第八話 思わぬ美食
村長の家に運び込まれてきた朝食は、獣肉を焼いたものを主菜として、副菜は川魚や野菜を使ったものが揃っていた。
香辛料の香りがかなり強い。グリームワルトで普及している料理は塩と胡椒、あとは出汁などを使って味をつけるが、ここまで多くの種類の香辛料が使われている料理は、口にするのは初めてだ。
リシェルとアリサも同席することになり、ロサ、エイスと呼ばれた二人の女性と一緒に支度をする。イシュトは椅子から立ち上がると、俺と同じ床の上にあぐらをかいて座る。
「恩人を見下ろして食事をするのは、どこの国でも非礼にあたるでしょう」
「俺は、そういうことはあまり気にしないが……っ、ちょ、ちょっと待て」
「そんなに驚いた顔をしなくてもいいのよ。貴方は恩人なのだから」
イシュトが向かい側で、あぐらをかく。その姿勢が俺からどう映るか。
そこにこの村の人々の習慣が加わると、さすがに静止したくなる。やはり下着は必要な文化だと思うので、紐から次の段階に進んだ方が良いと思う。
「……よそ者がいきなりこんなことに口を出すのもどうかと思うが、その、この村では布のたぐいは麻しかないのか?」
「綿と絹はあるわ。でも、絹は川の上流に行かないと取れないのよ。熟練の戦士でも倒すのに苦労する巨大蛾の巣に入って、蚕を取らないといけないから」
養蚕という技術はこの村にはない。となると、絹は相当な貴重品だろう。
しかし綿はあるということなら、提案することはできる――よそ者がいきなり何を言うのかと言われそうだが、今後もこの村と交流するなら、うかつなことで理性を失うような事態は避けたい。
俺も本来、そこまで節操のない人間ではない。しかし、魔竜の残した竜痕の一つが、厄介な呪いとなって俺の人格に作用してしまう。
考えてみれば、女性だけの村に来るのはもっと慎重にすべきだった。セレスも知らないことだが、俺は全女性の敵と言える存在かもしれないからだ。
(まだ大丈夫だが……想像以上に、イシュトとロサ、エイスの魔力が強い。少し馳走になったら、外に出た方が……)
「クロード、少し熱があるみたいね……大丈夫? 私たちは大丈夫だけど、この辺りの虫に刺されると熱が出ることがあるから、後で呪術医に見てもらいましょうか」
「ああ、いや……何でも……」
「……?」
ロサが不思議そうに俺を見る。その瞬間、俺は鳩尾の辺りに熱を感じ、思わず手を当てた。
『大欲の暴食竜』――身体の殆どが口でできており、町一つを一飲みにする魔竜。奴を討伐したときに受けた竜痕。
「済まない、水をくれるか……それで落ち着く」
エイスの方が水瓶を持ってきて、陶器の器に注いで渡してくれる。飲み干しても、全く収まる気配はない――しかし、三度目までは発作が起きても何とか抑えられる。
「あなた、持病でもあるの? すぐにでも、医者に見て貰ったほうが……」
「問題ない。持病というか、異性の魔力に対しての過敏反応みたいなものだ。予め話しておかなくてすまなかった」
「クロード様……お身体の具合が良くないのに、私たちを守ってくださったのですね……」
「……クロード、無理しない方がいい」
心配されているが、むしろ俺からすると、ここにいる全員の方が危険なのだ。
精霊人の持つ魔力、その純度を甘く見ていた。しかし途中で食事の席を立つのも無礼に当たるので、メインの肉料理を取り分けて貰い、食べてみる。
「っ……これは……」
肉に香辛料が擦り込んであるというのは見た目で分かったが、それだけではない。塊から切り出された肉を口に運ぶと、想像した以上に柔らかく、甘みと旨みが口に広がる。
「蜂蜜を塗って焼いた、青角鹿のお肉です。クロード様のお口に合うと良いのですが……」
「青角鹿……アリサの言っていた、角鹿の一種か。いや、驚いた。癖があるのかと思ったが、香辛料で見事に消されて、香ばしさだけが引き出されている。こんな料理を、日常的に食べているのか?」
