クール系女子、デートに向かう
「う~ん……やっぱりスカートはまずい、よね……」
土曜日。練習を終えて帰宅した私は、夕食を食べてお風呂に入った後、自室の姿見の前で軽いファッションショーをやっていた。
クローゼットから引っ張り出してきた夏服をずらずらっとベッドの上に並べ、明日のデートに着ていく服を吟味する。
今まではそんなことはせず、その日の気分で適当な服を着て行っていたが、今回はそうもいかない。
なにせ、明日は私の主観では初めてとなる本格的なデートなのだから。
……いや、一応倉瀬君とは過去に3回ほどデートに行っているのだが……こう言うと倉瀬君には申し訳ないが、私の方にはイマイチそういう意識が無かったのだ。
どちらかというと、普通に友達と遊びに行く感覚だったので、普段佐奈と遊びに行くのと同じテンションで行ってしまっていた。当然、服装とかも特に気を遣っていなかった。
だが、今回は違う。
今回のデートは、私が倉瀬君に歩み寄るためのものだからだ。
倉瀬君ときちんと向き合い、そして私自身の気持ちと向き合うためのデート。
ならば、それなりに気合いを入れて行かなければならないだろう。
「と、言ってもねぇ……」
遊園地デートとなると、おのずと選択肢は限られてくる気がする。
アトラクションに乗る際、機械に巻き込む危険性があるロングスカートは論外。かと言ってミニスカートでは、今度は別の意味で危険なのでこれもアウト。
靴も、遊園地ならスニーカーを履いていくのが無難だろう。
となると、組み合わせ的に服は──
「──っ、くしゅっ!」
不意にくしゃみが出てしまい、私は体が冷えて来ているのを自覚した。
ふと時計を見ると、お風呂から上がってかれこれ30分近く経っているのが分かった。慣れないことをすると、時間が経つのが速い。
いくら夏真っ盛りとはいえ、いつまでも風呂上りに下着姿でいては湯冷めしてしまうだろう。
私は一旦ファッションショーを中断すると、ベッドの上に広げられた服の下からパジャマを引っ張り出し、手早く着込む。
「……」
……なんだか、これ以上ファッションショーをする気が急激に失せてしまった。
いや、別に深い理由は無い。
たった今、改めてベッドの上に並べられた服を見て、「あれ? レオタードに比べて私服の種類少なくない……?」なんて考えが頭を過ぎったけど、特に関係は無い。無いったら無い。
べ、別に自分の女子力の低さを自覚して凹んでたりなんてしませんけど?
ま、まあ方針は固まったし、あとは明日の朝決めればいいだろう。
ここで湯冷めして風邪を引いたりしたら元も子もないしね。うん。
そう自分に言い聞かせ、引っ張り出した服を元通りにクローゼットにしまうと、今日はさっさと寝ることにした。
トイレを済まし、家族におやすみなさいの挨拶をすると、部屋の電気を消してベッドに横たわる。
いつもより1時間近く早いが、なんだかんだこの1週間の疲れが溜まっているので、その内眠くなるだろう。
……………………
……………………
……………………
……と、思っていたのだが
(寝付けない……)
なんだか妙に頭の中が冴えてしまって、全然眠気が来なかった。
明日の予定をつらつらと考えていればいつか寝落ちするんじゃないかと思っていたのだが、全然そんなことはなかった。
むしろ色々と想像が膨らんで思考がはっきりしてしまう。
それに、気付くとなぜか口元がニヤケてしまっていた。
(遊園地が楽しみで眠れないとか……小学生じゃあるまいし……)
そう自嘲してみるも、どうにも勝手に口角が上がってしまう。
目を瞑ったまま口元だけニヤケさせている今の私は、傍から見たら完全に変質者だろう。
(あぁーーーーっ! もうっ! 寝る! もう寝るのっ!!)
