クール系女子、気付く
それからも、私と倉瀬君は2人でいろいろなアトラクションを回った。
コーヒーカップの代わりに下顎のない頭蓋骨をひっくり返したものに乗る、回るしゃれこうべ。ところどころ謎のピエロが映り込むミラーハウス(あれが見えたら終わり)。人魂に乗って卒塔婆の周りを回る空中ブラン……
「って、改めて思い返すとアトラクションの癖よ!!」
「? 渡井さん?」
「あ、ああ……ごめん」
思わず自分の回想にツッコんでしまい、倉瀬君に怪訝な表情で見られてしまった。
つい声に出してしまったことに羞恥を覚えつつ謝ると、倉瀬君は首を傾げながらも前に向き直る。その表情からは、この遊園地のアトラクションに疑問を覚えている様子は窺えない。
……いや、どれもこれもなっかなかに癖が強かったけど? およそデートに相応しいとは思えないビジュアルをしてたけど?
(いや、一応選んだのは私だけど……なんでこの近辺マトモな遊園地ないの?)
ここまでのアトラクションもいい加減あれだったが、極め付きがこれだ。
「2名様ですねぇ。どうぞ~」
係員に促され、ちょうど回ってきた頭蓋骨型の箱(目の部分が窓になっている)に乗り込む。
デートの最後ということで、一応定番かなと思って観覧車に来たのだが、その外見はやっぱりホネホネしていた。なんなの? この遊園地では鉄骨は人骨のデザインにしなきゃいけないルールでもあるの?
いや、でも乗ってしまえばそこは大して気にならない。気になるのは……
ガッチャンガッチャンガッチャン
「なんでこんなに揺れるの!?」
「あぁ~なんかこれ、スキーのリフト思い出すね。あの鉄柱のところに来た時、ロープウェイの車輪でリフトがガタガタ揺れるやつ」
「それを観覧車でやる必要ある!?」
明らかに不必要な振動が、ランダムな間隔で襲い掛かって来る。しかも、まるで本物の骨をぶつけ合っているかのような絶妙な効果音で。ホントどこにこだわってんの?
マズい。外から見た時点で変な揺れ方してることには気付いてたけど、実際乗ってみると思ったより揺れる。しかも当たり前だけど、どんどん高くなるし。正直かなり怖い。
「渡井さん、大丈夫?」
「……ごめん、あまり大丈夫じゃないかも。倉瀬君は平気なの?」
「まあ、強風吹き荒れる崖の上で座禅組んだ時に比べれば……」
「あ、そう」
倉瀬君のズレた発言にも、ちょっとツッコむ余裕が無い。
強張った表情でひたすらじっと振動に耐える私を見て、正面に座っていた倉瀬君が隣に移動してきた。
「ちょっ、並んで座ると振動が……」
「大丈夫。もし落ちたら僕が下敷きになって渡井さんを守るから」
さらりと告げられた、「守る」の一言。
その言葉に、心臓が不安定な鼓動を刻んだ。向けられるどこまでも優しい視線に、急に呼吸が出来なくなった。
「っ、そ、そこは、2人で生き残ろうって言うところじゃないの?」
「え……う~ん、この高さから落ちて一緒に生き残るのはちょっと無理かなぁ。……じいちゃんならともかく」
「それはむしろお祖父さん何者なの?」
苦し紛れに言った言葉に真顔でおかしな返答をされて、私は思わず笑ってしまった。
本当に、こんな状況でも倉瀬君は全然ブレない。
「あぁ~あ」
ひとしきりくつくつと笑いをこぼし、ふっと全身から力を抜く。
気付くと、もう振動に対する恐怖心は無くなっていた。
倉瀬君が隣にいる。それだけで、なんだかとても穏やかな気持ちだった。
自分の身の安全が保障されたから、ではない。すごく大袈裟に言うなら、2人で一緒に死ねるならそれもありかな……って、
(いやいや、それじゃ私がヤンデレみたいじゃない!!)
