絶食系男子、服を選ぶ
蝉時雨が降り注ぐ中、僕と渡井さんは駅に向かって──正確には、駅に併設されているショッピングセンターに向かって歩いていた。
目的は、僕の服を買うこと。
精神修養を終えた後、祖父に渡されたサトラーTシャツ。これがどうにも、渡井さんのお気に召さなかったようなのだ。
僕としては、本心ではどうあれ今日のデートを「息抜き」と言っていた渡井さんの為に、今日は全力で彼女を楽しませるつもりだった。
だからこそ、「私欲を滅して渡井さんの息抜きに付き合う」というある種の自戒の意味も込めて、サトラーTシャツを着て来たのだが……何が気に入らなかったのだろう?
チラリと隣を歩く渡井さんの方を見ると、バチッと目が合って、しかし次の瞬間にはパッと目を逸らされる。
……今日の渡井さんは、なんだか妙に落ち着きがない気がする。
先程からチラチラと視線は感じるのだが、それがどういった感情によるものなのかは分からない。
会話がないことに気まずさを感じているのかとも思ったが、渡井さんと一緒にいる時に会話がなくなるなんて珍しいことでもない。
元々渡井さんは口数が少ない方だし、自分から積極的に話を切り出すタイプでもない。それに僕も、渡井さんと一緒にいる時は緊張で口数が減ってしまっていた。
その結果、部活からの帰り道にお互いに無言で歩き続けるなんてことは結構ザラにあった。
でも、渡井さんがそのことを気にしていたという記憶はない。
(んん~~? ……あっ、これはもしかしてあれか? 僕の服にケチ付けちゃったのを気にしてるのか?)
そう考え、ちょうどよかったので僕はサトラーTシャツのどこが気に入らなかったのか訊いてみることにした。
「この服……気に入らなかったかな?」
「えっ!? あ、そう、ね……ちょっと背中の『天上天下唯我独尊』が……こう言ったら悪いけど、正直暴走族みたいで……」
「……ああっ!」
言われてみれば、ドラマとかで見る特攻服? とかいうのにそういう文字が書かれてた気もする。
そうか、これは盲点だった。
「そっか……そうだね。言われてみればそう思う人もいるよね」
「ごめんね? 気を悪くしないで欲しいんだけど……」
「いや、大丈夫だよ。そういった誤解をされないだけの風格が僕に備わっていないことが問題なんだから……」
「いや、そういう問題じゃないと思うけど」
渡井さんはそう言うが、実際じいちゃんはこのサトラーTシャツを完全に着こなしていた。だから、やはり着る人が着ればきちんと似合うのだ。
ただ、僕のサトラーレベルがこの装備の要求するレベルに達していないだけなのだ……。
「残念だけど……外で着るのはやめるか。この服を着てれば、暑い夏でも快適に過ごせるんだけど……」
「? どういうこと?」
「『心頭滅却すれば火もまた涼し』って言うでしょ? この服を着てれば、それと近い状況になって暑さが気にならなくなるんだよ」
「なにそれすごい」
「でしょ? じいちゃんの話では、この服を着て庭掃除をしてると、だんだん意識がふわふわと浮かび上がるような感じがするんだって」
「うん、それは十中八九熱中症だと思う」
そんな会話をしながら、2人並んでショッピングセンターに向かった。
ただ、その間もふとした瞬間に渡井さんの視線を感じたのだが……結局その理由は分からず仕舞いだった。
* * * * * * *
休日のショッピングセンターは、多くの人々で賑わっていた。
多くの家族連れや若者達が、それぞれに買い物を楽しんでいる。
その光景を横目に、僕と渡井さんはエスカレーターで上の階へと上がっていく。
この建物では6階が男性用の、7階が女性用の服売り場になっているので、僕らはとりあえず真っ直ぐ6階に向かうことにした。
6階には、服屋だけでなく靴屋や眼鏡屋など、複数の店が軒を連ねていた。
とりあえず一回ぐるっとフロアを回ることにして、2人で店の中を覗きながら歩く。
そうやって並んで歩いていると、やはりというか、あちこちから渡井さんに視線が集まるのが分かった。
正面からすれ違う男性陣はそのほとんどが渡井さんに視線が吸い寄せられているし、店内を見回っている男性店員ですら、足を止めて渡井さんを目で追っている。
(やっぱり目立つなぁ)
過去3回のデートでも思ったことだが、改めてそう思う。
まあただでさえ常人離れして整った容姿に加え、テレビや雑誌など度々メディアに取り上げられているちょっとした有名人なのだから、注目を集めるのも無理ないが。
「そういえば、倉瀬君は普段どこで服買ってるの?」
「え?」
不意に渡井さんにそう訊かれ、僕は少し迷った。
というのも、僕は自分で服を買ったことがなくて……つまり……
