3-1 不穏な動き
空の太陽はかなり傾いてきている。
あと一刻もすれば周囲も橙色に変わり始める。
ヴァロは道端の木陰で食事を取っていた。
硬いパンにヤギのミルク。
ヴァロは質素な食事にどこか昔に戻ったような感じがしていた。
フィアと旅をしていた時は彼女のために少し奮発していた。
ヴィヴィと出るときに本気で口論になった。
まさかあそこまで反対されるとは思わなかったのだ。
「ヴァロ、外での仕事は受けるなっていったでしょ。聞いてなかったの?」
ヴィヴィはヴァロに怒鳴る。
「既に住民に被害が出ているんだぞ。放っておけば第二第三の犠牲者がでるかもしれない」
「ココルに任せるって選択はできなかったの?」
「目撃者の話では相当な大きさの魔獣らしい。魔器も持たないココルにそんな相手を任せられるか」
ココルは対人戦には長けているが、大型の魔獣などの対処は厳しい。
体格もあるし、そもそもココルは魔器を所持していないのだ。
「私が『狩人』に連絡を取って他の者を派遣すると言っているの」
ヴィヴィはヴァロに強い口調で迫る。
「ヴィヴィは『狩人』が到着するまでの被害を見過ごせっていうのか?」
魔獣被害はフゲンガルデンの目と鼻の先の村で起きている。
それにヴァロは魔剣を持っている。
「今回は他の者をを行かせろと言っているの」
「なぜだ。俺はこの通り病気だって傷だってしていない。魔剣だって使える。
ヴィヴィは助けを求める声を今回は見逃せと言うんだな」
「そうは言っていない」
ヴァロとヴィヴィはにらみ合う。
ヴァロはふうと息をつくと静かに語りだす。
「ヴィヴィ、俺はどんなとき、どんな立場であったとしても、目の前で助けを求める声を放っておくことはしたくない」
「ヴァロ、あんたは何もわかっていない。何でフィアがどんな思いで…」
ヴィヴィは言いかけて口を閉じる。
「フィアが?」
ヴァロは聞き返す。
ヴィヴィは苦い顔でそっぽをむく。
「ヴィヴィもフィアも俺に一体何を隠しているんだ?」
その言葉にヴィヴィは一瞬怯んだのをヴァロは見逃さない。
ヴィヴィたちは自分に何か隠している。
「それは…」
ヴィヴィは口ごもる。
「言えないようなことか?」
ヴィヴィは答えようとしない。
「その話は帰ってから改めて聞かせてもらう」
ヴァロはヴィヴィに背を向ける。
「ヴァロ、待ちなさい」
あんな別れ方になってしまったが、帰ったらきちんとヴィヴィと話をしよう。
短い付き合いだがヴィヴィは理由なく怒る人間じゃない。
彼女なりの何らかの事情があるのだろう。
そんなことを考えながら食事を取っていると横から声がかかる。
「やっぱりここで休憩していたか」
トランは当然のようにヴァロの対面に座る。
「トランか?どうしてここに?」
「魔獣騒ぎがあったし、今日の昼過ぎにでもここを通過するんじゃないかって思って山はってた」
このトランと言う騎士はソーンウルヒで衛兵をしている。
ヴァロの友人であり、異端審問官『狩人』というもう一つの顔を知る唯一の人間である。
「教皇から感謝状もらったんだって?すげーじゃん」
トラードの一件のことらしい。
二日前にフゲンガルデンで話題になったことだが既にソーンウルヒまで伝わっているらしい。
狭い世界だとヴァロは思った。
「仕事抜け出してきていいのかよ」
「現在俺は休暇中」
そう言ってヴァロの横に座る。
「ったく、お前には本当に筒抜けだな」
「お前のこの一年間の動向までは知らねえよ」
呆れるようにトラン。
「…」
「お前さ、この一年間ほとんど音沙汰ねえんだもん。
フゲンガルデン尋ねてもいっつも留守でさ。ミランダが怒っていたぞ」
そういえばミイドリイクに向かう前に魔剣の調整で一度見かけてからずっと会ってないのを思い出す。
