1-3 白昼夢
「ほっほっほ、なかなかに面白い。こんな食べ物が地上にあるとは」
レザードは食べ物を両脇に抱えて食べながら歩いている。
フゲンガルデンの食事は彼の口に合ったものらしくすっかりご機嫌である。
ヴァロにとってみれば周囲から変な目で見られるわ。お金を払わされるわ。さんざんな一日である。
「君も食べるかね」
「結構です」
ヴァロは声を荒げる。
通りをゆく人々からは注目を浴びるが、そんなことを気にしている余裕は彼にはなかった。
魔剣の管理者であるラウにも呼びかけるも何の反応も返ってこない。
大概呼びかければ何かの反応は返ってくるのだが。
せめてフィアに会えればこの異常な状況も少しは分かるかもしれないが、
彼女たちの住処にこんな怪しい人間を連れて行くわけにはいかない。
そんなことを考えながら通りを歩いているとその本人にばったりと出くわす。
「ヴァロ」
二人の女性がヴァロに近づいてくる。
金髪の少女と黒髪の女性である。金髪の女性の名はフィアと言う。
その長い金髪は背後で結んでいる。
エメラルドのような澄んだ瞳に透き通るような白い肌。
彼女の容姿に誰もが一瞬で目を奪われるほどのものだ。
ひいき目抜きに歳を重ねるほどにその美しさは増していると思う。
最近では一部の人間がフゲンガルデンの女神とかいわれているらしい。
ヴァロもフィアも知ったことではないが。
「ヴァロ、この買い物袋もって」
黒髪の女性のほうが無造作にヴァロに買い物袋を半ば強引に押し付けてくる。
その女性の名はクーナと言う。
光沢のある黒い髪に整った顔立ち。
少しきつめの瞳が特徴的である。
誰もがその二人の女性が通り過ぎると振り向く。
まるで二人のいる場所だけ別世界のような印象すら受ける。
「拒否権はなしかい」
「あなたにそんな権利あったかしら?」
容姿はいいが、中身はこんな感じである。
クーナの鋭い眼差しと冴えわたる毒舌の前にを前に誰もその花園に近づいてくる勇者はいない。
周囲からは羨むような声が聞こえてくる。
ヴァロは押し付けられた荷物を手にした。
「あのな…」
「ヴァロごめんなさい」
フィアは言葉とは裏腹にどこか嬉しそうだ。
そんなフィアを目にしてヴァロは不満など吹き飛ぶ。
「フィアは気にすることないわよ」
最近は少しだけヴァロに対するクーナの態度が和らいだかと思っていたが、それは思い過ごしだったようだ。
「二人とも今日はどうした?」
「買い出し。留守にしてたらとんでもないことになってたから」
半年の旅から帰ってきた後、ヴィヴィの住処は異界と化していたという。
フィアはクーナと二人がかりで朝までその異界と化した住居の掃除をしていたらしい。
あのままフィアたちと一緒についていかなくて本当に良かったと思う。
到着してから三日経つ。ちなみにクーナは現在ヴィヴィに弟子入りすることになったという。
「ヴァロは?」
「このおっさんの案内」
ヴァロは背後にいるレザードに顔を向ける。
そういうレザードはというとフィアの顔をぼんやりと見つめていた。
「まるっきり別の世界でも無いようだ」
レザードは優しく微笑む。
「?」
フィアは首をかしげる。
「私の名はレザード・ゾルファといいます」
レザードは帽子を取るとかしこまったように一礼した。
「ヴァロ君、君には今日案内してくれたお礼をするとしよう」
レザードは人差し指でヴァロの眉間に触れる。
その瞬間、妙な電撃ようなものが走った気がした。
「さようなら小さな姫君。私にはどうやら迎えが来たようだ。それでは私は失礼するとしよう」
レザードはその帽子を取ってフィアに一礼する。
一礼するとステッキを片手にぶんぶんと振り回しがならその紳士はその場を後にした。
「ヴァロ、あの人は?」
フィアは不思議そうにその後を見る。
「いけない、いけない。この世界につながりをもつところだった」
レザードはステッキを振り回しながら通りを歩く。
彼は人気のない通りへ進む。
「迎えに来たよ。レザード・ゾルファ魔法長」
一人の褐色の肌の女性が建物の陰から顔をのぞかせる。
挑発的な瞳にどこか野性を感じさせる風貌。
その瞳は金色の光を放ち、癖のある髪をしている。
腕を組んで睨むようにレザードを見ていた。
「おやおや、王はもう使いをよこしたのか?向こうの時間軸だと一二時間も経過してないはずだろう」
「王を出し抜けるとでも?」
その女性は鼻を鳴らす。
「フム。やはり気づいておられたか」
「見ていたよ。人間ごときに秘術をかけるなんて、魔法長もずいぶんやきがまわったもんだねぇ」
やれやれと言った様子でその女性はレザードに声をかける。
「彼には半日ここの案内をしてもらった。その対価だ」
「対価にしてはつり合いが取れていないだろうよ。人間風情があんたの秘術をその身に受けるなど、その命を払ってもおつりがくるぐらいだ」
そんな女にレザードは果実を差し出す。