「あぁ~~……普段は親が買ってくれたものをそのまま着てる、かな」
そういうことだ。
高2になって、未だに母親が買ってきた服を着てるというのは少し恥ずかしい気もするが、事実なのだから仕方がない。
「そっ、か……」
「……呆れた?」
「ううん、そんなことないよ」
そう言うと、渡井さんは心なしかキリッとした表情でサムズアップした。
「私もレオタード以外の私服は全部お母さん任せだから」
ここでまさかの共通点。
僕も無言でサムズアップを返す。
ちょっと2人の距離が縮まった気がした。
「でも……そっか、じゃあどのお店がいいとかも分からないね」
「……面目ない」
流石に少し情けない気分になってしまう。
「でも、逆を言えば別にこだわりとかもないから……適当なお店でサクッと買うよ」
「え? ダメだよ。今日は私が倉瀬君にプレゼントするんだから」
「え?」
思わぬ言葉に、足を止めて顔を見合わせる。
「……なんで?」
「その……普段のお礼?」
「お礼? ……お礼されるようなことしたっけ?」
「してるよ。毎日部活のお手伝いしてくれるし……」
「あれは僕が勝手にやってることだから、別にお礼をされるようなことじゃないよ」
「……それでも、私の都合に付き合ってもらってるのは確かだから」
「もらってるも何も、僕が好きでやってるんだって」
そう言うと、渡井さんは微かにむっと眉根に皺を寄せてしまった。
どうやらなんとしてもお礼をしたいらしい。
と言っても、こちらには本当にお礼をもらう理由がないので、僕は渡井さんの目を真っ直ぐ見詰めて告げた。
「それに、僕は渡井さんと一緒にいるだけで幸せだから。それだけで十分にお礼はもらってるよ」
「う、ぉ、ん……」
すると、渡井さんはパッと顔を伏せて口籠ってしまった。
手櫛でしきりに前髪を撫でつけるようにしながら、何やらもごもごと口を動かしているが、何を言っているか聞こえないし表情も見えない。
「渡井さん?」
「……」
「わた──」
「ふんっ!」
「んぐっ! な、なんで頭突き……?」
屈んで顔を覗き込もうとしたら、顔を伏せたまま無言で胸に頭突きをされた。
別に力は込もっていなかったので全然痛くはなかったが、突然のことで少し息が詰まる。
胸を押さえて軽くむせていると、少ししてから渡井さんがパッと顔を上げた。
「よし、ならこうしよう」
そう言った渡井さんはいつも通りのクールな表情で、まるで先程の頭突きなどなかったような顔をしていた。
「……なに?」
「私が倉瀬君に服をプレゼントするから、代わりに倉瀬君も私に服を選んでプレゼントして」
「……なるほど」
それならいいかもしれない。
お互いがお互いの服を選んでプレゼントをする……なんか恋人みたいだな。あっ、一応恋人か。
「いいよ、そういうことなら」
「よし、じゃあ倉瀬君は上の階ね」
「え、ああ……そっか。じゃあまた後で」
「うん。あっ、とりあえず30分を目安にしようか。えぇ~っと、じゃあ10時半にこの階のエスカレーター前に集合ってことで」
「分かった」
そう言うと、一旦渡井さんと別れてエスカレーターに向かう。
こんな男だらけの場所に渡井さんを1人にすることには少し不安を感じたが、考えてみれば渡井さんはこれまで何十人という数の男をフッてきたんだ。ナンパ男の1人や2人、僕がいなくても軽くあしらえるだろう。
エスカレーターで7階に上がると、そこは軽く未知の世界だった。
男性用フロアから女性用フロアに変わっただけなのに、なんだか全体的にきらびやかに見えるのは気のせいだろうか。
(当然と言えば当然だけど……かなり場違いな気が)
周囲のお客さんは軒並み女性。店員も女性。
男性もぽつぽつといるが、その人達は全員女性連れだった。今のところ、男1人でいるのは僕以外に見当たらない。
流石に居心地の悪さを感じた僕は、少し早足でフロアを見回り、若者向けで落ち着いた雰囲気の店を選んで中に入った。
ズボンやスカート、ワンピースが置いてある棚をスルーして、上着が置いてある棚にそそくさと近寄る。
(うわぁ、色々あるなぁ)
その数の多さ、デザインの豊富さに軽く圧倒されながらも、僕は陳列されている服に順番に目を通して行った。の、だが……
(う~ん、渡井さんならどれでも似合いそうなんだよなぁ)
この店のブランドのせいか、どの服を見ても、完璧に着こなしている姿しか思い浮かばない。
(こうなったら直感で選ぶか。というかさっさとこの場を離脱したい……)
そんな考えが浮かんできて、僕は頭を振った。
(いや、直感などという聞こえの良い言葉で誤魔化して、適当に選ぶなんて愚の骨頂。そう、これは試練だ。恋人としての、僕のセンスが試されているんだ! この中から、渡井さんを最高に引き立てる服を選ぶんだ!!)
