デートしよう!
「監修……それはもちろん構いませんが、どんなことをすれば……?」
藍色の目が物問いたげな視線を向けて来る。いきなり監修と言われても……という感じだろう。そりゃそうだ。彼女は自身の身分を、王国近衛騎士団所属の騎士だと名乗った。小説の監修経験など、あるわけがない。……だが、彼女にはそれが可能だ。何故なら、
「監修といっても、さっきみたいにただ俺の書いたものを読んで向こうの世界との相違をあげてくれたり、俺の質問に答えたりしてくれるだけでいいんだ」
彼女には、本物の異世界の知識がある——。彼女にとって当たり前なその知識は、俺にとっては喉から手が出るほど欲しい知識なのだ。
「ほ、本当にそれだけで良いのでしたら、私にもなんとか務められそうな気がしてきました」
そう言って彼女は、少しだけ安堵の表情を浮かべる。そしてすぐに、「で、ですが本当に、元の世界へ帰ることはできないのですね……」呟き、俯く。
(そうか、まあ、そりゃそうだよな……)
彼女にとっては、いきなり知らない土地に拉致されて、探し人と勘違いしているとはいえ見ず知らずの男にいきなり雇われて、その地での生活と労働を強いられている、という状況だ。この世界にそれほど未練があるとは言えない俺ですら、確実に泡を吹いて気絶しているだろう。年頃の、そしてこれ程の美貌の少女であれば、向こうでの生活はさぞ充実したものだっただろうことは想像に難くない。その生活をいきなり奪われ、元の世界へ戻ることもできないと言われる……。それが、どれ程彼女の心を傷つけただろう。俺なんかの想像力では、推し量ることのできない感情がそこにはあるはずだ。
……が、しかし、
「やりました……これでようやく、あの脳筋クソ野郎しかいない騎士団から合法的に逃げ出すことができました……!」
女神アリューレに祝福あれ——!
彼女はそう言って、歓喜の声をあげ、剣を引き抜き天高く掲げた。それが照明に当たって、照明が砕け散る。それに彼女は気づく様子もなく、挙句、「あーっはっはっは!」と高笑いさえあげる始末。
(俺の心配を返せよ!?)
心の中でそうツッコミを入れる俺に、彼女は姿勢を正して跪き深々と頭を垂れた。
「では導師、これから、宜しくお願い致します」
そう言って、その美貌をこちらに向けて破顔する。
「——あ、はい、こちらこそ……」
思わず息を呑みながら、なんとか応じる。
魔法陣の放つ色とりどりの燐光が漂う薄暗闇の部屋の中、その燐光をぼんやり反射する甲冑に身を包む彼女の笑顔は、俺にとって、よほど幻想的だった。
まあ、いずれは彼女を元の世界へ戻す方法もなんとか探し出し、きっと彼女を元の世界へと戻してあげよう。厳しいかもしれないが、本物の大魔導士であれば、それも可能かもしれないのだから。と、彼女の姿を見てそう心に誓ったところで、
(……ん? 薄暗闇?)
一抹の違和感が脳裏を掠める。
照明をつける前であっても、魔法陣の光によって朝だと勘違いするくらいには明るかったはずだが。
俺が魔法陣に目を向けると、魔法陣の光は今にも消え入りそうになっていて、俺の視線が注がれる中、その光は完全に失われた。
「あ、えっと、早速だけど、魔法陣の光が消えたってことは、つまりどういうことなのかな?」
「ああ、はい、それは……」
彼女は説明を始めようとして、まるで何かに思い至ったかのように少しだけフリーズした。
「魔法陣は指定した空間に存在する魔力が枯渇するまで、その効力を発揮することになります。そして、みたところこの魔法陣によって指定された空間は、この世界そのものだったようです。……ええっと、つまり……この世界の魔力が、完全に失われたことを意味するのではないかと……」
顔を見合わせる。
「……つまり、さ」
「……はい」
「……まあ、これからよろしく」
「……末長くよろしくお願いします」
深々と頭を垂れる女騎士。
こうして、彼女が元の世界へと戻る方法は、はやくも、ほぼ潰えたのだった。
* * *
そして、俺は回想からようやく今へと戻ってくる。エプロンを解きつつ、女騎士は繰り返す。
「――ですから、ドラゴンはえっちな目を——」
「いやわかった、それはわかったんだが」
それはまたどうして。と、俺は目の前で熱弁する女騎士をたしなめつつ問う。淹れたてのコーヒーで気持ちを落ち着けつつ舌を湿らせ、彼女はその理由を語り始める。
「まず、竜とドラゴンは全くの別物です」
「あ、そうなんだ。この世界でもドラゴンと竜って伝承からして違うけど、ファンタジーでは基本どっちかしか出ないんだよな。舞台というか、テイストによったりして。どっちも出すと、世界観ぶれちゃうしなあ」
「そうなのですね。ですが、私たちのもといた世界……あの……話の途中ですみません、『今いる世界』『元いた世界』って分かりづらいので、何か呼び名を決めませんか……?」
「いや、ほんといきなりだな……」
「すみません、どうしても今気になってしまって」
「一理あるから、まずそれを決めよう」
暫し沈思する。そして、パンッと手を合わせて言う。
「今いる世界を〈プロダクションワールド〉、元いた世界を〈ステージングワールド〉」
「お言葉ですが導師、長くないですか」
「む、では他に案を出したまえ」
「……向こうでは世界のことを”リア”と言っていたので、分かりやすく、仕掛けのあるこの世界を〈非魔法世界〉、仕掛けのない向こうの世界を〈魔法世界〉でどうでしょう」
「ぐぬぬ、なかなかいいじゃないか。じゃあそれで」
なかなかどうして、俺よりもネーミングセンスがあるのかもしれない。ファンタジーのことだけでなく固有名詞についても今後は相談に乗ってもらおう。そう考えていた時、
……ん?
