絶食系男子、新たな悟りを開く
素晴らしい演技だった。最後の最後で少し危ういところはあったが、それ以外はほぼ完璧と言ってもいい。一週間でよくここまで仕上げたものだと思う。
「うん……渡井さん、すごく綺麗だった」
胸に満ちるのは素直な感嘆と、少しばかりの寂しさ。
渡井さんは……もう、完全に僕の手に届かないところに行ってしまったのだと、はっきりと思い知らされた気分だった。
今日の渡井さんの演技は、僕が知るものとは全く違っていた。構成も、雰囲気も。まさに新境地と言っていいものだった。マットの上で激しく舞い踊る渡井さんは、さながら炎の妖精のようだった。それほどに力強く、息を呑むほどに情熱的だった。
もしかして渡井さんは、それを僕に伝えたかったのだろうか?
自分はもう大丈夫だから、僕も先に進めと。そう伝えようとしたのだろうか?
もしそうだとしたら、完全に逆効果だ。あんなものを見せられて、忘れられるわけがない。
むしろこの胸により鮮烈に、その印象が焼き付いてしまった。届かないと知りつつ、また手を伸ばしたいとさえ思ってしまった。
「未練がましいな……僕は」
退場していく渡井さんを見送りながら、苦笑いを浮かべる。
演者と観客。これが、今の僕達の距離感だ。
今の僕には、渡井さんを見守ることしか出来ない。
『本日の競技は以上で全て終了しました。これより集計に入ります』
それしか出来ないなら……せめて最後まで見届けよう。
会場に響くアナウンスを聞きながら、僕はそう決意した。しかし、この時点で僕は、半ば以上結果を確信していた……
* * * * * * *
『女子新体操高校生の部、個人総合優勝。渡井愛佳選手』
アナウンスに合わせ、渡井さんが表彰台の真ん中へと上る。
同時に、凄まじい拍手と歓声、カメラのシャッター音が会場を埋め尽くした。
僕も、周囲の音に負けないよう惜しみのない拍手を送る。
結局、渡井さんは全種目の合計点で2位を大きく引き離し、2年生でありながら堂々の個人総合優勝。更にはリボンとボールでも種目別優勝を果たした。
「おめでとう、渡井さん」
大会主催者からトロフィーを受け取る渡井さんに、小さく賛辞を贈る。
メディアにも注目されている美し過ぎる新体操選手の快挙に、会場に集まったマスコミも盛んにフラッシュを焚いている。
そのマスコミの盛り上がりに乗せられたのか、アナウンスをしていた大会関係者の人が、トロフィーを受け取った渡井さんにマイクを向けた。
『それでは、見事優勝を果たした渡井選手に感想を伺ってみましょう。今、どんなお気持ちですか?』
おいおい、プロのスポーツ選手じゃないんだから……渡井さんも、いきなりこんなことされたら困ってしまうだろう。
思わず眉をひそめてしまう僕だったが、マイクを向けられた渡井さんはと言うと、意外にも落ち着いた様子で話し始めた。
『とても嬉しいです。この全国大会での個人総合優勝は私の夢だったので、今は達成感でいっぱいです』
『そうですか。今の気持ちを、誰に伝えたいですか?』
『今まで私を支えてくれた部活の仲間達と先生方、そして両親に伝えたいです。それと……』
そこで、渡井さんが顔を上げた。その強い意志と覚悟を宿した瞳が、観客席にいる僕に真っ直ぐ向けられる……って、え?
『……倉瀬聡君、お伝えしたいことがあります。この後、私の部屋に来てください』
…………え?
