2-1 フィアの決意
その日の昼下がり。
クーナは庭先でヴィヴィから教えを受けている。
結界の力で小さかった庭が広くなっている。
結界の力もこの場だけ緩和しているらしく、結界の管理者だけが使える裏ワザ的なものだという。
フィアたちが長旅からフゲンガルデンに戻ってきてからちょうど一週間経とうとしていた。
ヴィヴィは騎士団関係の手続きがようやく終わった様子でクーナの相手をしていた。
ヴィヴィはこのフゲンガルデンの聖堂回境師であり、フィアの師でもある。
「こことここ。配列が不自然」
魔法式の改善点を指摘されクーナは困惑する。
「具体的にどうすれば…」
「しょうがないわねぇ。私なら…」
真紅の髪がたなびく、すると巨大な魔法式が目の前に作り上げられていた。
わずかな時間に自身よりもはるかに巨大で精緻な魔法式を編まれてしまいクーナは声も上げられない。
「クーナは基本の魔法式がまず甘いのよ。まず一から基本に立ち返ってみたら?
足元がぐらついたままじゃいずれ扱える魔法にも限界が来るわよ」
「…はい」
クーナは額から汗を垂らしながらそれを聞いている。
正直、ここまで自力の差があるとは思っていなかった。
クーナ自身もメルゴートで長老卓に招かれたほどの使い手である。
鍛練だって旅の間、毎日欠かさずしていた。
トラードの聖堂回境師のミョルフェンや他の聖堂回境師候補とも互角に渡り合えるだけの自負はある。
その自身をはるかに上回る魔法使い。
あの私生活がだらしないヴィヴィからは想像もつかない。
「今日はここまで」
「…ありがとうございました」
クーナはその場にへたりこんだ。
「明日、時間が空いたらまた相手してあげるわ」
そう言うと木陰にある椅子に腰をかけ、騎士団関連の書類を手に取る。
どこの結界地も弟子や使用人がいるものだがここの結界地はヴィヴィとフィアだけである。
フィアの来る前までは一人でこのフゲンガルデンの結界を担っていたと言うことになる。
その仕事量だけでも大変なものになろう。その仕事量をこなしながら自身の魔法の鍛練を欠かすことはない。
その上自身の研究まで行っているという。
クーナはここで数日過ごしてみて、このヴィヴィと言う魔法使いの力を見せつけられ、
生きているうちに追いつくことができるかどうかも不安になってきた。
「半年間、一緒に旅をしてきたあんたからみてフィアはどう?」
ヴィヴィはクーナに問う。
「わかりません」
「わからない?」
ヴィヴィはクーナの顔を覗き込む。
「…私には彼女を正確に計る物差しは持ち合わせておりません」
これは彼女の本音だ。
ラムードでのドーラとの修業の前まではどうにかその力を追えていた気がするが、
あの修業以後、彼女の魔法力の底が全く見えなくなった。
ドーラから教えられた『八相層壁』はとんでもない魔法式を使う上に、魔力の消費も半端ない。
自身の理解できない魔法式を必要とし、クーナの全魔力でも一回も作れないほどのものを複数回使うという。
「へぇー…」
ヴィヴィは目を細めてクーナを見る。
「…私を殺すとか言っておきながらそれ?ショックだわー」
わざとらしく大げさにヴィヴィは振る舞って見せる。
「それは…」
クーナが何か言いかけるとフィアが建物の中から紅茶を運んできた。
「お、フィア、気が利くじゃない。丁度今あんたの話題してたところなのよ」
「師匠」
クーナの反応を楽しむかのようにヴィヴィ。
「ヴィヴィ」
フィアは改まってヴィヴィと向き合う。
「何よぅ。改まって」
ヴィヴィはコップを置く。
「私はカランティを捕らえに行く」
フィアは低い声でクーナとヴィヴィに告げる。
それを聞いてクーナは茶を吹き出す。
「ちょっと正気?」
そう言ってクーナは勢いよく立ち上がる。
いきなりのフィアの発現にクーナは動揺を隠せない。
「ラフェミナと連絡は取った。手続きはすませてある」
「あんたが帰ってきてからこそこそ何かしていたのはそれか」
少し考えるようなそぶりでヴィヴィはつぶやく。
「あいつは連れて行くの?」
フィアは首を振る。ヴァロは魔剣の契約者でもある。
それも準聖剣と言っても過言ではない性能を持つ。前回の旅でも貴重な戦力だった。
「今回ヴァロは連れていけない。私たちだけで行う。カランティはヴァロを狙っているから」
「…カランティがヴァロを狙うを私に聞かせてもらえるかしら?」
ヴィヴィはお菓子を手に取り、口に含んだ。
ヴィヴィは静かにフィアに問う。
フィアはこれまでのことをヴィヴィに話した。
「…なるほど。そうすると奴の狙いは『魔王の卵』とすれば、確かに合点がいくわね。
ただあの女にはそんな莫大な魔力を操る力はないはずだけどねぇ…」
ヴィヴィは疑問を口にする。幾ら無尽蔵の魔力を持ったとしてもそれを使えなければそれはただの宝の持ち腐れである。
ただし、魔王クラスの力があれば話は別だが。
「カランティを見つけられるというあてはあるの?」
「一度会った時の波長は憶えている。私はドーラさんから教えてもらった探査魔法を使う」
彼女はドーラとの修行の中でその魔法を教えてもらっていた。
「あの魔法だとカランティに見つかる危険もあるわよ」
ヴィヴィはカップをそそりながら言う。
一度それをヴィヴィは見ていた。かつてドーラが復活してからすぐにカーナを探したその時である。
その魔法の原理は対象の魔力に反射させ、反射したのを計算し、その位置を割り出すというものだ。
「直前まで使わなければいい」
「直前ってねぇ。それはそれはずいぶんと…。フィアがそこまでしてカランティにこだわる理由は何?
