見解の相違
読んでいて気分が悪くなったらすいません。
思い込みのはげしい主人公にしています。
この世の事には何かしらのベクトルが働いている。
そう、物事には何かしらの力が加わっており、何かしらに有利に。または不利になるようになっている。
「昨夜未明、渋谷の交差点で……」
テレビから無機質な音声が聞こえる。都会でありがちな1DKに住んでいる私が持ち主であり、ここの家主だ。
「道行く人を手当たり次第切つけて逃走した模様、現在は犯人の……」
未知なる世界については皆二の足を踏んでしまうものだ。思えば性同一性障害。一般に出てしまえば殆どの人が納得できたであろう。だが、障害が公になる前は多くの人が悩み、当人たちは奇異とみなされてきた。
そんな掌返しも何らかの影響を受けていた。
「重症者17名、死者22名。きわめて残虐な事件であり……」
政治家と新聞社の癒着も今では知られている。都合の悪い情報は極力載らない。真実味や公平性は失われ、権力とゆう名のベクトルにて都合のいい方へと民衆は操作される。
新聞のみならず、報道・ニュースもそうである。興味を引いてほしい内容を報道し、危機感をあおるようなものは報道しない。つまり情報は制限され、思想は誘導されている。
ある国はトップの方針で情報が制限され、崇拝されているが、実際は日本も変わりないのかもしれない。
情報社会、殺人事件や傷害事件。年齢関係なく試験は起こる。特に最近聞くようになったのがサイコパス。精神病質者と言われる人たちだ。自分は狂っていないと、狂っている人は言う。もちろん私はサイコパスではない。サイコパスの認識度は向上しており「あなたはサイコパスですか?」と聞かれたら、殆どの人は「いいえ」と答えるだろう。それは自然なことだ。
ベクトルと同様に、人は勿論であるが物事には本質と言うものがある。言い換えれば特性かも知れない。
先ほどの性同一性障害を述べよう。体と精神との性別が一致しておらず、肉体と同じ人へと恋をしてしまう。皆が知る前は異常とみなされていたし、時代によっては魔女や精神に病気があるなど言われていた。だが、今はその本質は受け入れられつつあり、その人はそうゆう人なんだ。と認知されつつある。
人自体は変わっていないにもかかわらず、受け入れる周りが変わったといえよう。病気ではなく本質である。
このような前例がある為、私は声を大にして言いたい。
サイコパスも病気ではなく、本質として受け入れるべきだ。
持って生まれた物を受け入れてもらえるならばその本質には差がないはずなのだ。
他を傷つけないから受け入れられる。他を傷つけるから受け入れられない。その線引きは妥当なのであろうか?
サイコパスはそのような人であると理解し、対策を施し、受け入れてほしい。人には変わりないのだから。
性同一性障害は病気ではなく、サイコパスは病気。その線引きの根拠は?
「多数の目撃情報があり、犯人は20代の女性と思われています。他の目撃情報も集めていますので、些細なことで……」
私は今手紙を書いている。内閣府にだ。世の中を憂いている。そのような差別がまかり通っていることに対して。
ピンポーン
「犯人は住宅街へ逃走。いまだ現場は騒然としております。平成の大量殺人事件として大きくのころ事件となるでしょう。一刻も早く犯人が捕まることを……」
ああ、煩くなってきた。私は手紙を書いている。これを書き終えるまでは来客など無視だ。
サイコパスの人には人を殺してもいい権利を与える事。自殺志願者は国へ届け出を行い、公の場でサイコパスである人に希望をかなえてもらえる事。これを法律にすることでお互いウインウインになる。うつ病も病気であると偏見を持たず、死にたいと本人が思うならそれを助けてあげるのが人助けではなかろうか?
死は悪い事なのか?
だから私は言いたい。その人その人の本質を助ける。援助してあげるような法を作るべきだと。
どんどんどんどん。
「すいません、警察です。近くで起きた事件について情報を集めているのですが……」
煩い煩い私は手紙を書いているとゆうのに。
「たった今新しい情報が入りました。犯人と思われる女性は現場から立ち去っている最中も通行人を次々と切つけながら逃走していたと判明しました。まだはっきりとした人数はわかりませんが、けが人はまだ増えているとのことです。えーそれと、重症者で救急搬送された30代の男性が息を引き取りました。死亡者はこれで……」
私はサイコパスではない。だけど世の中を憂いている者である。
「すいません!いるのはわかっているんです。協力いただけないでしょうか?」
私の世界に入ってくるな。煩い煩い煩い煩い煩い煩い煩い煩い。
「犯人の凶器は日本刀です。長い刃物を持った人には近づかないように、友人・知人に注意喚起を……。また、犯人の情報を警察は……」
「突入するぞ……」
邪魔をする気なら対処しよう。
私は日本刀を持ち、出迎えをした。
不快なられたかた申し訳ありませんでした。