絶食系男子、想いを確かめる
「なんなのあれ……ホントに誰が考えたのあれ……」
どうしよう、渡井さんが壊れてしまった。
スケルトン・コースターに乗ってからというもの、渡井さんの様子がおかしい。
降りた時点でかなり足元おぼつかない様子だったので、とりあえずベンチで休憩しているのだが……なんかずっと目元が前髪で隠れているし、地を這うような声でぶつぶつ独り言を言ってる。
たしかに、さっきのスケルトン・コースターはすごかった……んだと思う。いや、正直に言うと途中から意識飛ばしてたから覚えてない。
走行中のコースターが座席毎に分離し始めた辺りで「あ、これヤベーやつだ」と思って、心頭滅却しようと般若心経を唱えた。
そしたら、自分の精神世界に潜ったところで母船帰りの大門寺先輩に鉢合わせて、すごくいい笑顔で残り物の牛丼を押し付けられた。というか、押し込まれた。直接口に。
それで強制的に集中を切られて現実世界に戻ってきたら、既にコースターは止まっており、隣で渡井さんがぷらーんってなってた。
(よっぽどヤバいコースターだったんだなぁ。道理で他に誰も乗ってなかったわけだよ。僕が普通にスッとコースターから降りたら、係員のお姉さんが戦慄の表情でこっち見てたし)
その苦しみを共有出来ないのは申し訳ないが、いつまでも放っておくと渡井さんが無明堕ちしてしまいそうなので、そろそろ声を掛けることにする。
「大丈夫? 渡井さん」
出来るだけ優しく声を掛けると、渡井さんの肩がピクッと震え、顔は伏せたままおずおずとこちらを向いた。
「……むしろ、大丈夫だった?」
「うん? 僕は大丈夫だったけど……」
「そ、そうじゃなくて……どんな顔してた?」
「どんな顔って……」
思い出す。白いタンクトップ姿の大門寺先輩の姿を。
「すごく、いい笑顔だったよ?」
「いい笑顔だった!?」
「うん」
「え、いや、ええ!? 一周回っていい笑顔になっちゃってた? いや、でもそんな……」
「??」
一周回ろうと半周回ろうと、大門寺先輩はいい笑顔だと思うけど……そうだなぁ、あとは……
「あと、マストモレキュラーやってた」
「必須分子がなんだって? どっちにしろ意味不明だけど、モストマスキュラーのこと?」
「そうそれ。なんか変だと思った」
「だろうね。的確にツッコめた自分自身に私もビックリしてるよ。というか、何の話?」
「え? 大門寺先輩の話だけど?」
「……あ、そお。ハァーーー……」
……なぜだろう、凄く呆れられた気がする。
渡井さんは深々と溜息を吐いた後、スッとベンチから立ち上がった。
「もういいの?」
「うん……変に気にしても仕方ないって分かったからね……」
「? そう」
よく分からないが、渡井さんが元気になったのならよかった。
そう自分を納得させつつ立ち上がったところで、何やら2人組の女の子がこちらに近付いてきた。さっきからチラチラとこちらを見ていたのには気付いていたが、どうやら僕らが立ち去ると見て覚悟を決めたらしい。
「あの、すみません。新体操の渡井選手ですよね? “オートマトン”の……」
「……えっと」
渡井さんが、僕の意向を伺うようにチラリとこちらを見る。まあ、渡井さんのファンみたいだし、女の子なら妙なことにもならないだろう。
僕が無言で一歩下がると、渡井さんは女の子の方へと視線を戻す。
「まあ、はい。そうです」
「うわぁ、やっぱり!」
「テレビで観てました! うわっ、本当に人形みたいに可愛いぃ~。顔ちっさ~い!」
「握手してください!」
「あ、わたしも! きゃああーー!!」
華やいだ声を上げながらはしゃぐ女の子達。それに、ぎこちない笑みで応える渡井さん。よく見る光景だ。
(“オートマトン”ね……まあ、あの娘達は特に他意なく言ってるんだろうけど)
