第六話 小さな先生
森を抜けて村に近づくと、早朝から門の見張りをしている女性二人がいた。リシェルとアリサもそうなのだが、顔や腕などに塗料で模様を描いており、獣の牙や骨で作った装飾品を身につけている。
しかし麻の布で作られた服はさらに作りが大雑把で、大きな動きをしたら色々と見えてしまいそうだ。肌が見えてもあまり気にしないのだろうか。
「巫女さま、アリサさま、お帰りになられましたか……っ、お、お怪我を!?」
「すぐに呪術医を呼んでまいります! 少々お待ちを……むっ、むむ……?」
よく顔の似ている、おそらくは双子の女性。一方は髪に羽飾りをつけていて勇ましい顔をしており、もうひとりは髪を編んでいる。彼女たちは俺に支えられているリシェルを見てまず驚き、その後に俺の存在に気づいて二度驚いた。
(巫女さま……リシェルをそう呼んだな。彼女は、この村で何か要職についているのか)
「彼はクロード様と言って、シロガネ様の護人に選ばれた方です。鬼狗を倒し、私達を助けてくれました」
「シ、シロガネ様の……」
「護、びとっ……うーん……」
「こ、こらっ……ルル、しっかりしろ! 気を失っている場合か!」
立ったまま気絶するとは、それほど俺が『モリビト』として認められたというのは驚愕するようなことなのだろうか。シロガネを連れてきていたら、もっと大変なことになっていたような気がする――何せ、隙あらば俺の靴にすり寄ってくるのだから。
「落ち着いてください、ララ、ルル。これから村長に、クロード様を村にお招きしても良いかを伺いたいと思います」
「か、かしこまりました。では、私はここでこの……この、クロードという……お、男……?」
「ここは女性しかいないと聞いた。驚かせてすまないが、俺は外からやってきたんだ」
アリサと違い、大人の女性は男という存在について認識はしているらしい。なるべく慎重に自己紹介を試みるが、目を見開いてマジマジと観察されてしまう――そして。
「……うーん、お、男……」
腰砕けになって倒れ込みそうになるララ。俺は思わず反応し、勢い良く倒れ込まないように身体を支えるが、抱きとめるわけにもいかずその場に横たえる。
「男というだけで、この反応は……俺は村に入らない方がいいんじゃないかと思えてきたな」
「い、いえっ……村長は、人生経験が豊富でいらっしゃいますから。クロード様を前にしても、落ち着いて対応してくださると思います」
「母様、私が見てる。男も、ララとルルも」
「ありがとう、アリサ。すぐ戻ってくるので、クロード様、どうかここでお待ちください」
リシェルは頭を下げて村の中に入っていく。獣避けのためか、村の門の両脇に立てられた燭台には火が灯されたままだ――精霊魔法の炎らしく、煤が出ていない。
(しかし、炎が微妙に弱まっている。この二人のうちどちらかが、炎精霊の使い手ということか。倒れても魔法を維持するとは、なかなかの根性だ)
「男のこと、みんな良く知らない。だから、怒らないでほしい」
アリサが話しかけてくると思わず、一瞬反応に迷う――しかし彼女がちらちらとこちらを窺っているということは、俺に話しかけてきたのは間違いない。
「無理もない、知らないものを見れば誰だって警戒するのが普通だ。特に人間は、自分の理解を超えたものを怖がるからな」
「男のこと、わかったら、怖くなくなる? ううん、私、怖くない。おまえが何かしたら、弓でやっつける」
「俺は絶対に何もしない。といっても、信じてもらえるかどうかは俺の生活態度次第ということになるか。この土地での畑作りを学ぶために、手伝わせてもらえると有り難いんだが」
「……畑だけじゃない。川から水を引いて、稲を作る」
「っ……稲って、あの水を張った畑でつくるっていうあれか? 驚いたな、こんなに寒い土地でも作れるのか」
