クール系女子、黒歴史を作る
「……大門寺先輩、つよい……」
「……うぅん? 何が?」
倉瀬君の呟きに顔を上げ、ぼんやりと今聞いた単語を頭の中で反芻した。
(大門寺先輩って……ああ、さっき例え話に出て来た……なんで今その名前が?)
未だに上手く回らない頭で思考を転がしながら、ぼーっと倉瀬君の横顔を見詰める。
(……こうして見ると、倉瀬君って肌キレイだよね。色も白くて、ちょっと羨ましくなるくらい……あっ、ホクロ発見。へ〜、倉瀬君ってこんなところにホクロ、が…………って)
「ふひゃあ!?」
そこでようやく、倉瀬君との近過ぎる距離感を自覚し、一気に脳が覚醒した。
奇怪な叫び声を上げながら身を離し、自分が倉瀬君の腕を両手でしっかり掴んでいることに気付き、慌てて手を離す。
「渡井さん? どうしたの?」
「え!? あ、いや……その、そう! 蚊! 蚊がね?」
怪訝そうな表情を向けてくる倉瀬君に、私は咄嗟に倉瀬君の首筋にとまっている蚊を指差した。
倉瀬君は私の指差している場所にチラリと視線を落とす素振りを見せると(角度的に見えるはずがないが)、「ああ……」と呟きながら右手を上げ、ピッと何かを摘むような仕草をした。
次の瞬間、その人差し指と親指の間にはしっかりと蚊の羽が摘まれていた。なにその達人技。
しかし、今の私にツッコミを入れている余裕はない。
そのまま蚊を宙に離す倉瀬君を横目に、そそくさとベンチから立ち上がる。
「あの、少しお手洗いに……」
「ん、ああ。いってらっしゃい」
倉瀬君の視線を背に受けながら、足早にトイレに向かおうとして……まるでトイレをすごく我慢してたように見えることに気付き、ぐっと速度を緩めた。
不自然にならない程度の早歩きで、近くのトイレ(当然のように蔦に覆われている)に滑り込む。
そして、「使用禁止」と書かれている一番奥の個室を避け、空いている個室に入ると、便座に座って一息。おもむろにハンカチを取り出すと、それを口元に押し当てて──
『ああぁぁぁーーーーっっ!!!』
思いっ切り叫んだ。
恥ずかしい。恥ずかしい!
私は……何してた!?
いくらあのヤバイアトラクションで頭がぼーっとしてたからって、あんな……いや、なんか人生初お化け屋敷でテンションがおかしくなってたけど、よく考えてみたら私、お化け屋敷の中でも大概なことやってたような……。
倉瀬君の腕に思いっ切りしがみついて……みっともなく叫んで逃げて……私、どんな顔してた? どんな悲鳴を上げてた!? 分からない。分からないけど、絶対変なことやってた!!
『んんんーーー!! んむむぅぅーーーー!!!』
ハンカチで声を抑えながら、激しく身悶える。
死にたい。いっそのこと誰か殺して!! いや、出来ることなら1時間前の自分を殺してやりたい。あんな黒歴史を作る前に!!
『ふすっ、ふすぅっ! ふぅぅ……』
……出来ればもう少しこのまま羞恥心と闘っていたいが、あまり長いことトイレにいると、倉瀬君に大きい方をしてると勘違いされかねない。それは、流石に1人の乙女として看過できなかった。
ついでに用を足すと、個室を出て手洗い場に向かう。
堕ち月なさい、渡井愛佳。いつも通り、そう、いつも通りCuulに。
大丈夫。何事もなかったかのように、普段通りの私でいれば……
ハンカチで手を拭きながら顔を上げ、鏡を見て気付いた。
奥の個室から顔を覗かせる長い黒髪の女性……ではなく、はっきりと頰を赤く染め、緩んだ表情を浮かべる自分自身に。
『うむぅぅーーー!!』
手元をハンカチを広げると、再び顔をうずめて絶叫。
そのままハンカチ越しに顔を揉みほぐし、なんとか元の表情に戻そうと苦心する。
むにむに、むにむに。
……戻ったかな?
視線だけ上げて鏡をチラ見して、すぐにまだ目尻が緩んでいることに気づく。
なに弛んでるんだ、気合い入れろよ表情筋。
むにむに、むにむに、むにぃぃーーー!
……これでどう?
再び視線を上げ……ようやく気付いた。というか、鏡越しに目があった。奥の個室から顔を覗かせる、どこか引いた様子の女の人に。一瞬で表情筋が気合いを入れ直した。
「……」
「……」
……本物のトイレの花子さん的なアレ……ではないね。よく見たらスタッフの腕章着けてるし。
まさかトイレの中にまでドッキリ要員を仕込んでおくなんて、スゴイなこの遊園地。というか、え? 見られてた? もしかしてずっと?