そう思い直し、僕は恥ずかしさを捨てると、今一度真剣に吟味した。
そして、なんとか3着まで候補を絞ったところで……はたと大変まずいことに気付いた。
「僕、渡井さんの服のサイズ知らない……」
これは困った。
仮にも恋人として、これはいかがなものか。
明らかにプレゼント慣れしてないのが露見してしまった。
(えぇ~っと……たしか身長は165弱って言ってたような……。いや、でも身長だけ分かっても正確なサイズは分からないし……店員さんに訊けば……いや、それでも正確なところは分からないか。かと言って本人に訊くっていうのも……)
うんうんと頭を捻っても、妙案は浮かばない。
こうなったら実際に買うのは後回しにしておいて、渡井さんを呼んで先に見てもらおうか? デザインだけ見てもらって、サイズは本人に選んでもらうってことで……。
(それしかない、かなぁ……なんか締まらないけど)
1人で唸っていると、背後から聞き覚えのある声が掛けられた。
「ヘイ、どうしたんだいマイク? 俺でよかったら相談に乗るぜぇ?」
「本当かい、ボブ? 助かるよ…………とか言わないからね? なんで当然のような顔でここにいるのさ、仲澤さん」
振り返ると、そこには右手を自分の胸に当て、顎を引いて片眉を上げながらこちらに流し目をくれている仲澤さん。
……ボブじゃなくてディランだったのかな?
「……まさかとは思うけど、後を尾けてた?」
「いやいや、流石にそんな無粋なことはしないわよ。ここには知り合いが来たいって言ったから来ただけ。あたしはただの案内役」
そう言う仲澤さんの視線を追えば、そこには服を物色する見慣れない少女の姿が。
「見たことないなぁ。学外の友達?」
「いや、友達って訳でもないけど……最近知り合ったばかりだし」
「ふぅん? 最近知り合ったばかりの人にお店を案内してあげてたの?」
「……まあ、ちょっとした埋め合わせでね」
「へぇ、優しいね」
「(……引き千切られたくないからね)」
「え? 何?」
「……なんでもない」
なにやら挙動不審な仲澤さんに首を傾げていると、仲澤さんは何かを誤魔化すように視線を逸らしながら、話題を切り替えた。
「それはそうと、その服はなによ倉瀬君」
「え? そんなにマズイかな?」
「そんなにどころか、だいぶマズイでしょ。センスが」
「えぇ~~? そうかなぁ?」
「いやいや、『えぇ~~』って言うことに『えぇ~~』だわ」
「うぅ~~ん」
そんなにダメかなぁ……サトラーの目から見るとカッコイイけど、やっぱり一般人には受け入れられないのかな?
首を捻っていると、仲澤さんが背後を振り返って連れの少女に声を掛けた。
「ねぇ、あなたもそう思うでしょ? この服のセンスはどうかと思うわよね?」
そう訊かれた少女はチラリをこちらを見ると、すぐに手元の服に視線を戻しつつ言った。
「……ウチのおばあちゃんも時々同じ服着てるから、そこはノーコメントで」
「マジで!?」
まさかの返答。
彼女のお祖母さんはサトラーなのかな? ちょっと親近感湧いてきた。
「あぁ~~……若々しいセンスを持った素敵なおばあちゃん、ね?」
「まあ……とっても素敵で……それ以上に無敵なおばあちゃんですよ」
「あ、そ、そう……」
少し気まずそうな仲澤さんのフォローに、少女は微妙に遠い目をして答えた。
それを見て、ますます仲澤さんは気まずそうな顔になってしまう。なにこの悪循環。
「あぁ~~えぇ~~……んんっ! まあその服の是非はともかくとして……何か困ってるんだろう?」
誤魔化すように、なぜかまた妙に芝居がかった口調に戻る仲澤さん。
……仕切り直しですか。今の一連の流れはなかったことですか。分かりました。
「まあ、困ってると言えば困ってるけど……」
「みなまで言うなよマイク……メアリーの服のサイズが分からなくって困っているんだろう?」
「……この場合、『エスパーかよ』ってツッコミと『メアリーって誰だよ』ってツッコミ、どっちが正しいのかな? 悩むところだけど、ここはあえて大本を攻めようか。なんなの? その妙なテンションは?」
「おいおい~、そう言うお前は知ってるのかってぇ? 当然じゃないかぁ、俺を誰だと思ってるんだい? みんな大好きなお助けキャラ………………ディランだぜ?」
「伸ばしたな。この場合は『自分でお助けキャラとか言っちゃうのかよ』と『ディランだったのかよ』の、どっちのツッコミが正しいのかな? 悩むところだけど、とりあえずこう言っておこうか。聞けよ、僕の話」