どよめく会場。いろめき立つ周囲の観客。
その中心で、ただ呆然とする僕の肩に……背後から、ポンと手が乗せられた。
「ヘイヘ~イ、マイフレンドマァ~イク。お姫様からのご指名だぜぇ?」
「いや、マジでなんでここにいるの仲澤さん」
「細かいことはぁ気にすんな~」
振り返ると、そこにはうざったらしい笑みを浮かべた仲澤さん。
そのまま腕を引かれて会場を後にし、連れてこられたのは会場から徒歩10分ほどの距離にあるホテルだった。
仲澤さんに促されるままエレベーターに乗り、辿り着いた一室で、仲澤さんが扉に付いている機械に数字を入力して鍵を開くと、あれよあれよという間に部屋に連れ込まれる。
「はい、ここがあたしと愛佳の部屋ね。ここでちょっと待ってて」
「いや、待っててって……仲澤さんは?」
「俺かい? ふっ、安心しなぁ……後輩の部屋に、駆け込むからよぉ」
「うん?」
「おっとマイク。だからって、明日の団体戦でお姫様が下腹部痛くて本気を出せないとかはナシだぜぇ?」
「うん、何を言ってるのかな?」
「うん? ナニに決まってるだろう?」
「うん、ここはあえてツッコまないからね?」
「え? 突っ込まないの?」
「その手やめぃ! おっさんか! 女子高生がやっていいジェスチャーじゃないだろ!!」
「おいおい~、俺を誰だと思ってるんだい?」
「ディランなんだろ!? 知ってるよ!!」
「HAHAHA、まあ冗談はさておき、ちょっくら行ってくるよ」
「いや、だからどこに?」
「安心しなぁ……お姫様に群がるマスゴミ共は、俺が蹴散らしてくっからよぉ……」
「いや、蹴散らしちゃダメだからね?」
「じゃあ殴り飛ばすわ」
「それはもっとダメ!」
「じゃあ千切って投げるわ。チワワさんばりに」
「いや、だからダメだって! あと、チワワさんって誰?」
「HAHAHA、それじゃあアデュー!」
結局、仲澤さんはそのままアメリカンな笑みを浮かべながら部屋を出て行ってしまった。
「というか、そもそも僕フラれたし……」
それに、まだ付き合ってたとしてもキス以上のことは出来ないし。キスどころかハグもしたことないし。
それにしても、渡井さんは何を思って僕を呼び出したのだろうか? まあ直接祝福できるなら、僕としても願ったり叶ったりだけど……。
「う~ん?」
考えてみるも、理由は分からず。
とりあえず、僕は少し迷った末に近くにあった椅子に座った。
「……」
なんだろう。ただのホテルの部屋なのに、女の子2人が泊まっている部屋だと思うと妙に落ち着かない。その片一方が、あの渡井さんだと思うと尚更。仲澤さんは正直どうでもいい。
「……とりあえず、般若心経唱えて待ってるか」
気分を落ち着かせるためにも、僕は椅子の上で結跏趺坐して般若心経を唱え始めた。
そうして、般若心経を50回ほど唱えたところで、部屋の扉をノックする音が響き、渡井さんの声が聞こえた。
『倉瀬君、いる?』
「……うん」
椅子から降りて返事をすると、ピーガチャッという鍵を開ける音に続いて、渡井さんが部屋に入ってくる。
メイクを落とし、制服に着替えたその姿は、いつもよく見る渡井さんだった。ただ、普段と違うのはその手に大きなトロフィーが握られていること。
「えっと……とりあえず、優勝おめでとう。ちゃんと夢を叶えたんだね。本当にすごいよ」
「うん……」
素直に賛辞を贈るが、渡井さんの反応は芳しくない。
その表情は固く、他のことに意識を取られていてそれどころじゃないといった感じだ。
やがて、ゆっくりとこちらに近付いてきた渡井さんが、手を伸ばせば届くくらいの距離で立ち止まり、意を決したように僕の顔を見上げた。
「倉瀬君」
「はい」
その真剣な表情に、僕も思わず背筋が伸びる。
そして、渡井さんの桜色の唇が小さく震え……その言葉が、放たれた。
「好きです。私と付き合ってください」
「……ぇ?」
……………………
…………? ん? 聞き間違いか?
いや、え? だって、渡井さん好きな人が出来たって……それで、僕と別れるって……あれ?
