第七話 村長の歓迎
リシェルに連れられ、村の奥へと連れていかれる。川に向かって両側に家が並んでいて、果物の乗ったカゴを頭に載せて歩いている女性や、地面に草で編んだ敷物を広げ、商品らしい食料品を並べている人や、子供の面倒を見ながら編み物をしている母親など、村での生活風景が目に入る。
気になるところは幾つもあったが、ただでさえ注目を集めているので、できるだけ周囲を見回さないように努めた。俺が男であると気がつくと、家の中に入って顔だけ出して覗いてくる人もいる――肌の露出が多い服装をしているが、羞恥という概念がないわけではないらしい。
「男性がこの村に来られたのは、敵襲でなければ数十年ぶりになります。みんな、男性という存在については、語り部の方々から聞かされているのみで……」
「少し怖がられてるようだな。驚かせないようにしないと」
「クロード様の人となりを知れば、みんな考えをすぐに改めてくれると思うのですが……い、いえ、お会いしたばかりで、私ったら、大それたことを……」
俺がもし悪人だったら、善人を装って村に潜入し、内部を掌握して悪事の限りを尽くすということもありうる。それを疑わないリシェルは、魔法による精神感応で俺が悪巧みをしていないとわかっているようだ。
「村長が認めたとお触れが出れば、皆さんの対応も柔らかくなると思います」
「そうなってくれるとありがたいな……これが、村長の家か?」
他の家と違い、骨組みの上から革の幕をかけられた建物――遊牧民の移動式幕舎のようだが、俺が見たことがあるものとは違っているので、この村で独自に考案されたものだろうか。
村の家の中では最も大きいが、警備が厳重というわけでもなく、一人の槍を持った女性が入り口の前に立っているだけだ。今まで見た中では一番背が高く、麻ではなく獣の毛皮で作ったものらしい服を身につけていて、戦士としての風格を感じさせる。
この一族の槍使いがどれほどの実力か――と、昔なら真っ先に興味が湧いていたところだが、今は武人と手合わせすることはそれほど俺の中で優先順位が高くない。
「……む。その、男……? が、クロードという者か」
「はい、私の恩人です。クロード様、紹介します。私の幼馴染で、この村一番の戦士のキサラです」
「クロードという。騒ぎは起こさないから、そんなに警戒しないでもらえるか」
キサラという女性はじっと俺を観察する――しかしリシェルの必死のとりなしを受け入れ、ふっと目を閉じて表情を緩めた。
そして何も言わず、幕舎の入り口を開けてくれる。入り口が狭いので、身を低くしないと中に入れない。
「では、ついていらしてください」
まずアリサが幕舎の中に入っていく。その次はリシェルが、地面に這うようにして中へ――というところで、俺は空に視線を逃した。
(何というか……原始的なところがまだ残っているようだな)
人類の歴史上、衣服がどうやって進歩したのかは寡聞にして知らないが、リシェルが幕舎に入るとき、麻の服の裾がめくれて紐のようなものが見えた。
あの紐が下着の役割を果たしているとしたら、俺の知る下着をこの村に伝来させたらどうなってしまうのか――それが目的で来たわけではないが、何か親心というか、彼女たちをこのままにしておくのはどうなのだろうと思ってしまう。
「……空を見たりしてどうした? 鳥でも探しているのか」
「い、いや。すまない、不審な動きをするつもりはなかったんだが」
「それくらいで不審には思わないが。男とは、よくわからんな。かなり強いと聞いていたから大柄な熊みたいなやつなのかと思ったが、そうでもない。本当に強いのか?」
「疑わしいなら、手合わせならしても構わないが」
大柄な女性――キサラは、使い込んだ槍を握る手にわずかに力を込める。しかし俺が挑発したわけではないと悟ってくれたのか、それ以上緊張は続かなかった。
「鬼狗八匹を魔法で倒してみせたそうだな。ならば、武術で小手調べをするのも違う……そろそろ中に入ってはどうだ、村長が待っている」
キサラに促され、俺は幕舎の中に入る。ほとんど光の入らない内部は、瑠璃の器に入れられた精霊魔法の炎で照らされている――精霊の力のみが生み出す『熱のない炎』は、火災の恐れがない光源として優秀だ。