“オートマトン”とは、マスコミが付けた渡井さんの愛称……というか、二つ名だ。元は、渡井さんの演技を見た全国大会の実況者が、何気なく「お人形みたいですね~」と言ったのがきっかけだったとか。
オートマトン、即ち自動人形。
自動人形のように正確な技を繰り出し、人形のように整った容姿を持ち……そして、人形のように表情が変わらない。
“オートマトン”とは、渡井さんの技の精度と容姿の美しさを称える言葉であると同時に、渡井さんが表情を作るのが下手なことを揶揄する言葉だ。渡井さんの演技を「上手いがつまらない」とか「全体的に熱が感じられない」とか酷評する一部の関係者の間では、明らかに蔑称として使われている。
(まったく、分かってないなぁ。下手なりに頑張って笑おうとしてるのがいじらしくて可愛らしいんじゃないか。それに、コーチに「表情が硬い」って注意された帰り道はいつもよりちょっと口数が少なくて、表情変わらなくても「ああ、落ち込んでるんだなぁ」って分かっちゃうところがまた可愛くて、もっとも渡井さんが宇宙一可愛いことは理性家や色欲家はもちろん悟り将軍や大門寺先輩だって認めていることなんだから全宇宙の真理であることは疑う余地もないことなんだけど、まあ仮にもサトラーである以上そんな真理を理解できない蒙昧なる者達にも慈愛の精神で接するべきでだがしかしあまりにも道理を弁えない発言をするようなら僕としては聖戦も辞さないつもりで……)
「あの、渡井さん。そちらの方は……」
……うん? なんか注目されてる? なんだかもう少しで新しい宗派が生まれる予感がしたんだけど……まあ、いいか。
「えっ、と……」
渡井さんが少し迷う素振りを見せる。そこにすかさず口を挟んだ。
「マネージャーです。新体操部の。最近渡井さんは大会に向けて根を詰め過ぎているので、顧問命令で僕が息抜きに付き合っているんです」
「ぇ……」
渡井さんが驚いたように目を見開く一方で、女の子達は納得したように頷く。
こんな言い方で誤魔化すのは少し心苦しいが、これも余計なトラブルを避けるためだ。心の中で謝りつつ、素知らぬ顔で笑みを浮かべる。
「あ、そうなんですね。マネージャーさん男の人なんですね」
「ああ、マネージャー……そうですよね」
僕は、その2人のぎこちない笑みと僕を見る視線に、否応なくその裏にある「やっぱり、彼氏ではないですよね」という心の声を読み取ってしまった。
……うん、まあ仕方ないよね。釣り合っていないのは自分でもよく分かってるし。
容姿は言うに及ばず。頭の良さも渡井さんの方が上。新体操において輝かんばかりの才能を持つ渡井さんに対し、僕には特に秀でた才能もない。渡井さんは同じ部活の後輩達を始め多くの人に慕われているが、僕は特に友達が多いという訳でもない。
渡井さんが自分より秀でているところはいくらでも出てくるのに、自分が渡井さんより秀でているところとなるとちょっと思い付かない。別に卑下する訳ではないが、事実としてそうなのだから仕方がない。
だから、まあ……そういう反応になるのも、道理というものだ。
そう納得する僕にはそれっきり興味がなくなったのか、2人の女の子は渡井さんにテンション高く話し掛け、数分してやっと満足したらしく、「ありがとうございました!」「応援してますから!」という言葉と共に離れて行った。
「ふぅ……」
「お疲れ様」
「ああ、うん……」
曖昧に頷きながら、渡井さんは僕の顔を不審そうに……そして、どこか不満そうに見上げる。
「ねぇ……なんで、マネージャーだなんて嘘吐いたの?」
「え? いや、嘘とは言い切れないと思うけど……」
実際、正式ではないにせよ僕が女子新体操部でやっていることは完全にマネージャー業だし。
「まあ、そうだけど……でも、これはデートでしょ?」