「えっと……好きな人が出来たっていうのは?」
「倉瀬君のこと、です」
「んん? え、えぇ? じゃあ、えっと、なんで僕はフラれた……のかな?」
「それは……あのままじゃ、本当の恋人にはなれないと思ったから」
「……本当の恋人?」
「だって……倉瀬君、私の手助けばかりしようとして、全然恋人らしいことを求めなかったじゃない?」
「それは……」
「ううん、ごめん。責めてるんじゃないの。倉瀬君がそんな風になっちゃったのは、私のせいだもんね。私が……ずっと、中途半端な態度を取ってた、から……」
その時、険しい表情で深い悔恨の滲む声を絞り出していた渡井さんの左目から、ぽろりと一粒の涙がこぼれ落ちた。
「渡──」
「あ、ご、ごめん」
咄嗟にその涙を拭おうと手を伸ばすも、それよりも早くパッと身を引かれてしまう。
そして、左手で目をこするが、一度こぼれた涙は次から次へと湧き上がってきて、その頬を濡らす。
「あ、あれ? こんな、つもりじゃ。ごめん、こんなのずるいよね……っ」
「……」
ぼろぼろ涙をこぼす渡井さんに、どうしたらいいのか分からなくなってしまった僕は……とりあえず渡井さんの手から落ちたトロフィーを空中でキャッチし、脇にどけておいた。
「ごめん、この涙は……そういうんじゃなくて。倉瀬君のことを恋人だと思っていない私とずっと一緒にいて、倉瀬君辛かっただろうなぁって……」
「渡井さん……」
「私、気付いたの。倉瀬君のこと本気で好きになって。好きな人と一緒にいるのに、相手が自分と同じ気持ちじゃないのがどれだけ苦しいか」
「……」
「ごめんね。私、倉瀬君に本当に酷いことしたよね。たくさん、たくさん傷付けて、本当にごめんね」
何度もごめんごめんと繰り返す渡井さんの言葉を聞きながら、僕はなんとなく事情を理解した。
恐らくだが……僕が渡井さんに恋人らしいことを一切求めなくなったせいで、渡井さんは僕が彼女への興味を失ってしまったのだと勘違いしてしまったのだろう。「同じ気持ちじゃない」というのは、そういうことだ。
「うん、もういいよ」
「倉瀬、君……?」
「ごめんね、違うんだ。僕は渡井さんのことを好きだからこそ、渡井さんの意思を尊重したいと思ったんだ」
僕の言葉に、渡井さんの目が大きく見開かれる。その目に安堵と喜びが宿り、しかしすぐに悔恨に塗りつぶされる。
「でも、それは……倉瀬君がそうなっちゃったのは、私のせい……なんだよね」
「……うん。でも、もういいんだ。こうして謝ってくれたんだから。それに、それを言うなら謝らないといけないのは僕もだよ」
「え……?」
こちらを見上げる渡井さんの目を真っ直ぐに見詰め、真摯に告げる。
「ごめんね。僕が渡井さんの意思を尊重しようとし過ぎたせいで、勘違いさせちゃったね。僕が……もう渡井さんに興味がないんじゃないかって、思わせちゃったんだよね」
その言葉に、渡井さんの目がくしゃっと細められ、また新たな涙があふれ出す。
「……怖かった」
「うん」
「倉瀬君、もう私のこと好きじゃないんじゃないかって思ったら、本当にッ怖かったよぉ!」
震える声でそう叫ぶと、渡井さんは僕の胸に飛び込んできた。
「私……っ! 怖くて! このままじゃ、今の私のままじゃ、ダメなんだって。だからッ、もう一回やり直そうって。もう一度、倉瀬君に好きになってもらおうって。でも、でもっ! そのせいで、また倉瀬君を傷付けて……っ!」
「うん……うん」
「今日全力で演技をして……気付いたの。全部、倉瀬君なんだって。私が強くあれるのも、強くありたいと思えるのも、全部倉瀬君のためなんだって。だから、だから……っ」
「そっか……うん」
僕の胸にしがみつきながら、決壊したかのような勢いで思いを吐き出す渡井さん。
その震える背中をなだめるように撫でながら、僕はその言葉一つひとつを受け止め続けた。そのどれもが、僕にとっては胸を締め付けられるほどに切なく、胸が震えるほどに嬉しい言葉だった。
「……ねえ、倉瀬君」
「うん?」
「私、倉瀬君が好き。倉瀬君は……私のこと好き?」
やがて、少し落ち着いた渡井さんが、僕の肩口に顔を押し付けたままそう問い掛けた。僕は、その問いに迷いなく答える。
「うん、好きだよ。この世の誰よりも、渡井さんのことが好きだ」
「……そう」
そこで渡井さんはそっと体を離すと、その瞳に強い光を宿し、祈るように囁いた。
「だったら……お願い、受け入れて」
そして目を閉じると、ゆっくりと僕の顔に顔を近付けてくる……って、え?