あることに思い至る。
「『仕掛け』って、ソードお前、文明の利器を魔道具だと思ってたんじゃ?」
「あっ……」
「……お前、俺がバイトに行ってる間になんか見たり調べたりしただろ」
「…………も……申し訳有りませんっ!」
「いや、いいんだけどさ、それならそうと早く言ってくれよ。あんまり真に迫る演技で褒めるもんだから、俺も本当のことを言うに言えなくて心を痛めてたんだから」
「すみません……」
「で、何をみた? というか、何を使った?」
ごくり、と女騎士の喉が鳴る。そして、
「勝手に触るなと厳命されていた『のぉとぱそこん』を、好奇心のあまり使ってしまいました……」
「よりにもよって——!!」
それは、まずい。あのPCのブックマーク内には俺のオタカラへと通じるURLがわんさか眠っている。いや、しかし、こんなこともあろうかとブックマークの中でも階層に階層を重ね、奥深くに格納してある。まだPCを触って数日のこの小娘如きに見つけ出せるはずが——
「ご安心ください! 導師がどれだけ胸部が豊満な女性を偏愛していたとしても、私の中の尊敬はうすらいだりしません――!」
「やめてええええ!! みなまで言わないでええええ!!」
見つけ出されていた。
どんなところで思わぬ順応性の高さを見せつけてきやがるんだこの女騎士。異世界人だからと言って、決して油断してはならないと俺は肝に銘じた。
「……で、ものすごく脱線したけど、なんだっけ、ドラゴンと竜だよな。〈魔法世界〉ではどうだったんだ?」
なんとか自然に話をそらす。女騎士は「そうでした」と柏手を打って、
「魔法世界には、ドラゴンも竜もいましたね。ドラゴンは主に北方の山脈に生息していて、竜は東方の山脈に生息していました」
「じゃあ、非魔法世界側の伝承もあながち大外れってわけでもないのかな」
「おや、そうなのですか?」
「ドラゴンは北欧の、竜は東方の伝承にそれぞれよく登場するんだよ」
「なるほど……もしかするとかつては本当に、こちらにもそれらが存在したのかもしれませんね」
「どうだろうなあ……。それで、両方いたらなんなんだ? 確かに伝承は別だけど、どっちも強くて、恐怖や崇拝の対象なんじゃないのか? そう思って書いてるんだけど――」
そう言う俺に、女騎士は「ううん」と少しだけ唸って答える。
「なんというか、両極端なんですよ。竜は比較的温厚で人族への理解もあるのですが、それでも人族よりも上位の、別次元の存在として認識されていて、竜側もそう振る舞いますし、導師の仰るように、人族も彼らを崇拝の対象としてみなしています。ただ、それに対してドラゴンはちょっと違います。ちょっとというか、真逆ですね。ドラゴンは例外なく、人族の”おっさん”のような性格をしているのです」
「は?」
「ドラゴンは竜よりも更に温厚で人族との交流も深いのですが、その理由は、彼らが人族の女性に目がないことに起因しています。彼らは人族の女性をみると、ものすごくえっちな目でひたすら舐めるように眺めるのです。
辛抱たまらず乱心したドラゴンが、傾国の美女と名高い一国の王女をさらっていった――なんてお話がお伽噺にも残っているくらいで」
「ドラゴンが姫を攫っていくのは定番と言えば定番な気はするけど……なんというか、そっちのドラゴンはものすごく残念なんだな……」
俺はドラゴンに対して抱いていたイメージが崩れ去っていくのを感じた。
「よし、じゃあ、ドラゴンはおっさんキャラにしよう。コメディちっくな話に向きそうな設定だけど、いままでみたいな訥々と話しを進める作風とは雰囲気をガラッと変えたいと思ってたし、いいかもな」
「はい、その方がリアルでよろしいかと思います」
――こうして俺たちは、俺が前日夜に書いた設定に、朝食後女騎士が目を通し、気になった点を指摘する、という形で女騎士による監修を進めていた。
今は九月のはじめ。目指すは、今月中に一本企画書を書きあげることだ。そしてそれを、担当編集である総曲輪庵の目の前に叩きつける――。
その日を目指して、今はひたすら、彼女監修のもと、企画書を練っていく時期……なのだが、そのまえに一つ、俺たちには早急にやらねばならないことがある。
「なあ、ソードさん」
「はい? なんですか急にあらたまって」
彼女は不思議そうな顔をして、少し上体を下げて上目づかいでこちらを見つめてくる。すると、サイズのあっていない大きめのTシャツがその首元を大きく開かせてしまう。ともすれば胸元までがはっきりと見えてしまうくらいに。
彼女が身に着けているのは、つまるところ、俺のTシャツなのだ。
「この世界のことを俺のPCで多少は知ったんだよな? じゃあ、もう外に出しても同じことだ」
「ええっと……?」
「ソード、洋服を買いに行くぞ!!」