「それはそうだけど、僕達の関係を一言で説明するのは難しいじゃない? かと言って恋人だって言ってしまうと、それはそれで面倒なことが起こりそうだったし」
別に、彼女達が人に言いふらすとは限らないし、そうなったところでマスコミに騒がれたりとかはしないと思うけど……念には念をだ。
既に「美少女過ぎる新体操選手」「女子新体操界の期待の星」として、各メディアで取り上げられている渡井さんのことだ。「美少女過ぎる新体操選手を献身的に支える同級生彼氏」なんて週刊誌が喜びそうなゴシップネタを、下手に他人に広めることもないだろう。
「そう……そう、だね」
渡井さんも一応納得したのか、少しぎこちない様子ながらも頷くと、「じゃあ行こっか」と言って歩き始めた。
「下手に噂を広めて……いざという時に僕の存在が邪魔になったらいけないしね」
その背中に、僕は渡井さんに聞こえないよう小さく呟いた。
僕が渡井さんの恋人という立場に落ち着いているのは、単純な利害の一致からだ。
渡井さんの側にいたいと願う僕と、新体操に集中するために男除けが欲しいと願った渡井さん。2人の願いが奇妙な形で噛み合い、この関係を生み出した。
このデートだってそうだ。
僕に悪いことをしてしまったと気に病んでいる優しい渡井さんの、僕にお詫びをしたいという思い。渡井さんと一緒にいたい、そして大会が近い彼女に息抜きをさせてあげたいという、僕の想い。その2人のおもいが噛み合って、このデートが実現した。
だから、勘違いしてはいけない。
僕は渡井さんの本当の恋人ではないし、渡井さんは僕に恋愛感情を抱いてはいない。
きっと……きっといつか、この関係が終わる日が来る。
今は新体操で頭がいっぱいな渡井さんが、いつか本当に好きな人が出来たら。
その相手は、きっと僕じゃない。これだけ一緒にいてなお、渡井さんの心を動かすことが出来なかった僕が、その相手であるはずがない。
それこそ、僕がフロアマットの上で華麗に舞う彼女に一瞬で心奪われたように、いつか渡井さんにも、一瞬で心を鷲摑みにされるような相手が現れるのだろう。僕みたいな凡人じゃなくて、渡井さんに相応しい特別な相手が。
僕の役目は、それまで渡井さんの男除け兼マネージャーとして、その夢を支えること。そして……もしその時が来たら、潔く身を引くこと。
渡井さんは、優しいから。きっと、僕のことを気に掛けて、悩んで、苦しんでしまうだろうから。だから、もし渡井さんに本当に好きな人が出来たら……僕は静かに手を放そう。笑って背中を押そう。
渡井さんの笑顔を曇らせたくない。渡井さんには、ずっと笑っていて欲しいから。幸せに……なって欲しいから。
叶うことなら、僕の手で渡井さんを幸せにしたいけど。……僕が、そう出来ないのは、本当につらいけど。悲しいけど。
(でも……大丈夫)
今の僕なら、きっと大丈夫。
渡井さんが幸せなら、僕は笑っていられる。
言葉にするのはあまりにも照れくさくって、誰にも言えないけど……それが、僕の愛し方だから。
(うん、きっと……大丈夫だ。でも……)
願わくば、もう少しだけこの時を。
「倉瀬君?」
「ああ、ごめん。今行くよ」
不思議そうにこちらを振り返る渡井さんに、いつものように笑って答えながら。
ささやかな願いを胸の奥にしまって、僕は渡井さんの後を追った。
【次回から俺らお休みだとよ】
【え? なんで?】
【次回から……というか今回の後半から、クライマックスに向けてシリアスパートに突入するからだと】
【なにそれ。まるで私達が出たら雰囲気壊れるみたいじゃない】
【みたい、というかそのままだからな?】
【少なくとも作者にシリアスをどうこう言う資格はないと思う】
【まあ……シリアスになった途端、パッタリ筆止まる奴だしな】
【まあいいや、完結してから人気投票やるし】
【そんな予定はない】