「青角鹿は、白角鹿より凶暴でよく畑を荒らしてしまうの。植物性の餌しか食べないから、雑食の白角鹿より癖がなくて美味だけれどね。毎日食べるほどは獲れないわ」
この青角鹿の肉はお世辞抜きに、グリームワルトで品種改良されて流通している畜肉よりも美味だ。これほど美味いものがあると知れてしまったら、この秘境を目指す外部の人間が一気に増えてしまいかねない。
「気に入ってもらえて良かったわ。アリサ、あなたも育ちざかりだから多めに食べなさい」
「ありがとうございます、村長さま」
「いいのよ、まだ子供のうちはお母さんと呼びなさい。リシェルの娘なら、私の娘のようなものだから」
精霊に子を授けられる種族ならではの風習。村の子供は、年長者すべての子でもあるということだろうか。ロサとエイスも、アリサに対しては甲斐甲斐しく接している。
「……一つ言っておくと、私たちに父親はいないけれど、人間と身体の作りは同じよ。耳が少し長いというくらいね」
「そうなのか……いや、悪い意味ではないんだが、この村は男がいなくても、それを自然としてやってきたんだな」
「ええ、そうね。これからもそうでしょう……けれどそのままでは、いずれ私達の種は滅びるでしょう。精霊から子を授かれる世代は、もう終わろうとしている。私たちは徐々に、人間に近づいてしまっているから」
「古代の民の血が、薄れ始めているということか」
時間の流れが精霊人という種を淘汰しようとしているのなら、それに抗うことはできないのではないか――そう思うが、イシュトに悲壮さは感じない。
「あるいは、あなたが……いえ、それはまだ尚早ね。私たちのことを理解していくうちに、そういうこともあるかもしれない。外の世界では、そういうものだと聞いているわ」
「……何のことだ?」
聞き返しても答えはない。家の中の空気が微妙に変わったことに気づきはしたが、誰も何も言わないので、俺も黙々と料理を口に運んだ――野菜はかなり酸っぱく、手放しで肯定できる味ではなかったが、黄色みを帯びた丸い果実は甘く、清涼感のある香りが素晴らしかった。このグレフの実は森のなかでも採れるそうなので、形を頭に入れておいて損はなさそうだ。
◆◇◆
一度台地に戻り、元竜皇とシロガネに差し入れをする。やはり青角鹿の肉が気に入ったのか、あっという間に平らげてしまった。
『はふぅ、こんなに美味いものがあるのじゃな……生まれてきて良かったのじゃ』
食事を終えると、元竜皇は大樹の根本で丸くなり、その上にシロガネが乗る。先ほどまで険悪な関係だったのに、驚くほど親しげな様子だ。
「おまえたち、急に仲良くなったな……何かあったのか?」
『それは秘密なのじゃ。シロガネが神狼と呼ばれている理由、知りたいかや』
「知りたいが、その口ぶりでは教えてくれんのだろう」
『わらわの名をつけてくれたら教えよう。どうじゃ、何か思いついたか』
「そうだな……クーンというのはどうだ」
『クーン……それは、どういう意味なのじゃ?』
クーンとは古代語で『皇』という意味だ。元竜皇ということで、そのままといえばそのままだが、今のどこか愛嬌のある獣のような姿には合っていると思う。
『ふむ……思ったよりしっくりくるようじゃ。クーン、それがわらわの名じゃ』
「気に入ってもらえたようで良かった。それでクーン、シロガネの件も気になるが、その前に早速一仕事付き合ってもらえるか。ふもとの村とは、今後も友好的にやっていくつもりだ……そのために、やらなければいけないことがある」
『うむ、さっきはああいったが、シロガネにも心の準備があるからの……こやつ、お腹がいっぱいになったからと安心して寝ておる。お主が帰ってくるまでは、わらわにひっきりなしに話しかけておったのにのう』
シロガネが何を話すのだろう――クーンと念話ができるほど知能が高いのか。
俺がいないうちに何が起きたのか気になるが、当のシロガネは安心しきって、前足で頬をかきつつ、白いお腹をこちらに見せて眠っていた。