この炎を操っているのは、赤い布の敷かれた上に豪奢な毛皮の敷かれた椅子を置き、そこに座っている女性――おそらく、彼女が村長だろう。
「あなたがクロード・ベオルクスね。うちのリシェルとアリサを助けてくれてありがとう、まずはお礼を言わせてもらうわ」
村長の代わりに礼をしたのは、両脇に控えている女性二人だった。侍女というより、二人共踊り子のような衣装を着ていて、褐色の肌に鮮やかな色の服がよく映える。
二人は口を布で隠していて、それがさらに神秘性を増して見える――だが、俺はその重心の取り方から、彼女たちが何か武器を持っていることを見逃さなかった。ただ美女を侍女として置いているわけではなく、この二人も村長を護衛する戦士なのだ。
しかし、その二人の美しさも、村長のそれには及ばない――他の村人たちには一人もいない漆黒の長い髪と、深い青色を湛えた瞳。耳は特に尖っているが、この一族の中でも祖先の血が濃いことを現しているのだろうか。
「私の名はイシュト。この村の長をさせてもらっている者よ。リシェルは私より年上に見えるかもしれないけど、私にとっては妹分なの。私はこう見えても、百年以上生きているからね」
「そうか……この村に、若い姿の者しかいない理由はそういうことか」
「私たちは人間と精霊の間の子だから、人間と同じようには年を取らないのよ。場合によっては寿命は来るけれどね……まず、一つ聞かせて。あなたは、不老不死の秘密を探るためにこの辺りにやってきたのか。それを教えて」
「俺は不死ではないが、不老ではある。呪いを受けていてな」
殺した魔竜によって刻まれた『竜痕』が、俺の全身には戦いで残った傷と共に無数に刻まれている。
証としてそれを見せることもできたが、イシュトはそれを求めることはなかった。
「……やはり只者ではないわね。リシェルはあなたが光の魔法を使ったというけど、光の精霊と契約しているわけじゃない……そう、雷ね。私たち精霊人の里でも、使い手が一人もいないというのに、人間が使えるなんて」
リシェルは誤認したことに気づいて、恥ずかしそうに顔を赤らめる。俺としては、雷の精霊使いだと見ただけで見抜くことができる村長の能力が、精霊魔法の使い手として図抜けているのだと感じる。
「……そうやって詮索ばかりしていたら無礼にあたるわね。ごめんなさい」
「いや、気にしてはいない。俺は今回、偶然リシェルとアリサの二人が鬼狗に遭遇したところに居合わせただけだ。見過ごせず、手を出させてもらった」
「だから、大層なお礼はいらない……と。そう言うのね」
「そういうことだ。できるなら、あの台地の上に住まわせてもらえるとありがたい。俺は、自分の村を作ろうと思ってるんだ」
イシュトはシロガネが俺に懐いていることを知っている――それもあってか、俺の発言を聞いても、その瞳は穏やかなままだった。
「……本当を言うと、あなたのように強い者があの台地にいてくれると、とても助かるわ。最近、鬼狗がひっきりなしに台地に入り込んでいる。私たちも森の中全てを監視することはできないから、どうしてもシロガネ様に危険が及ぶ。神域に行っても私達の前に姿を現してくださらないから、お守りするための手を打てずにいたのよ」
「そうか……俺と、もう一匹、一応竜というか……連れがいる。協力してもらえば、シロガネを守ることはできるだろう」
「竜……? あなた、竜なんて使役することができるの? それが本当なら、凄いことなのだけど。竜じゃなくて、他の魔獣ならよくあるけれどね」
台地の上に魔竜がいる、などと言ったらおそらくは大混乱だ――いきなり追い出されてもおかしくはない。
しかし、元竜皇が見た目竜に見えない姿をしていて良かった。プライドの高い元竜皇を説得するのは大変そうだが、大型の魔獣ということにすれば問題はないだろう。
「確かに竜じゃなくて、魔獣かもしれない。俺の勘違いだったか」
「ふふっ……きっとそうよ、竜は人の言うことを聞かない生物だから。鬼と鬼狗と比べても、ずっと危険な存在よ」