「……お」
「……?」
「お、お疲れ様です……?」
「……(コクッ)」
おずおずと頷きながら、そっと扉を閉めて姿を消すスタッフさん。どう見ても完全にドン引いてらっしゃる。ヤベーもん見たって思ってらっしゃる。
(んんぅぅーーーーっ!!!)
洗面台の縁を両手で掴んで、声を出さずに絶叫。
また1つ、黒歴史が増えました。
* * * * * * *
羞恥心が限界突破し、一周回って冷静になった私は、早歩きで倉瀬君の待つベンチへと急いだ。
割とメンタルはボロボロだし、倉瀬君に対する羞恥心も残っているのだが、だからこそ今は倉瀬君と一緒にいたかった。なんとなく、倉瀬君と一緒にいれば勝手にメンタルは持ち直すという確信があったのだ。
(大丈夫大丈夫。ちょっと腕を掴んで、軽く体を押し付けちゃっただけだし。私が気にし過ぎてるだけで、倉瀬君は別に気にしてないって)
自分にそう言い聞かせつつ、私はベンチで待つ倉瀬君に声を──
「お待た…………なに、やってるの?」
しきりに手の平に何かを書いては飲み込んでいる倉瀬君に、思わずその場に棒立ちになる。
すると、倉瀬君は手元から顔を上げて素早く立ち上がった。
「ああ、いや……手の平に『心無罣礙』って書いて飲み込んでただけ」
「“だけ”じゃない」
しんむけげ? なんだっけ、般若心経の一節だったと思うけど……身剥け毛? うん、絶対違うね。
私が埒もないことを考えているのを余所に、倉瀬君は何事もなかったかのように手元のパンフレットに視線を落とした。
「それじゃあ、次はどこ行こうか? 無難にコースター系行ってみる?」
「あ、うん。いいよ」
「オッケー、じゃあこっちね」
そして、すごく自然なエスコート。そこには一切の動揺がない。
……うん、やっぱり倉瀬君は気にしてないみたい。気にしてたのは、私だけで……
イラッ
……? あれ? 今、なんで私イラっとしたの?
倉瀬君が気にしてないのはいいこと……それに、倉瀬君が動揺してないのなんていつものことで……むしろ、らしくもなく動揺してたのは私の方なのに……いや、そうか。
私があんなに動揺したのに、倉瀬君が全く動揺していないのが腹立たしいんだ、私は。
そう納得すると同時に、急激に苛立ちが増してきた。理不尽な苛立ちであることを頭では理解していながら、感情を全く制御出来ない。
(そうだよ……私、男の子と腕を組んだのなんて初めてだったのに、なんであんなに平然としてるの? 少しくらい狼狽えるとか、頬を赤らめるとかあってもいいんじゃないの!? あ、あんなに、み、密着してたのに……してたのに!! …………ん? あれ? ま、まさか……)
まさか……倉瀬君は、初めてじゃない!?
突如として閃いたその考えに、私は愕然とする。
(い、いや、そんなこと……倉瀬君の最初の彼女は私……って、言ってない。倉瀬君はそんなこと一言も言ってない!!)
もしかして……倉瀬君は、他の娘と付き合った経験があるんじゃ? だから、腕を組んでも平然としてるんじゃ? 慣れてるから。他の娘と、腕を組んだ経験があるから。他の娘、と……
イラッ、ムカムカッ!!
高ぶる苛立ちに、はっきりと眉間にしわが寄るのが分かった。
軽く顔を俯け、倉瀬君から表情を隠しながら、私はなんとか気持ちを落ち着かせようとする。
(そう……倉瀬君優しいし……紳士だし? 前に彼女がいたって何も不思議なことはないし。別に、私が気にすることじゃないし……と、いうか)
訊けばいいじゃない、気になるなら。いや、でもなんて? 彼氏に、他に彼女がいたかどうか訊くのってかなり難易度高くない?
(んん~~~……いや、えぇ~~っと、あ~~……)
しばし考え、私が思い付いたのは、なんとも遠回しでこすい訊き方だった。
「倉瀬君は、あまり遊園地とかは行かないの?」
「ん? そうだね……もう2年くらい行ってないかな?」
「ふぅん……前の彼女さんとも?」
「え?」
本当に何気ない調子でそう問い掛けると、倉瀬君が少し怪訝そうな顔をする。それに対して、私は内心ものすごく緊張しながらも、なんとか不思議そうな表情を作ってみせる。
「あれ? 倉瀬君、中学生の頃彼女いたんだよね?」
「……いや? いなかったけど……」
「え、そうなの? 私はそう聞いたんだけど……」
「それ、どこ情報?」
「えっと……あれ? 誰に聞いたんだっけ?」
「いや、僕に言われても分からないけど……彼女なんていたことないよ。そもそも、僕の初恋は渡井さんだし」
僕の初恋は渡井さんだし
僕の初恋は、渡井さんだし
僕の“初恋”は、“渡井さん”だし…………
「ふぅん……へぇ、そぉ……」
怪訝そうな倉瀬君の視線を避けるように俯きながら、意味もなく左手で前髪を整える。そうやって左腕で視線をガードしていなければ取り繕えないほど、私はハッキリと口元をにやけさせていた。
(へぇ~そう。ふぅ~ん、そっかぁ。へぇ~~、初恋ねぇ~~……ほぉ~~ん)
なんなんだろう、これは。
さっきまで眉間のしわをゆるめようと必死だったのに、今は口元のゆるみをどうにかしようと必死になっている。かつて、これほどまでに躍起になって、自分の表情を抑え込もうとしたことがあるだろうか?