「メアリーのことなら、身長体重に始まり、スリーサイズや指輪のサイズまできっちり把握してるぜぇ?」
「うん、男口調で言うと完全にセクハラだからね? というかなんで指輪のサイズを把握してる?」
「んん? それだけかって? ふぅ~~……仕方ねぇなぁ、じゃあとっておきの情報だ。メアリーの今日の下着の色は……」
「セクハラ通り越して変態か!! というか聞けよ話!!」
サトラーでも声を荒げることはあるんだね。初めて知ったよ。こんなことで知りたくなかったけど。
しかし、その甲斐あって(?)ようやく仲澤さんは妙な外人ノリをやめてくれた。
「まっ、冗談はこのくらいにするとして……」
「そうしてくれると本当に助かるよ……」
「で? 何が知りたい? 愛佳のスリーサイズ? 指輪のサイズ? それともぉ……し・た・ぎ?」
「どれでもないから! というかやめてないじゃん冗談!!」
「え? 冗談を言ったつもりはないけど?」
「余計タチが悪い!!」
「スリーサイズが3千円、指輪のサイズが5千円、下着の色が1万円になります」
「お金取るの!? というか最後の1つに関しては本当になんで知ってる!?」
「ヒント:昨日は白で一昨日はピンク」
「聞くんじゃなかった!」
「つまり普段の傾向からすると今日は……おっと、この先は有料よ?」
「言わなくていいから! というかいくら友達とはいえ、そんなことを僕に話したのが渡井さんにバレたら怒られるんじゃないの?」
「愛佳ってさ、普段から結構クールじゃない?」
「? うん」
「あまり感情を表に出す方じゃないし、怒ってるところなんてほとんど見たことないわけよ」
「うん」
「だからってわけでもないけど、ある日おふざけで、更衣室で着替えてる時に後ろから抱きついて胸を揉みしだいてみたんだよね」
「何やっとんねん」
「そしたらさ」
「はい」
「腹パンされたよね。無言で」
「おぅふ」
「人間、みぞおちをクリーンヒットされると、吐きそうになる以前に息が出来なくなるんだね」
「……」
「どうやら姫は、下ネタとかそっち方面のおふざけはお嫌いなようで」
「……つまり?」
「バレたら殺されるよね」
「じゃあやめようよ!!」
「だからバラさないでね。割とマジで」
「いや、言わないけどさ。むしろ記憶から抹消したいよ。さっきの情報」
これからどんな顔して渡井さんと会えばいいんだ。
「ふふふ、今でもあの衝撃を思い出すと……震えが止まらないよね」
「じゃあ言わなきゃいいのに……」
虚ろな目でガクガク震える仲澤さんに心底呆れていると、仲澤さんの連れだという少女がこちらに近寄って来た。
「何か盛り上がってるところ悪いですけど……もうここでの買い物は終わったんで、そろそろ行きません?」
「え? あ、そうね」
「本格的に何しに来たんだ……」
「ん……? あっ、そうだ。愛佳の服なら、とりあえずMサイズで問題ないと思うわよ?」
「ああ、それはどうも……」
「それじゃあ、また学校でね」
「あ、うん。またね」
連れの少女の後を追い掛けながらこちらに手を振る仲澤さんに、同じように手を振り返す。
そしてその姿が見えなくなったところで、ぼそっと呟いた。
「1分で済む要件にどれだけ時間を掛けるんだよ……」
なんとなく頭に浮かんだ「必死にカメラに映りたがる売出し中の芸人かよ」というツッコミは、胸の奥にしまっておいた。
ピンポンパンポーン(⤴)
【……ん? あいつどこ行った?】【あら、今朝服を買いに行くって言って出て行ったけど……まだ帰ってないの?】【……みたいだな。マジかよあいつ自由かよ】【仕方ないわね……もうチャイムも鳴らしちゃったことだし、私が代わりにやるわ。んんっ】
《 『断食系男子、悟りを開く』に出演中の倉瀬聡様に、作者よりお知らせです。ゴホン 【なんだよサトラーTシャツって。後書きの解説500字越えとかアホか。服屋でのショッピングなんて予定になかっただろうが。台本通りにやれよ! また話数が伸びるだろうがぁぁーー!!】 だ、そうです。本当ですよね。ただでさえ他の連載に手が回らなくなってるんですから、予定にないイベントは遠慮してほしいです。まったく……般若心経は最高だぜ 》
ピンポンパンポーン(⤵)
【……】【……なに?】【いや、声色の変わり方エグイなぁって】【あの子に比べればマシでしょ】