(え? これ、まさか? いや、だってキスもそれ以上のことも、結婚してからって──?)
予想外の展開に、ロクに身動きも出来ないまま、ただ渡井さんの顔が近付いてくるのを見詰める。
やがて、2人の距離がゼロになり……唇に、柔らかな感触が触れた。
(えぇ────)
* * * * * * *
「ぐおおおぉぉぉああぁぁーーー!!!」
「悟り将軍!?」
「なっ、なんだこの光は!?」
突如、宇宙空間の彼方から降り注いだ光の柱が、悟り将軍を呑み込んだ。
いかなる力が作用しているのか、光に包まれた悟り将軍は若干宙に浮いていた。
「おおぉぉぉ!! があぁぁぁーーーー!!!」
「さ、悟り将軍!!」
絶叫する悟り将軍。副官に止められながらも、彼に向かって必死に手を伸ばす理性提督。
やがて、光が収まり……
「さ、悟り将軍……?」
「……」
そこにいたのは、やたらと輪郭線が細くなった一昔前の少女漫画ばりに睫毛バッサバサの瞳キッラキラな悟り将軍だった。あと、なんかアゴがすごいとんがってた。
完全に作画が変わってしまった悟り将軍は、そのどこか愁いを帯びた目でスゥッと周囲に流し目をし、自らの胸に手を置きながら言った。
「主は仰せられました。汝、隣人を愛せと」
「おい、なんか明らかに別系統の神の神託受けてんぞ」
「主って言っちゃってんじゃん」
なんだか激しくどこかで聞いたことのあるセリフを大真面目に語り出す悟り将軍。これには理性提督も副官君も思わず真顔である。
しかし、周囲のそんな冷めた視線も気にせず、悟り将軍は愁いを帯びた表情で周囲を見回した。
「色欲家は敵ではありません。彼らもまた、我々の愛すべき隣人なのです」
「なっ……」
「何を言っておられるのですか!? まさか、奴らと手を取れと!?」
突然の発言にどよめく提督達だったが、悟り将軍はやれやれと言わんばかりに首を振ると、スッと手を掲げた。
直後、彼の背後にザザッと部下達が整列する。
「迷える子羊達よ……主の御威光に触れなさい」
その瞬間、彼の部下達が一斉に般若心経オーケストラver.を合唱し始めた。同時に、その背後から先程降り注いだものと同じ光が放たれる。
「いや、オーケストラて──」
「てか、曲調が完全に聖歌──」
逃げる間もなく、戦艦のコクピットはその光に呑み込まれた。
それだけに止まらず、謎の光は宇宙全体へと広がり、全てを明るく染め上げた。
そして、その光が収まった時。
そこにいたのは、やたらと顔が濃くなった理性提督と色欲家当主だった。
その軍服の袖は肩口のところで荒々しく引き千切られ、そこから傷だらけの逞しい腕が。無駄にくつろげられた襟元からは、異常に盛り上がった胸筋が覗いていた。あと、2人共なぜかもみあげがえらいことなってた。
一昔前の熱血少年漫画ばりに濃い顔面になった2人が、フッと男臭い笑みを交わす。
「まさか、お前と和平を結ぶ時が来ようとはな」
「まったくだ。お前とは一生いがみ合うもんだと思ってたのによぉ」
「そうだな。だが……こういうのも悪くない」
「オイオイ、俺が裏切るかもとは考えないのかよ?」
「安心しろ。お前が暴走した時は……この俺が、殴って止めてやる」
「クッ、そりゃおっかねぇ」
やたらと暑苦しい会話を繰り広げる2人。
その間に立つ少女漫画チックな悟り将軍と、その後ろに広がるSFチックな背景も相まって、絵面がカオスである。
「それでは、和解の握手を」
こんな状況でも変わらず愁いを帯びた悟り将軍の指示に従い、2人の漢がガッチリと握手を交わす。
その2人を、どこからか差し込んだ夕日の光が明るく照らした。宇宙空間なのに。宇宙空間なのに!