ゴロンと勢いよく寝返りを打ち、うつ伏せになると、私は枕に思いっ切り顔を押し付けた。
当然息苦しいが、気にせずにぐりぐりと顔を枕にめり込ませる。
しばらくそうしていると、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
ふっと全身から力を抜くと、そのままベッドに沈み込んでいくような錯覚を覚える。
(あ……やっと眠れそう……)
ぼんやりとそんなことを考え、睡魔に身を任せる。
(明日起きたら……公園で……待ち合わせ…………倉瀬、くん、と………………デート………………遊、園…………………倉、せ……………………)
「ふへへっ」
…………あ
『ううぅぅぅにゃああぁぁああぁぁぁ~~~~!!!』
我知らず不意に漏れた含み笑いに、私は猛烈に恥ずかしいようなくすぐったいような感覚に襲われ、一瞬にして眠気が吹き飛んだ。
なんだかじっとしていられず、両腕で枕を顔に押し付けたまま、奇声を上げながらベッドの上で身悶える。
うん、どう見ても完全に変質者です。ありがとうございました。
* * * * * * *
── 翌朝
結局、昨日はあの後もなかなか寝付けず、最終的に、この前覚えたばかりの般若心経を頭の中で唱えている内に気付いたら眠っていた。般若心経すごい。
でも、いつもより1時間近く早くベッドに入っておきながら、なんだかんだで寝た時間は普段と変わらなかった気がする。なんという徒労感。
私はなんとも釈然としない気持ちのまま身支度を整えると、家を出た。
倉瀬君との待ち合わせ場所は、この前別れ話をした家の近くの公園だ。
私は駅前で待ち合わせしようとしたのだが、倉瀬君に「迎えに行くよ」と言われてそのまま押し切られてしまった。それでも、なんとなく恥ずかしかったので、流石に家に直接迎えに来るのは遠慮してもらったが。
公園の入り口を通り抜け、並木道を歩いていく。
しばらく歩くと、右にゆるくカーブしている道の先で、道端のベンチに倉瀬君が座っているのを発見した。
倉瀬君はこちらに体側を向け、ベンチの上で半跏趺坐をしていた。
「……」
……うん、少し安心した。
何に安心したかって、倉瀬君が普通の格好でいたことにね。
いや、別にそこまで疑ってたわけじゃないけどね?
ただまあ……その、最近の倉瀬君の言動からして、最悪、作務衣着て結跏趺坐組んだ状態で待ってたりするかも~~……なんてね? いや、本気でそうなると考えてたわけじゃないけども!
とりあえずほっとした。
半跏趺坐は単純に足を組んでいるように見えなくもないし、目を瞑っているのが変と言えば変だが、イヤホンをしているので、目を閉じて音楽に集中しているように見えなくもない。
服装も至って普通で、英文がプリントされたTシャツに、七分丈のカーゴパンツを履いている。
ちなみに、今日の私は半袖のブラウスにデニムという格好だ。
無難と言えば無難だが、これでもブラウスは自分の手持ちの中でも一番かわいいものを選んだ……つもりだ。
「んんっ」
意味もなく咳払いをして、前髪を手櫛で梳いてから、私は改めて倉瀬君に近付いた。
倉瀬君は、綺麗に背筋の伸びた姿勢のまま、微動だにしない。
そして、倉瀬君との距離が10mを切った辺りで、こちらから声を掛けようとして──
「フーー……っ」
足を止め、額に手を当てた。
うん、普通の格好だと思った私がバカでした。
遠目には英文がプリントされたTシャツのように見えたけど、近くで見て分かった。
これ、英文じゃなくて般若心経だわ。
Tシャツの前面にびっしり般若心経が書かれてるんだわ。
なにコレ? 平家の亡霊でも出てくるの? 耳取られちゃうの?