これだけ教会に派手に喧嘩売ったんだし、いずれは誰かに捕まるでしょう。
それは本当にあんたが出向いてまでやるべきことなの?」
ヴィヴィは菓子に手をつけながらフィアに尋ねる。
「…寝てもいつもあの時のことを思い出すの。またあいつがヴァロをさらっていくんじゃないかって。
私の知らないところでヴァロがまた何かされたと思ったら…」
フィアはその身をふるわせる。
トラードでカランティに囚われたときに味わった恐怖。
大切な人間が自分の知らない場所でいたぶられ死ぬ。
それを囚われている間、フィアはカランティの部下に繰り返し繰り返し言われ続けた。
彼女を動かしているのはその時に受けた大きい。
「聖堂回境師の立場というより、個人の感情ってことか…」
ヴィヴィはカップの茶をすする。
「…まあ、打って出ていきたいってのもわかるかな。
私も守るのは苦手だし…。あんたはそう言うところは私に似たわよね」
「ヴィヴィ」
フィアの硬い表情が少しだけ和らぐ。
ヴィヴィはそんなフィアに向き合う。
「カランティって言ったら元聖堂回境師。彼女の主は極光魔法を使う。
極光魔法と言えばユドゥンの暗黒魔法と双璧を成す最強の魔法。
さらにあの女は狡猾よ。その上に彼女の弟子たちもまだ残っている。倒せる当てはあるの?」
「…今の私の魔法力ならカランティを倒せる。過信じゃない」
フィアはヴィヴィを真っ直ぐに見据える。
しばらく二人は無言で見つめ合う。
クーナは横でハラハラしながらそれを見ていた。
「ホント、あんたってさ、一度言い出したら折れないわよねぇ」
ヴィヴィは降参のポーズをとる。
「…ただ、あんたら二人じゃ、ちょっとねぇ…」
どんな罠を仕掛けてくるかわからない。
ただし相手は元聖堂回境師。それにカランティの弟子たちもまだ残ってる。
フィアの魔法力は別にしても、フィアたちだけではあまりにも危険すぎる。
とはいえ真っ向から戦える戦力は限られてくる。
今回のカランティ討伐は『魔王の卵』であるヴァロは一緒には行かせられない。
「取りあえず聖都コーレスによってきなさい。ニルヴァから話を通して聖装隊に話せるように段取ってあげる」
聖カルヴィナ聖装隊と言えば教皇直属の部隊である。
人間界最強の魔剣集団であり、その戦力は唯一無二。
「…聖装隊を?」
「フィアはミリオスに貸しは幾つかある。ミリオスは義理に厚く、律儀な男よ。
それにカランティ討伐は共通の目的でもある。何もなければ力を貸してくれるでしょう」
フィアは聖装隊のミリオスとトラードで面識ある。
「それと私から『狩人』のグレコやラウィンにも連絡をつけられないか連絡を取ってみるわ。
『真夜中の道化』を追っていたことから考えれば敵ではないはずよ。
ひょっとしたらカランティの足取りも掴めるかもしれない」
「ありがとう、ヴィヴィ」
フィアはヴィヴィに頭を下げる。
「ヴィヴィ、『狩人』には直接頼まないんですか?」
クーナは頭に浮かんだ疑問を口にする。
「『真夜中の道化』の一件を考えれば『狩人』にも内通者がいる可能性がある。
そうなれば『狩人』を通してカランティの捜索は筒抜けになる。
その上あちらさんも『魔王の卵』であるヴァロの扱いは現在分かれているって聞いてるしねぇ」
ヴィヴィはさらりと問題発言を投下する。
「それは一体…」
「まー、あっちにもいろいろと事情があるのよ」
ヴィヴィはそう言ってさらりと流す。
「本当ならあたしがついてくのが一番いいんだけどねぇ。ここを放置していくわけにもいかんし…」
ヴィヴィはこのフゲンガルデンの聖堂回境師でもある。
万が一のことも考え、この場所を離れるわけにはいかない。
「…大丈夫。私はもうトラードの時のような失敗はしない」
フィアはその小さな手を握りしめる。
フィアがそれを悔やむのはもう少し後だ。