この瞬間、長らく争い続けてきた理性家と色欲家の間に和平が結ばれ、宇宙には平和が訪れた。
記念すべき瞬間に、周囲を囲む両陣営から拍手が沸き上がる。
そんな彼らを、女体化した大門寺先輩が物陰からそっと見守っていた……
* * * * * * *
そうか、色欲とは無理に抑え込むものではない。受け入れ、認めるものだったのか。
「ン……」
僕が新たな真理に気付いた直後、渡井さんがそっと唇を離した。
恥ずかしそうに頬を染め、チラリと上目遣いにこちらを窺う渡井さんに……僕の中で、熱情が燃え上がった。
離れようとする渡井さんの腰と後頭部に手を回すと、力強く抱き寄せる。
「えっ! 倉瀬く、ン……」
そして、今度は僕の方から渡井さんにキスをした。
その体を強く抱きしめ、迸る想いのままに深く深く口づけをする。
「ㇵ……」
「……」
そして、ゆっくりと唇を離すと、渡井さんが熱に潤んだ瞳で僕を見上げた。
その瞳がサッと伏せられ、そして……チラリと、脇に並ぶベッドに向けられた。
「倉瀬君……イイよ? 私……倉瀬君が、シたいなら」
……ふむ。イイよ、とは?
完全に予想を超えた展開に、思わずフリーズする。胸の中でごうごうと燃え上がっていた情熱の炎が、その形のままピシリと凍り付く。
思考停止した脳内に、先程の仲澤さんの「あたしは後輩の部屋に駆け込む」という言葉が蘇った。
『オイオイ、なにを迷う必要があるんだ? 女がイイって言ってんだぜ? 据え膳食わぬは男の恥、だろ?』
『待て色欲の。TPOを弁えろ。彼女は明日も団体戦の選手として出場するのだぞ? 一時の欲望に任せて、明日の試合に支障が出るようなことは避けるべきだ』
『だからこそ、だろ? 試合前に英気を養うのも大事なことじゃねぇか』
『それは男の場合だろう。先程の仲澤氏の忠告を忘れたか?』
ああ、頭の中で色欲と理性が戦っている……と、その間に割って入った大門寺先輩が、2人の首をガッとロックした。
『ハイハイ、どっちの気持ちも分かるけど、今はそれより先にやるべきことがあるでしょ?』
『あぁ?』
『やること?』
『まだやっと気持ちが通じ合ったばかりなのよ? そういうことをするのは、もっとお互いの理解が深まってからでもいいんじゃないかしら?』
……正論だ。ド正論だ。だが、とりあえずお前は早く男に戻れ。あと悟り将軍、なにを後ろで黄昏てんだ。お前が真っ先に止めに入れよ。
「倉瀬君……?」
「ん……ああ、いや」
不安そうにこちらを窺う渡井さんに、僕は優しく語り掛ける。
「そんなに焦らなくてもいいよ。それより、僕は渡井さんとお話しがしたいな」
「お話し……?」
「うん……渡井さんのことを、もっと知りたい。そして、僕のことも知ってほしい。ダメ、かな?」
「……ううん。そうだね……私も、倉瀬君のことをもっと知りたい。今更だけど……」
「まだ遅くないよ。今から、始めればいいんだから」
「うん」
僕の言葉に、渡井さんは小さく。しかし、はっきりと明るく笑ってくれた。
そして、その日は夜遅くまで渡井さんとお話しをした。
好きなもの、苦手なもの。子供の頃の思い出。友達のこと。家族のこと。そんな他愛もない話や、少し真面目な話を。お互いのすれ違いを、わだかまりをなくすように。お互いに歩み寄るように、延々と。
「ぁふ……」
「眠い?」
「ん……ちょっと。そろそろ寝よっか」
「うん、そうだね……?」
はて? その言い方だと、僕も一緒に寝るみたいな感じになるが……?