違う、そうじゃなくて。なんというか恋人同士、2人一緒ならどんなことでもロマンチックというか……ね? 倉瀬君犠牲にして生き残るくらいなら2人で死んだ方がいい……みたいなそんな気分に、その……なっちゃった、というか……
「あ、見て渡井さん。すごく夕日がきれいだよ」
「……」
窓から差し込んだオレンジ色の光に、倉瀬君が振り返る。
私は……じっと、その横顔を眺めていた。
ああ、まただ。ふわふわ、ふわふわする。
ひどく落ち着かないのに、その落ち着かなさが心地いい。
振り返らないで欲しい。私が見ていることに、気付かないで欲しい。そう、強く願うのに。
同じくらい強く、こちらを見て欲しい。私を見て欲しいと叫ぶ自分がいる。
今、この一瞬を切り取って永遠にできるなら、どんな対価を払っても惜しくない。
冷静じゃない。普通じゃない。こんなの、絶対におかしい。うん、分かってる。
でも、そう思ってしまう程にこの一瞬一瞬がどうしようもなく愛おしい。
それがおかしいというなら……それは、もうずっと前からだ。ずっと前から、私はおかしくなっていた。普通じゃなくなっていた。私は……倉瀬君に、おかしくされてしまったのだ。
「ねぇ、倉瀬君」
「ん?」
振り返った倉瀬君に、そっと上向きに手を差し出す。
「手を、握ってくれる?」
「? うん」
少し、不思議そうな顔で。倉瀬君の手が……私の手を、優しく握った。
同時に、胸の奥をキュッと掴まれた気がした。
ふわふわと落ち着かなかった感情が、そこにストンと収まり。その感情が、実感となって四肢の末端まで広がった。
(ああ……そっか)
やっぱり、そうだったんだ。
自覚して、認めてしまえば答えはひどく簡単で。
きっと、もっと前から答えは出てた。私が……気付かなかっただけだ。
この感情が、恋だと。
(私……倉瀬君のこと、好きなんだ)
夕日に照らされた観覧車の中で、私は胸の奥の甘い疼きと、倉瀬君の優しい手だけを感じていた。
* * * * * * *
「お疲れさまでした~。足元、お気を付けくださいねぇ~」
係員の声に促され、倉瀬君と一緒に観覧車から降りる。
繋いだ手はそのままに、夕暮れに染まる園内を出口に向かってゆっくりと歩く。
胸の奥には、むずがゆいような恥ずかしいような、気を抜くと悶えたくなるような甘い疼きが残っている。
でも、その正体が分かった今。私は、不思議と落ち着いていた。今は、この胸の疼きすらも愛おしく思える。
「渡井さん、今日はどうだった?」
「ん……っと」
楽しかった。そう、素直に思える。
いろいろと恥ずかしいことはあったし黒歴史もいくつか作っちゃったけど、それらを置いても……最終的には、やっぱり楽しかった。
「うん、楽しかったよ」
「そっか」
安心したように目を細めて、口元に笑みを浮かべる倉瀬君。
その笑顔に、私も自然に笑みを返す。
うん、楽しかった。それに何より、大事なことに気付けた。
今回のデートの、私にとっての密かな目的。倉瀬君ときちんと向き合い、そして私自身の気持ちと向き合うこと。
答えが、見付かった。これで、私達は……
「よかった。ちゃんと息抜きになったみたいで」
「ぇ……」
何気なく告げられた言葉に、笑みが固まる。
息抜き……? ああ、そう言えばそんな口実でデートに誘ったんだっけ? でも、それは……
「全国大会も近いし、マネージャーとしては渡井さんには万全の状態で本番に臨んでもらいたいからね」
「……」
「まあ、マネージャーって言っても“自称”だけど」
「……」
「渡井さん?」
「あ、ううん」
反射的に首を左右に振りながらも、私は何か不吉な予感に胸の奥が震えるのを感じた。
なにか……なにかが、噛み合っていない。なにかが、おかしい。一体なにが……?