ただミランダが怒っていたのかよくわからなかったが。
「こっちはルーラン行ったり、トラード行ったり、リブネント行ったり、ミョテイリ行ったり、
帰ってみれば書類の山だぞ。連絡取る暇なんてなかった」
「おお。人間界の主要都市ほぼ制覇したな」
トランはからかうようにはやしたてる。
「ここだけの話だがラムードも行った」
「ラムード?あの魔術王直轄地か?」
トランは驚いたように声をあげる。
「ずいぶん遠くまで行ってきたんだな。この大陸で残っているのはあとは異邦だけか」
異邦、ゾプダーフ連邦と呼ばれる魔族の呼ばれる土地である。
瘴気と呼ばれるものがあり、普通の人間は入れないと言われている。
「やめてくれ。口に出すと本当に行くことになりそうで怖い」
二人は笑いあった。
「そうか…。それでここにやってきたのは
振り返ってみればこれまでですべての聖堂回境師のいる結界都市はフィアと巡ったことになる。
ヴァロの脳裏に一つひらめくものがある。
偶然じゃない。
ヴァロもリュミーサと言う聖堂回境師以外すべて出会っている。
旅の目的はフィアを聖堂回境師すべてと出会わせるために仕組んだもの?
そう仮定すればすべてのつじつまが合う。
だとしたらどうしてフィアを他の聖堂回境師に会わせる必要があったのか。
ヴァロはまるで巨大な何者かの手の上で踊されている嫌な感じがした。
そうしてその答えを知っているはずの一人の女性の顔を思い浮かべる。
大魔女ラフェミナ。
北の地ですべての魔女たちの頂点にいる者。
かつて人間界の西のミイドリイクで一度会っている。
触れてはいけないことに触れた気がしてヴァロは首を振り、思考を切り替える。
「俺と会うために来たわけじゃないだろう」
「ここにやってきたのはわざわざそんな話をするために来たわけじゃない。
一言伝えたいことがあった。最近妙な一団が入った。三人組だ。男二人に女一人。
行商って顔でもないし、旅芸人ってわけでもない。
そいつらが少し前にフゲンガルデンのある南に向かった」
そんな連中とはすれ違ってはこなかったし、見てもいない。
紳士崩れの変なおっさんなら城の中で見かけたが。
「注意するべき相手か?」
「歩き方やしぐさ、気配から推察するに明らかに裏側の人間だ。気をつけろよ」
ヴァロは思わず吹き出した。
トランのその言い方がヴァロの知っている一人の少年の姿に似ていたためだ。
「トランはココルと同じこと言うのな」
「ココル?…ああ、半年ほど前にマールス騎士団でお前の部署に入った新人か」
「俺の弟子。今度フゲンガルデンに来たら紹介するよ」
口にパンを含みながらヴァロは言う。
「おいおい。徒弟制度はかなり前に…ああ、『狩人』のほうか。そういえばお前も連れまわされてたっけな」
かつてここマールス騎士団領では騎士の間で徒弟制度があったが、時代の流れとともにそれは無くなっていき、
現在騎士になる者たちは騎士養成所と呼ばれる場所に集約されることになる。
ちなみにその訓練所のヴァロの同期がこのトランである。
「まさか…女じゃないだろうな」
トランはヴァロに疑いの眼差しを向ける。
「あほか」
「どうだか。ヴィヴィさんといい、フィアちゃんといい、お前の周りにはどうも女の影が多すぎる」
「知るか」
トランはクーナのこともそろそろかぎつけてきそうだ。
休憩の終えたヴァロはすっと立ち上がる。
「ここでもう少し話していたいが、日が暮れてしまう。今日中にルーゲンに向かわないとな」
ヴァロは馬の背中に乗った。
「仕事熱心だな」
「子供が一人さらわれてる。日が暮れる前に探しておきたい」
「詳しい旅の話は日を改めて聞かせろよ」
「ああ」
そう言うとヴァロは馬を走らせる。
その頃には奇妙な三人組のことなどヴァロの頭の中にはほとんどなかった。