首を傾げる僕を前に、ベッドに腰掛けた渡井さんがポンポンと枕を叩いた。
「一緒に寝よ?」
「えっと……?」
「ほら、もしかしたら夜中に佐奈が帰ってくるかもしれないし」
少しだけ迷うが、何も他意がなさそうな穏やかな渡井さんの表情を見て、僕も覚悟を決める。
「っと……でも、枕が1つしか……」
「倉瀬君が使えばいいよ。私は倉瀬君の腕枕で寝るから」
腕枕、だと……!?
何気なく告げられた、しかし無視出来ない威力を持った単語に、思わず瞠目する。
しかし、渡井さんは気にした様子もなくベッドにもぐりこむと、ゴロンと端の方に移動し、こちらに枕を寄せてくる。
「そ、それじゃあ……失礼します」
恐る恐る僕もベッドに入り込むと、枕の上に頭を乗せ、そっと左手を渡井さんの頭の下に伸ばす。
すると、ちょっと頭を浮かした渡井さんが僕の腕に頭を乗せ、もぞもぞと具合のいいポジションを探り出した。
そのくすぐったいようなもどかしいような感触に、なんとも言えない恥ずかしさを感じていると、どうやら収まりがいい場所を見付けたらしい渡井さんがにへっと笑みを浮かべた。
「んふふ、なんか思った以上にいい感じ」
「そ、そう?」
「うん。なんか、安心する」
「そっ、か……そうだ、さっきの話の続きなんだけど──」
穏やかな笑みを浮かべながら真っ直ぐにこちらを見てくる渡井さんの視線に耐え切れず、僕は視線を泳がせながら話を振る。渡井さんは全てを見透かしたように笑いながら、それでも僕の話に乗ってくれた。
そのまま少しの間また話をしていると、だんだんと緊張もほぐれてきた。
そして、話が途切れたタイミングで、ぽつりと渡井さんが呟いた。
「なんだか、夢みたい」
「夢?」
「うん、倉瀬君とこうしていられることが。……ホントはもっと、時間が掛かると思ってたから」
ゆっくりと瞬きをしながら、少しぼんやりとした声でそう語る渡井さんの頬に、そっと手を添える。
「……夢なんかじゃないよ。それに、たとえ時間が掛かったとしても、いつかは必ずこうなってた。僕はずっと……渡井さんのことが、好きだったから」
「……そっかぁ」
渡井さんは完全に瞼を下ろし、僕の手に頬をこすりつけるようにすると、安心したような笑みを浮かべた。
「倉瀬君……大好き」
そして、小さくそう囁くと、静かに寝息を立て始める。
その穏やかな寝顔をしばらく見詰め、僕もまたそっと囁いた。
「僕も……大好きだよ。渡井さん」
そして、僕もゆっくりと目を閉じ、睡魔に身を任せた。
その、少し後。不意に腕の重みが消え、額に何か柔らかなものが触れた気がしたが……その正体に気付く前に、僕の意識は睡魔に呑み込まれた。
【ベッド争奪トランプ大会でイカサマやった結果、後輩に部屋から追い出されたあたしが通りますよっと】
【通るな帰れ。ってか後輩相手に何やってんのよ】
【ダーティー仲澤の本領発揮よね】
【それでバレてちゃ世話ないわ】
【んでもって恐る恐る部屋に戻ったら、親友と友人が完全に事後で居た堪れなかったぜ】
【事後じゃないから安心しなさい】
【あ、そうなの?】
【精々、お姫様のキスで王子様が悟り的な意味で目覚めただけよ】
【な~んだ。じゃあ帰る~】
【帰れ帰れ。あ、次回エピローグです】
【……ん? って、あいつらキスはしたんかい!!】