「倉瀬、君は……」
「うん?」
「倉瀬君は……楽しかった?」
知らない内に少し乾いた口からこぼした問い掛けに、倉瀬君は自然な笑顔で答えた。
「うん、もちろん」
「そう、よかった」
ホッと、胸を撫で下ろす。
倉瀬君は何も変わらない。うん、どこもおかしなところなんてない。
さっきの変な予感は、ただの気のせいで──
『好きな相手と一緒にいて、緊張しちゃうのは人として当然のことでしょ?』
不意に脳裏に蘇ったのは、数日前に電話越しに言われた佐奈の言葉。
なんで今そんなことを……と考えて、ハッとした。
(……そうだ。あまりにも今更過ぎるけど……倉瀬君が、こんな風に自然体で私と話すことの方がおかしいんだ)
自然体なしゃべり方。平然とした態度。繋がれなくなった手。
そして……あの夜。私が、倉瀬君に別れ話を切り出した夜。私の手伝いをしてくれる理由について、私が問い掛けた時。倉瀬君はなんと言った?
『渡井さんに、夢を叶えて欲しいから』
倉瀬君は、そう言ったのだ。
私が好きだから、とかじゃなく。私が、女子新体操全国大会優勝という夢を叶える姿を、見たいからだと。そう言ったのだ。
そして、さっきも自分のことを恋人ではなくマネージャーだと言い切った。あれは……
(……いや、待って。ちょっと、待って)
そうだ……考えてみれば、あの日以来。
倉瀬君は、一度だって私に好きだと言っただろうか?
初恋の人だとは聞いた。側にいたいとも。そして……一緒にいるだけで幸せだとも。
でも……「好き」とは、一度も言われていない。
(待って……ちょっと、待ってよ……)
頭の中で、これまでの倉瀬君の言動が繋がっていく。連鎖的に繋がり、1つの恐ろしい推測が浮かび上がってくる。
胸の奥にあった幸せな温もりが、消えていく。
四肢がその末端から冷たく、感覚を失っていく。
自分が今、ちゃんと歩けているのかすらよく分からない。
「倉瀬君、私ね……」
「うん?」
自分でも何を言おうとしているのか分からないまま、カラカラに乾いた口から言葉を絞り出す。
「さっき、観覧車で倉瀬君に、『もしここで落ちたら2人で生き残るのは無理だ』って言われた時にね……私、2人で死ぬならそれでもいいかなぁなんて、思ったの」
その私の言葉に、倉瀬君は一瞬驚いたような表情をしてから……少し、困ったような笑みを浮かべた。
「はは、それはまた……渡井さんって、意外とロマンチストなんだね。でも」
その瞬間、嫌な予感が全身を貫いた。
聞きたくない見たくない。でも、耳を塞げないし目も逸らせない。
(待って……やだやだ、お願いやめて!!)
私の心の叫びも虚しく、その言葉は放たれた。
「そういうことは、本当に好きになった人に言った方がいいと思うよ」
「勘違いしちゃうからね」と。諭すように、告げられた言葉。
その表情には、悲しみも苦しみも、切なさもなく。いつもの、嘘を吐く時の、髪を触る癖もまた、なかった。
その言葉は、紛れもなく100パーセントの善意で、放たれた言葉だった。
「ぁ……」
遠い。倉瀬君が、遠い。こんなに近くにいるのに。
(倉瀬、君……ねぇ、倉瀬君……)
倉瀬君が何かを言っている。でも、よく聞こえない。
繋がれた手に、温もりを感じない。
(私の心は……もう、いらないの?)
力を失った手が、するりと倉瀬君の手の中から抜け落ちる。
離れた手が、再び繋がれることは……なかった。