人類の敵とも言える魔竜は厄災と呼ばれ、その眷属である竜もまた、災害の一種として扱われる。傭兵ギルドに依頼が持ち込まれれば、高額の報奨金が支払われる撃滅対象だ。
そして分かったことは――この村の脅威となっている存在、『鬼』たちが、どうも俺にとっては全く敵となりえない存在であるということだ。
「なるほど、事情はわかった。村長、一つ頼みたいことがある」
「リシェルとアリサを助けてくれたことには、お礼をさせてもらうつもりよ。あなたをここに呼んだのは、何を希望するかを聞くためでもあったの」
「俺に、作物の作り方を教えてくれないか。この辺りの土地で育つものを育てて、狩りをして、自給自足をしてみたいんだ」
イシュトは今までで一番驚いたというように、目を見開く――そこまで変なことを言っているだろうか。
「村長さま、私がクロードに狩り、教える。クロード、弓の修行をしたがってる」
「……本当にそれでいいのね? あなたくらい強いなら、この村の客人として、世話役をつけてもいいのに。リシェルは巫女としての務めがあるけれど、生活のことについては全て見られるくらいの者を見繕ってつけてあげられるわよ」
「あの台地で暮らすことを許可してくれるなら、それだけでも俺にとっては大きい。シロガネを襲ってくる鬼狗を放置することはできないし、当然撃退させてもらう。村作りには、防衛も含まれるからな」
俺の土地というわけでもないのに、所有権を主張するというのは、台地を神域としているこの村にとっては望ましくないことではないか――と思ったのだが。
「……シロガネ様が、あなたを護人として選んだ意味が分かったわ。これほどの戦士が辺鄙な秘境に迷い込んでくるなんて、きっと星の巡り合わせね」
「巡り合わせか……それはあるかもしれないな」
行き先は自分で選ばなかった。ここに来て、こうしてこの村に招かれているのも、合縁奇縁というものだろう。
「これは、図々しいお願いになってしまうのだけど……この村には、姉妹として付き合いのあったもう一つの村があるのよ。川の上流に辿っていくと、その村がある。そこは私たちの村よりも、外敵による被害が深刻化していて、住民を少しずつこちらに受け入れているの。本当は、鬼たちを掃討しなくては、根本的な問題は解決しない……そう、分かってはいるのだけれどね」
「そうなると、この村にある食料だけでは、増えた住民の分を賄いきれなくなるんじゃないのか?」
「私たちには蓄えがあるから、すぐに飢えるということはないわ。けれど、ここから少し上流まで広がっている水田の近くにまで鬼狗が現れるようになってしまった。このままだと、収穫の季節に鬼たちがやってきて、占拠されてしまうかもしれない……」
村には思ったよりも大きな危機が迫っている。そうなると、俺に対する『お願い』とは、やはり鬼の掃討だろう。
「その水田を、俺の手で守ろう。そうしたら、稲の育て方を教えてくれ。昔別の国で食べたことがあるが、なかなか美味いものだったと覚えている。できるなら、一度自分で収穫して食べてみたい」
「っ……クロード様、それでは……」
「鬼たちを、倒してくれるというの……?」
「まあ、可能な範囲でやらせてもらう。少し時間をもらえるか」
俺は笑ってみせる。揺らめく炎の明かりの中で、イシュトが俺を見つめる――信じていいのか、期待を裏切られはしないか。そんな不安に瞳が揺れていた。
「……その前に。済まないが、何か食べさせてもらえるか。神域の果実を食べてしまったりしたことは謝らなくてはならないが、できれば塩辛いものが食べたいんだ」
元竜皇とシロガネに差し入れる食料も貰いたい。それよりも、俺はこの村に入ってからずっと鼻をくすぐっている、焼いた肉やパンのような匂いに惹かれて仕方がなくなっていた。
「これから朝餉をとろうとしていたから、もうすぐ運んできてもらえるわ。ロサ、エイス、もうクロードを警戒する必要はないから、食事の世話をしてあげて」
口を布で覆った二人がこくりと頷く。歓待は辞退すると言ったが、固辞しても偏屈に思われてしまうかもしれない――ここは甘んじて、流れに任せてみるとしよう。