プロローグ・1
世界傭兵ギルド。それはこの世界に存在する132の国にそれぞれ支部を置き、延べ五十万人の傭兵を擁する巨大組織である。
傭兵は金で雇われ、あらゆる戦場に赴く。人間同士の戦争に参加し、戦局を覆すために投入される者もいて、傭兵同士で戦うことも珍しくはない。
しかし最も傭兵の需要がある仕事は、人間同士の戦いではない。国の力でもどうにもならない魔物を掃討することである。
国の軍隊を損耗すれば、トップは求心力を失い、消耗しすぎればやがて国ごと瓦解する。それを避けるため、金を支払えば生命の危険を顧みず、人知を超えた強さの魔物に挑んでくれる傭兵を雇う。
オークやゴブリンも、弱い軍隊しか持たない国にとっては脅威になりうる。新人や、才能限界が早く訪れた傭兵は、そのような仕事を受けて生計を立てる。
中には戦争が好きでしょうがなく、各国の戦場に顔を出すような奴もいるが、そういうやつは早死にする。同じことを考える傭兵同士で顔を合わせ、食い合ってしまうからだ。
俺はどちらかというと、安定を是として生きてきた。人間同士の戦は十代で見切りをつけ、魔物の撃滅依頼を主に請けるようになってから、実力に見合う魔物を次から次へと倒していった――傭兵という仕事自体は、物心づかないうちに人買いに売られて否応なしに始めさせられたのだが、向いているといえば向いていたのだろう。
俺が得意とする得物は槍で、魔法属性は雷。雷撃の魔法は一部の人間しか使えないとされていて、傭兵として働くほどに俺の印象は人々の間に強く残り、『辺境一の槍使い』という通り名は『雷槍』に変わり、最後には『竜狩りの神槍』と呼ばれるようになった。
俺がここ6年ほど相手にし続けてきたのは、その通り名の通り『魔竜』である。竜の住む『幻竜界』という異世界から、この世界に侵入してくる竜たちを総じて魔竜と言うのだが、彼らを倒してきた俺が言うのもなんだが、間違いなく魔物の頂点に立つ存在である。
その魔竜が、およそ百日に一度くらいの間隔で、世界のどこかに姿を現す。世界傭兵ギルドに依頼が持ち込まれ、俺は単身で魔竜撃滅に赴き、狩る――それを繰り返すこと、これで二十五回目を数えていた。
「クロード・ベオルクス様。こちらが、前回の任務の報酬になります」
世界傭兵ギルド本部――超大国グリームワルトの首都にあり、世界政府と並ぶ一等地に造られた、全三十層に及ぶ高層塔の最上階。世界一位の傭兵しか入ることのできない部屋で、俺は世界一位のギルド受付嬢と、水晶のテーブルを挟んで向かい合っていた。
テーブルの上に置かれた、王侯貴族も垂涎の的とするような宝の数々。この大きな紫がかった宝石は、『紫金剛石』と呼ばれ、同じ大きさの金剛石の数百倍の価値があるという。米粒ほどの大きさで家が買える場合もあるというのに、拳大の大きさだ。
「同じものをすでに6つ持っていて、置き場所に困ってるんだが……」
「おめでとうございます、この大きさの紫金剛石は、世界に七つしか存在が確認されていません。そのすべてを揃える人物は、後にも先にもクロード様、貴方のみでしょう」
揃えて一体どうするというのだろう。七つ集めたら何か願いでも叶ったりするのか。
他に並んでいる報酬は、いずれも国宝級と言われるものばかりだ。確かに国が滅ぶ危機から救ったといえばそうだが、被害から立て直すための予算の足しにでもすればいいだろうと思ってしまう。
「……じゃあ、これだけもらっておくか」
「そちらは『アマツガミの指輪』という宝物になりますね。クロード様であればご存知だと思うのですが、この『アマツ笛』と対応した魔道具になります。笛はお持ちにならなくても?」
艶のある金の髪を持つ受付嬢は、手袋をつけた手で丁重に笛を持ち上げて言う。
