど……違ったんだな。オレ……汚れっちまったんだな」
いや、むしろ……なんか落ち込み始めていた。倉瀬君にちょっかい掛けようとしていた山下も、すっかり毒気を抜かれた様子でちょーんと席に座っている。
これはダメだ。これ以上あの2人を放置していたら、超純愛空間に中てられた連中が浄化消滅しかねない。
なので、ここはあたしが口の中が甘ったるいのを我慢して止めに入ることにする。
「はいはい、そろそろホームルーム始まるから。愛佳も教室戻りな」
「あ、佐奈……うん。じゃあまたね、聡君」
「うん、また」
と、言いながらもなかなか出て行かない愛佳。
あぁ~~もう、名残惜し気に見つめ合うな指を絡ませるな!! 始業式でまたすぐ顔合わせるだろうが!!
「トォオゥッ!! リア充退散!!」
あまりにも鬱陶しかったので、2人の間に思いっきりチョップを振り下ろし──パッと倉瀬君が指を離したおかげで、見事空を切った。よ、よけやがったぞこいつ。
「それじゃあ」
「うん」
そして、何事もなかったかのようにお別れする2人。こいつら無敵かよ。
「どうしたの? 仲澤さん。席に戻らないと」
「ねぇ、倉瀬君。いっぺん殴っていい?」
「? どうぞ」
「……やっぱいい」
不思議そうな顔で普通に頬を差し出され、あたしは何も言えずに自分の席に戻った。まったく、やってられるかってんだ。
「よ~し席着け~。久しぶりだなお前ら~」
と、そこでちょうど担任の先生が入ってきた。
他の生徒もバタバタと席に着き、ホームルームが始まる。
「さてと、まあこれからすぐ始業式があるわけだが……その前に、転校生を紹介する」
へぁ? 転校生?
寝耳に水だったのはあたしだけじゃないようで、周囲のクラスメートも驚きと困惑が半々といった様子でざわついている。
しかし、先生に呼ばれた転校生が教室に入ってくると、ざっと潮が引くかのように急激に静まった。
入ってきたのは、少し吊り目の勝気そうな男子生徒。しかし、その物腰はとても落ち着いており、どことなく貫録すらあった。
「自己紹介を」
「はい」
先生に促され、転校生は静かな笑みを浮かべながら教室内をぐるりと見回すと、黒板に達筆な文字で名前を書き、堂々と名乗りを上げた。
「はじめまして、日野蓮司と言います。どうぞよろしく」
その瞬間、窓際から妙に緊迫した声が聞こえた。
「日野、だと……!?」
おや? 倉瀬君の様子が……?
超純愛空間:聡と愛佳が共にいることで形成される謎空間。この中では下心を持つ者は浄化され、不純異性交遊をした者は罪悪感に苛まれることとなる。また、空間内のあらゆるものが甘くなるため、自ずと糖分摂取が抑えられてダイエット効果が期待出来るとか出来ないとか。