「君も食べていかないかね。最近の人間界の食べ物は意外といけるぞ」
「魔力を力に変えるあたしたちに食事は必要ないんだけどね」
レザードから奪い取るようにして受け取ると、果実を女はかぶりつく。
「はっ、まあまあだね」
「君はもう少し余興を知ったほうが良い」
指で髭をいじくりながらレザール。
「余興ねぇ。こっちはあんたがいないだけでなけなしの余暇が吹き飛ぶんだが」
「やれやれ、一人の人間に頼りすぎるのは組織としてどうかとと思うがね」
レザールは嘆息し帽子に手をかける。
「こっちも大詰めだ。人手不足なんだよ。そうそうクファトスの坊やがこの下に埋もれてるようじゃないか。この城ごと吹っ飛ばして連れてくかい?」
その女性の腕が高密度の魔力を纏う。
それを受けてフゲンガルデンそのものがその女性を怯えるように揺れる。
フゲンガルデンを覆っているのは『絶縁結界』。あらゆる魔力を無効化する特性がある。
それが無効化できないということは女性の放つ魔力はここの結界の無効化できる許容限界を超えているということだ。
その結界ですら無効化できないほどの量の魔力量。結界は魔王を想定して作られている。
つまりその女性は教会の想定する魔王すらも凌駕する魔力を放っているということになる。
レザールはその腕に手を置く。するとその魔力が一瞬にして消え去った。
「レディがそんなはしたないことをするものではないよ。それに誰も傷をつけないようにとあの坊やと『約束』をしている。
君は私に『約束』を破らせたいのか?」
それは怒気ではない。レザードの放つ力で空間そのものが歪んだ。
「あんたと事を構えるつもりはないね。あんたがただの人間と『約束』とはねぇ」
レザードの顔を見るとその女性は放出する魔力を消し去る。
「魂は皆等しく平等さ。そこには上下などないよ」
「魔法長は蟻にも魂はあると?」
「この件で議論するつもりはない。さて我々は王の元へ戻るとしようか。そろそろここの管理者に見つかってしまう」
レザードがステッキをかざすと手前に空間の切れ目が現れる。
レザードはその女性を連れ立って切れ目に入っていく。
「せいぜいいい夢をみなよ。終わりの刻まで」
その女性とレザード・ゾルファはその世界から消え去った。
ヴァロたちは三人でヴィヴィの住処に向かう。
周囲に人影はない。結界の路地に入り込んだためだ。
ヴァロはフィアに今日会った出来事をフィアに語って聞かせていた。
「フゲンガルデンで魔法?あんたの勘違いか夢じゃないの?ここの絶縁結界の中でそんなことできるわけないじゃない」
クーナは懐疑的な眼差しをヴァロに向ける。
「あるいは魔法に類似する何か。固有魔力とか…」
「固有魔力?あんなのは上位の魔族しか使えないものよ。数少ない魔族の中でも扱えるのも何万人に一人だとか。
人間界にそうそういてたまるもんですか」
クーナはヴァロの言葉を真っ向から否定してくる。
トラードのホエラニードという魔族は『魔壁』という固有魔力を使っていた。
その力は魔力の壁を作り出すというものだ。
「この絶縁結界は対魔王用に作られた結界でもある。たとえ固有魔力でもこの結界はそれを封じるように作られているわ」
聖堂回境師であるフィアの言葉には重みがある。
「ならフィアはあのレザードから何か感じないのか?」
「どうだろう。…ただどこか懐かしいような不思議な感じがした。」
「懐かしい?」
ヴァロもクーナもフィアの言葉に顔をあわせた。
このとき不意に地面が揺れが三人を襲う。
「なに?地震?」
体にも感じるほどの揺れを感じヴァロとクーナは身構える。
「…違う…これは…」
フィアは怖い顔である方角を見つめていた。
「どうしたフィア?」
フィアは背後を振り返る。フィアの前身は汗でびっしょりになっている。
「…この感じ…『爵位持ち』?」
フィアの異常にヴァロが声をかける。
「…結界から消えた」
フゲンガルデンにてとてつもない魔力が感知されたのはその日のことだ。
ヴィヴィとフィアだけがそれを感知していた。
「やはり…レザード・ゾルファ魔法長。もう一人はダエリアン侯爵か」
クファトスは部屋から街並を見下ろす。
「…やはり来ましたね」
二人は窓際で外を見ていた。
「久しぶりに感じたよ。大方『世界振』で呼び寄せられたか」
クファトスは大きなため息をつくと椅子にその身を埋める。
「彼らだけだったのは幸いだったな」
「それほど上は切迫しているということでしょう」
黒の護衛は風景画の一部のようにその場に立ったままだ。
「さあてあの女は文句の一言でも言いにくるかな?」
楽しげにクファトスは笑う。
クファトスは楽しげに赤髪の女性の姿を思い描く。
この出会いがヴァロにもたらしたものはもう少し後で語られる。
ヴァロが結果としてこのフゲンガルデンを救ったことは今は二人しか知らない。
またこの出会いがヴァロの今後の運命に深くかかわってくるのだ。