そんなことを考えていると、視線を感じたのか、倉瀬君が目を開けた。
ワイヤレスイヤホンを耳から外すと、ポケットに入っている音楽プレーヤーを停止させ、鞄の中にしまい始める。
「おはよう、渡井さん」
「……おはよう」
柔らかな笑みと共に挨拶をされるが、私はまだ、にこやかに挨拶を返せるほど精神が復調していない。
自然、挨拶がぎこちなくなり、微妙に気まずい雰囲気が流れる。
(えぇ~~っと、どうしよう。何か話題…………問題のTシャツは……いや、これは触れちゃダメなやつだ。となるとえぇ~~っと、えぇ~~~……あっ、そうだ)
「何を聞いてたの?」
咄嗟に、今しがた倉瀬君がしまった音楽プレーヤーの話題を振る。
苦し紛れではあるが、考えなしに闇雲に話題を変えた訳ではない。
なぜなら、倉瀬君の好きなアーティストは、佐奈からリサーチして勉強済みだから。
倉瀬君から直接聞いた訳じゃないというのが少し情けないけど、今なら倉瀬君の音楽の話題に付いて行ける気が────
「“心に癒しを 日本全国の鐘の音100選”だけど?」
「なんそれ」
ごめん。般若心経を聞いてたっていうんならまだ予想の範囲内だったけど、それは流石に予想外だわ。
鐘の音100選? もはや一周回って興味が湧いてきたんだけど? いや、聞かないけども。
私が真顔で沈黙していると、鞄を閉じた倉瀬君が足を解いてベンチから立ち上がった。
何気なくそのベンチの方を見て、私は眉をひそめてしまった。
ベンチは落ち葉や砂ぼこりやらで汚れていて、お世辞にも綺麗とは言い難い状態だったからだ。
「何もこんなところに座って待ってなくても……お尻が汚れちゃったんじゃない?」
倉瀬君が座っていた場所が昨日の雨で湿っているのを見て、私はそう言った。
しかし、倉瀬君はチラリとベンチの方を見ると、なんのことはない様子で言った。
「あぁ……それは大丈夫。ちょっとお尻浮かしてたから」
「そっかぁ! それなら心配ないネ!!」
全力でスルー。
頭の中の冷静な私が、「いや、それは物理的に無理じゃない?」とツッコミを入れてるけど、口には出さない。世の中深く掘り下げない方がいいことってあると思う。
「これが本当の半跏浮坐だね」
「そだねー」
ちょっと何言ってるか分からないけどスルー。
YESサトラーNOツッコミ。
「それじゃあ、行こうか」
「え、あ、うん」
一瞬「え? 本当にその恰好で行くの!?」と言い掛けたけど、すんでのところで飲み込む。
般若心経がびっしり書かれてるTシャツ……ま、まあこれも一種のクールジャパンだと思えばなんとか……って!?
「んぐっ!?」
思わず吹き出し掛けて、慌てて口を手で押さえる。
我ながらよく耐えたと思う。
いや、だって前に向き直った倉瀬君の背中に、すごい達筆で『天上天下唯我独尊』って大書されてるんだもん!
「それじゃあまずは駅に──」
「いや、その前に」
背後から倉瀬君の肩をガッと掴む。
そして振り返った倉瀬君に、かつてないマジトーンで告げた。
「服買いに行こう」
半跏浮坐:簡単に言えば足を組んだ状態での空気椅子。普通の人はまず出来ない。むしろ出来たらおかしい。サトラーになれば、大体レベル×5分間その体勢を維持出来るようになり、1時間以上維持出来たらレベル11(初住)に到達したと認められる。
ちなみにサトラーレベル41以上になると、半跏浮坐の上位互換である結跏浮坐を使えるようになる。つまりもう、端的に言って人間やめてる。
YESサトラーNOツッコミ:「サトラーとはただ静かに見守り、崇めるもの! いくらその言動が理解出来なくても、ふざけていると思ったり、あまつさえツッコミの対象として見たりしてはいけない!」という俗人のマナーであり、掟。
天上天下唯我独尊:本来の意味は、簡単に言うと「全ての人間は、我々人間のみ(唯我)になし得るたった1つの崇高な目的(独尊)を持って生まれた平等な存在である」という意味。間違っても「俺様こそがこの世で一番偉い」という意味ではない
サトラーTシャツ:前面に般若心経、背面に天上天下唯我独尊とすごい達筆で書かれているTシャツ。サトラーになったことを認められると、その証として師から渡される。プリントされている文字はサトレストが書いたものであり、印刷とはいえ僅かながら見た者の煩悩を祓う効果がある。が、デート相手の煩悩を祓ってどうするのだという話である。このTシャツを着ていれば、どんなにデートで気分が盛り上がっても18禁展開にはならないので、プラトニックなお付き合いがお望みならちょうどいいかもしれないが。もっとも周囲の人間も巻き添えを食うので、これを着てカップルだらけのデートスポットに行くと、とんだ悟りテロになる可能性がある。
ちなみに、値段は気持ち。そこに至るまで導いてくれた師に対する感謝の気持ちを、お金で表すのである。金額は問題ではない。そもそも、金額がどうとか気にしている時点で、まだまだサトラーとして未熟であるという証拠である。本当の幸福。目指すべき悟りの境地とは、お金を積んだからといって辿り着けるものではないのだから…………とまあ、お金に執着することの浅ましさを小1時間説かれた後で、「で? いくら出す?」と聞かれる。伝統的なサトラージョークの一種だが、仙術を行使する高位のサトラーであっても、霞だけを食って生きていける訳ではないということの証左でもある。世知辛い。