クール系女子、新たな一歩を踏み出す
倉瀬君と握手をしながら、私は自責の念で胸の奥が軋むのを感じていた。
私だって、半年間ただ漫然と倉瀬君と一緒にいた訳じゃない。
これでも少しくらいは、倉瀬君のことを分かっているつもりだ。
だから、気付いてしまった。……気付かずには、いられなかった。
ねぇ倉瀬君、あなたは気付いていないんだろうね。
あなたが嘘を吐く時、髪を触る癖があることを。
ねぇ倉瀬君、私は気付いてしまったよ。
あなたが吐いた、優しい嘘に。
私が、これ以上自分を責めないように。
自分を悪者にするために吐いた、あなたの嘘に。
私は、あなたに何を返せるのだろう?
どうしようもなく優しいあなたに、どう報いればいいのだろう?
胸の奥が軋むような……それでいて強く締め付けられるような……そんな不思議な感情を持て余しながら、私はずっとそのことを考え続けていた。
* * * * * * *
『それで? 結局別れずに恋人関係を継続することになったんだ?』
「うん……」
あの後、私は倉瀬君といつも通り家の前で別れた。
それから晩ご飯を食べ、自室に戻ると、スマホで佐奈に事の次第を報告することにしたのだ。
『ふぅ~~ん……』
電話の向こうで、佐奈が間延びした声を漏らす。
私はそれを、なんとなくベッドの上で正座しながら聞いていた。
いや、なぜ正座かと問われても困るのだが……なんというか、佐奈に叱られそうな気がしたのだ。
佐奈には倉瀬君と別れるように言われたのに、結局また倉瀬君の優しさに甘える形で、交際を続けることになってしまった。
そのこと自体に後悔はないが……そう、言うなれば指示通りに出来なかったことを先生に報告する生徒の気分、だろうか。
そうすると、今の私はさながら先生の採点を待つ生徒、といったところか。
うん、大体合ってる気がしてきた。
しかし、そんな気分で佐奈の言葉を待つ私を他所に、佐奈はしばらく何も言わなかった。
「あの……佐奈?」
『ん~~?』
「その……何も言わないの? 結局、なんだかずるずると関係を続けることになっちゃって……」
『……そういう言い方すると、なんだかイケない関係みたいに聞こえるけど……。別にいいんじゃない? 2人で決めたことに、あたしがどうこう言うのはお門違いでしょ』
沈黙に耐え切れずに遂に自分から聞いてしまった私に、佐奈はあっけらかんとした口調でそう言った。
その言葉に、ふっと肩から力が抜ける。
そして、そんな自分に苦笑を浮かべた。
なんだかんだで、前回の佐奈のガチ説教が軽くトラウマになっているらしい。
まあ完全に自業自得とはいえ、あそこまで容赦なく痛いところを突かれれば無理もないか。
『それにしても……倉瀬君、心が広過ぎでしょ……仏? 仏なの?』
「……それは私も思った」
『なんというか……すごい達観? してるような感じがしたよね。今日の倉瀬君』
「うん、それに……」
それだけじゃない。今日の倉瀬君は……
「それに、なんだか……今日の倉瀬君は、いつになく饒舌だった気がする」
いつもの倉瀬君は、どちらかと言うと口数は少ない方だったと思うのだが。
しかし、その私の呟きに、電話口の向こうから思わぬ言葉が返ってきた。
『いや、倉瀬君が口数少ないのは、あんたといる時だけだから』
「え……?」
『あんたのいないところでなら、あたしとか他の部員相手に普通に話してるわよ?』
「えぇ!?」
それは……どういうこと?
私がいると口数が減る?
それは……私がいると話題に困るってこと?
ま、まさか……2人でいる時、実はずっと気まずい思いを……?
『何考えてるか大体想像つくけど、そうじゃないから』
「え?」
『好きな相手と一緒にいて、緊張しちゃうのは人として当然のことでしょ?』
「好き、って……」
なんだか顔が熱い。背筋がムズムズする。
何とも言えないむず痒さに、意味もなく近くにあった枕をぺしぺし叩いていると、佐奈が納得したような声を出した。
『そっか、なんだか今日は2人の距離が近い気がしたけど……倉瀬君が普通に会話してたからか』
「……そんなに、私といる時の倉瀬君って口数減ってた?」
『あたしが見てる限りではね。実際、一緒に帰ってても部活の話くらいしかしたことないんじゃない?』
「……」
図星だった。これ以上ないくらいに。
『念のため聞くけど、お互いの趣味の話とか……してないよね。うん』
「……佐奈とはしてたの?」
『ん? う~ん……まあ、好きなマンガとか好きな音楽とか……軽く世間話程度にはね』
「……ふ~ん」
なんだろう。
なんだかすごくもやもやする。
ふと気が付くと、いつの間にか枕ぺしぺしが枕ぼすぼすになってしまっていた。
「……ちなみに、倉瀬君が好きな音楽は?」
『え? え~っと、最近はBlue Dreamersにハマってるって言ってたっけ』
「……ふぅ~~ん」
倉瀬君……佐奈とは普通に趣味の話とかしてたんだ……いや、別にいいんだけどね? 全然、いいんだけどね? ただまあ? 今日はいつになくホコリが舞うなぁ~ってね? ふんっ!