ギルド人事部長が世界中にスカウトを派遣し、そして連れてこられたという彼女は、俺が見てきた中でも随一の美しさを持っていると思う。世界一位の受付嬢の条件は、やはり美貌も世界一位であるということだ。
なんでも、彼女はどこかの国の神殿長の隠し子らしい。存在ごと闇に葬られる運命だったところをスカウトによって救出され、七歳から英才教育を受けて、ランキング一位の傭兵を担当するべく機会を待っていたのだという。
十四歳で俺の担当となり、それから六年。仕事の話のみのつきあいで、彼女が普段何をしているかなどは全く知らない――ここ数年は、俺がほぼ魔竜討伐に出ている状態なので、年に三度ずつ顔を合わせているだけという計算になる。
「あー、ええと……すまない、何度も聞いてる気はするが。君の名前は何だったか」
「いえ、クロード様のお仕事ぶりを考えれば、それも無理はございません。激しい戦いに、常に身を置かれているのですから……私の名前など、貴方様にとって、どれほどの価値もないということは理解しています」
「い、いや、違うんだ。俺の能力の性質上、全力で戦うと色々と反動があってな」
普通、傭兵はパーティを組んで依頼に臨むことが多い。上位ランカーには顔見知りもいるし、昔一度か二度共闘したことのある仲間もいる。
だが、今は一人だ。俺と実力がさほど離れていなければ共闘もできるが、魔竜と三分以上渡り合える人間は、俺以外には誰もいない。
そのレベルの戦闘を三日ほど休まず続ける体力がなければ、魔竜は倒せない。奴らの回復力は尋常ではなく、戦闘中にすら剥がれた鱗が再生していく――そんな連中を倒すには、絶えず一個軍団を吹き飛ばす程度の攻撃を続けて再生限度まで追い詰めるしかない。
そんな怪物を放置すれば国が滅び、世界は魔竜に切り取られていく。しかし、戦いの反動で何十日も寝込み、身体の調子が戻ったらまた魔竜討伐に送り出されるということを繰り返しているうちに、さすがの俺も疑問に感じてきた。
そして導いた俺なりの決断を、今日は彼女に伝えなくてはならない。だがその前に、彼女が俺を見つめる瞳に宿る感情が、変化していることに気づく。
一人の女として、俺を見ている。それは俺が、彼女に言おうとしていることが何なのかを察したからなのか――それとも。
「……クロード様、私、セレス=オルティアは、あなた様のためだけに存在しています。世界一位になられて、初めてお会いしたときからずっと……」
名前を聞くまで、本当に忘れてしまっていた。しかし聞けば、残っていた記憶の残滓が刺激され、今までに彼女と話したことが蘇ってくる。完全ではない、切れ切れの断片のままで、そこに感慨はさほど生じない。
ここは俺と彼女しか、何が起きているかを知り得ない場所。ギルドの管理者ですら、この建物の二十五階までしか上がれず、それ以上は与えられた命令に従って清掃や警備を行う自動人形しか存在しない。
その人形たちも、俺に対しては絶対服従と設定されているらしい。世界傭兵ギルドが、俺の機嫌を損ねないようにと最高の待遇を用意した結果がそれだというが、ほとんどこの本部が置かれた塔に訪問しない俺には大して意味がない。
そしてもう一つ、俺がセレスを見ても心を動かさない理由がある。
俺は二十を過ぎた頃から、年を取っていない。十三体目の魔竜を撃滅したとき、この身に受けた呪いは、俺から『普通の人間として年を取ること』を奪った。
それがなぜ呪いになるのかと妬まれたこともあるし、不老の秘密を探るためにと妙な結社に狙われたこともあるが、俺には分かる気がする。年を取らないということで人間という種族の範疇から外れれば、生きていること自体に違和感を覚えるようになる。
だから俺は、受付嬢の制服のリボンを緩め、襟を恥じらいながら開こうとする彼女を見ていても、本能に従って動くことはできなかった。