「今は寒いけど、すぐ暖かくなって、暑くなる。寒いときは土を休ませて、他の畑で色々作る。寒くても育つもの、いくつかある」
アリサは俺と話しているうちに、徐々に言葉が滑らかになってきている。精霊魔法による精神感応が、徐々に習熟しているのだろう。
口の動きと頭に響いてくる音が違うというのは最初は慣れなかったが、徐々に違和感がなくなってきた。
「あとは、狩りをして肉をとる。狩りは弓が得意な者の仕事。他の武器でも狩りはできるけど、動物は足が早くて逃げられやすい。気が付かれないくらい遠くから撃つ、とても簡単」
「アリサは狩りをして弓の腕を磨いたのか?」
「そう。森の角鹿、うさぎ、リス、鳥も狩れる。鬼狗は食べない、ケガレが移るから。二本足で立つものは食べない」
「ケガレ?」
「ケガレは鬼が連れてくるもの。鬼は、私達の敵。鬼狗をいっぱい連れて、村の作物を奪おうとする」
アリサは淡々と話してくれるが、その言葉から『鬼』たちへの強い敵意を感じる。
この村には敵対する存在がいる。まずそれを撃退するなり何なりしなければ、安穏とした環境で作物づくりや狩りの技術などを学んでいる場合ではない。
「色々教えてくれてありがとう、アリサ。勉強になった」
「っ……お、教えてない。私が、勝手に話しただけ」
「そうか、じゃあ俺も勝手に聞いたことにしておこう。アリサが狩りをするところを、一度俺も見てみたいな」
「……この村の近く、住むなら……私が狩りするとき、見てればいい」
「いいのか? 俺も弓を使わせてくれたら、手伝いはさせてもらうぞ」
「……射てる? 弓、難しい。村の子供で的に当てられるの、私だけ」
弓を渡され、試しに射ってみるようにと促される。俺は見よう見まねで、矢を番えて放ってみる――しかし、明後日の方向に飛んでいってしまった。
「こいつは難しいな、矢は拾ってくる。後で練習を……」
年甲斐もなく照れつつ言いかけると――アリサが、口を隠して笑っていた。
「ふふっ……クロード、弓は下手。魔法はすごいのに」
「俺の専門は槍なんだ……というと、ただの言い訳にしか聞こえないか」
『おまえ』ではなく、名前を呼ばれた。射撃を外したおかげで、アリサが親しみを持ってくれたということだろうか。
「クロード、槍は? 槍使いなのに、持ってない」
「狩りに使うようなものじゃないから、大事に仕舞ってある。棒状のものなら何でも使えるしな」
「狩りに使う、三叉の槍がある。私と狩りに行くとき、それを使う。でも、私の方がいっぱい狩れる」
「そいつは楽しみだな。勉強させてもらうよ、先生」
この土地の方法で狩りをして糧を得る、それも楽しみだ。その前に、『鬼』とやらを何とかしなくてはならないが。
アリサと少し打ち解けられたので、それから待つ時間は苦にならなかった。ララとルルは起きてすぐに恐縮して土下座をしてきたが、そこまでしなくてもいいと説得し、何とか門番としての持ち場に戻ってもらう。
「クロード様、お待たせいたしました。村長が、ぜひ歓迎したいと……あら。アリサ、どうしたの? そんなに嬉しそうな顔をして」
「ち、違う……そんな顔してない。クロードに、狩りを教える。クロード、弓は下手だから、私のほうが先生」
「まあ……クロード様、アリサに弓を借りられたのですか? いつも肌身離さず大事にしていて、私も触らせてもらえないのに」
「触らせてもらったが、なかなか難しいな。機会があればアリサから学ぼうと思う」
元世界一位の傭兵として、あらゆる武器に通じていたら格好がつくのだろうが、弓には今まで一度触ったかどうかというところだった。
アリサを戦士として成長させるために何か手助けができないかと思ったが、今は立場が逆転している。弓も狩人としてお墨付きを貰えるくらいには習熟したいものだ。