『……愛佳? なんか、何かをバンバン叩く音が聞こえるんだけど?』
「気にしないで。……倉瀬君だって、話してくれればよかったのに……」
『いや、だってそれは……』
「なに?」
なんだかつい声がトゲトゲしくなってしまう。
感じが悪いことをしている自覚はあったが、どうにも抑えられなかった。
『だって……あんた自身が、流行りのマンガとか音楽とか全然知らないじゃない』
「え……?」
手が止まる。
それは、つまり……
「倉瀬君が、その話を私に振らなかったのは……?」
『あんたを気遣ったからでしょ』
「……ふぅ~ん?」
なぁ~んだ、そっかぁ。
私が付いていけない話題を避けていただけかぁ。
あっ、ごめんね? バンバン叩いちゃって。へこんじゃったね? ごめんごめん。よしよ~し。ふふっ♪
『……なんか、今度は鼻歌っぽいのが聞こえるんだけど?』
「んん~~? なにがぁ?」
『なにがって……まあとにかく、せっかく交際を続けるんだったら、これからはそういったこともお互いに話すようにしたら?』
「うん……分かってる。ちょうど、倉瀬君のことを知りたいと思ってたところだから……。そして……知りたい。恋愛について」
『愛佳……』
「倉瀬君の優しさに甘えて、今の関係を続けることにしたんだから……今度はちゃんと答えを出したい。私が、倉瀬君をどう思っているのか……ちゃんと答えを出した上で、もう一度話すよ。倉瀬君と」
『……そっか。まあいろいろ言ったけど、あたしはずっと愛佳の味方だからさ』
「うん、ありがとう。……本当に」
『いいっていいって。じゃあ、あたしそろそろお風呂入るから……』
「うん、また明日ね」
『ん、また明日』
その言葉を最後に、通話が切れた。
「……ふぅ」
小さく息を吐くと、そのままベッドに横たわる。
ゴロンと寝返りを打ち、枕を胸に抱いたままぼんやりと天井を見上げる。
「趣味の話、かぁ……」
言われてみれば、たしかに全然そんな話をした覚えがなかった。
そんなことすら、指摘されるまで気付かないなんて……。
また自己嫌悪に陥りかけて、慌てて跳ね起きる。
ダメだ。ここで落ち込み出したらキリがない。
「そうだ。さっき佐奈が言ってたBlue Dreamersについて調べておこう」
落ち込んでいる暇があるなら、その時間で倉瀬君の趣味を知る努力をすべきだろう。
そう自分自身に言い聞かせると、私はスマホを起動させてインターネットを開き────
「……」
少し迷った後、検索フォームに「般若心経」と入力した。
【次回予告】
お互いの想いを打ち明け合い、改めて恋人関係を結び直した2人。
この一件を経て、これから2人の距離が徐々に縮まっていくのではないかと思われた。
しかし、夏休みが明け、聡の前に1人の転校生が現れる。
「この学校に、わずか1週間でサトラーとなった男が現れたと聞いた……。倉瀬聡、君のことだな?」
「馬鹿な……さっきまでたしかに黒板の前に……この距離を一瞬で!?」
「僕の名は日野蓮司……君と同じサトラーだ」
「日野、蓮司……? っ、まさか!?」
「そう、僕の宗派は……日蓮宗だ」
「そんな馬鹿な! 『南無妙法蓮華経』と唱えるだけで、サトラーになどなれるはずが……っ!!」
「だけ? ふふっ、随分と簡単に言ってくれるね。僕は毎日千回、感謝を込めて『南無妙法蓮華経』と唱え続けた。そして3年。『南無妙法蓮華経』と唱えた回数が100万回を超えた時、遂に悟りを開いたのさ……」
「なん、だと……!?」
「さあ、ひよっこの君に教えてあげよう……法華経こそが、至高の経典だということを……」
「抜かせ! 般若心経こそが最高!! これは譲れん!!」
そして、この2人の激突はやがて学校中を巻き込む…………ブツッ
ガガ、ザザーー、ブッ
ピンポンパンポーン(⤴)
《 『断食系男子、悟りを開く』にお越しの皆様にお知らせします。只今、電波の調子が悪く、誤報が流れてしまいました。先程の次回予告は、本編とはなんの関係もない偽の情報です。繰り返します。先程の次回予告は、本編とは全く無関係の誤報です。お越しの皆様には大変ご迷惑をお掛けしましたことを、深くお詫び申し上げます。来年も、『断食系男子、悟りを開く』をよろしくお願い申し上げます。まったく、般若心経は最高だぜ 》
ピンポンパンポーン(⤵)