元々感情があまり表に出ない方である私にとって、表情は抑え込むものではなく作るものだった。
新体操の時だってそう。自分の演技に合った表情が出来るよう、鏡の前で何十時間も表情を作る練習をした。それでもなお、コーチや審査員に「表情が硬い」とか「感情表現が下手」とか言われていたくらいだ。
なのに、今は自分でもはっきり分かるくらい表情が動いてしまっている。それどころか、いつも通りに澄ました表情を浮かべることも、別の表情を作ることも出来ない。……なんでもないことのはずなのに。いつもやっていることのはずなのに、それが出来ない。
制御出来ない感情に、私はまたしても逃げ出したくなった。
どこかに逃げ込んで、またひとしきり叫んで悶えないと、いつもの自分に戻れない気がした。
こんな自分を倉瀬君に見られたくない。どうにか口実を作って……
「っと、渡井さん」
「え?」
その時、急に倉瀬君に肩を掴まれ、グイっと引き寄せられた。その数瞬後、私の隣を風船を持った子供達がきゃいきゃいと騒ぎながら駆け抜けていった。
どうやら、俯いて歩いていたせいでこちらに近付いて来る子供達に気付けなかったらしい。倉瀬君が引き寄せてくれなければ、よそ見している子供達と正面衝突していただろう……が、そんなことを気にしている余裕は今の私にはなかった。
(ふあーーーーー!!?)
か、肩に倉瀬君の手が! こ、これ、完全に抱き寄せられてるよね!? そんな、倉瀬君人前で大胆……じゃなくて! これは事故を回避するためでだけど手が、肩が、ふぅあああーーーー!!?!
「あ、ごめんね?」
「ふぁ?」
私が1人でプチパニック状態に陥っている中、倉瀬君は謝罪と共にあっさりと手を放してしまった。
……なんで謝るの? たしかに恥ずかしかったけど、私は別に……別に?
(ん?)
別に……なに? 私は……
「あ、見えてきた。あれじゃない?」
「え? ああ……」
倉瀬君の言葉に、私は疑問を一旦脇に置いておいて、倉瀬君の指差す方向を見て……
「……なに、あれ」
絶句した。
そこにあったのは、明らかに骨をモチーフにしたジェットコースターだったから。レールも、それを支える支柱も、白骨の形をした金属棒で組まれている。……本格的に大丈夫? この遊園地。
「……スケルトン・コースターっていうらしいよ」
「まんまだね……というか、コースの途中が建物の中に隠れてるんだけど? あれ、どうなってるの?」
「えぇっと……『絶叫必至のホラーコースター。数多くの日本初を詰め込んだ表野ナイトメアランド一番人気のアトラクション』だってさ」
「うん、全然内容が分からないね」
「あと、総工費は4億4400万円だって」
「なにその速度を求める算数の問題に出て来るたかし君の身長並みに意味のない情報」
「ま、行ってみれば分かるでしょ」
「まあ、ね」
よく分からないながらも、百聞は一見に如かずと乗り込み口に向かい……後悔した。
「ちょっと待って! スケルトンってそっち!?」
なんとこのコースター、うつ伏せに寝っ転がって、頭から突っ込む形で滑走するコースターだったのだ。スケルトンはスケルトンでも、冬季オリンピック種目の1つでもある、そり競技の方のスケルトンだった。
「あはは……これは流石に予想外だね……」
隣でうつ伏せ状態で固定される倉瀬君が、苦笑気味にそう言う。
こう言っては失礼だが、なかなかに滑稽な格好だ。いや、私も同じ格好してるんだろうけど。
これでは恋人同士で手を繋ぎながら絶叫、みたいなことも出来ない。いや、別に期待してたわけじゃないけど……ロマンもへったくれもないな、このコースター。
『それでは出発しま~す。逝ってらっしゃ~い』
……なんか、アナウンスのイントネーションが変だったような……って、
「え!?」
コースターが動き始めると同時に、床板が透明になった。
(ちょっと待って!? スケルトンってそっちの意味も含んでるの!? 遠くに見える地面が丸見えなんですけど!?)
今の時点でもかなり高い。というか、いつの間にか肩を固定する安全バーまで透明になってる。ものすごく心許ないんですけど!!
「ちょ、ちょっと待って?」
言ったところで、一度動き始めたコースターが止まるはずもなく。
……数分後、また1つ新たな黒歴史が生まれた。
心無罣礙:心に引っ掛かることやこだわりがないということ。断じて毛が剥けているという意味ではない。




