私、騎士になる!
誰もが、自分の望んだ未来を生きることを許されるわけではない。
私はそのことを、幼い頃から知っている。
幼い頃に望んだ夢やその目的を本当に叶えられる人間がどれだけいるだろう。例えその夢が叶ったとして、本当にその世界は、自分が夢見たような世界なのか? まあ、それはまだ希望のある例だと言えるのかもしれない。例え何らかの形で夢破れても、まだ未来がある。また新たな道を歩むことだって出来るかもしれない。でも、この世界には、夢を叶えるための努力さえ、何かを望むことさえ、許されない人間だっている。その先に、未来なんてない人だっている。
他ならぬ私の姉がまさにそうだった。
どこかの誰かの手によって望まぬ道を選択させられ、そして未来を奪われたのだ。
姉は子供の頃から芸術の才に秀で、その才能に目をつけられて、私がまだ母のおなかの中にいる頃に、教会によって攫われた。
私がそのことを知ったのは、私が偶然、家の納屋に保管された一つの彫像を見つけたときだった。その彫像には、私と同じ姓で名が記してあった。それを私は、母親に尋ねたのだ。すると母は涙ぐんで、本当はお前には姉がいたのだと、そして、村では決して口に出さないことになっているが、お前の姉は教会によって攫われたのだと言った。
私の育った村は北の辺境にある小さな村で、名産も何も無くとても裕福とは言えなかったが、かつて女神アリューレにまつわる聖遺物の発見された村とあって、教会の庇護が手厚かった。そんな教会の手厚い庇護により、村民たちは穏やかかつおおらかに過ごし、大きな争いも諍いもなく、毎日がゆっくりと平和に流れていく、そんな村だった。であるから、辺境近くにあっても村では教会は絶対的な影響力を持っていた。母もある時までは信心深い教会の信徒であったらしいのだが、私の知る限り、母はもっぱら神には祈らない。
その理由が、ようやくわかった。
母は大事な娘を、私の姉を、教会によって取り上げられてしまったのだ。どうしてそのことを母が知っているのかはわからないが、とにかく母は、教会が姉を攫ったのだと確信している。かといってそのことを大事にしてしまえば、村での母の立場は危うくなる。当時既におなかに私を宿していた母は、そのことを糾弾できなかったらしい。
私はそれを知って、一つの決意を固めた。
「私、騎士になる。騎士になって、王国に仕えて、お姉ちゃんを探す——」
* * *
私は必死に勉学、検術の稽古に励み、二十の年、晴れて騎士に叙任された。
まあ、騎士と言っても、荘園なんかが与えられるような立場ではない。もともと身体を動かすのが好きだった私には検術の才能があったようで、その才を買われての異例の叙任だった。だったが――言ってしまえば、それだけだ。地方出身の、それも市井の出とあって、私に対する風当たりは冷たかった。そして与えられた仕事は、かつて突如姿を消した大魔導士を探すという、まあ、所謂窓際部署だ。先任の老騎士も、変わり者として知られる騎士だったらしい。彼が最期まで追い続けてきたそのヤマを、彼の引退後、私が引き継ぐことになったのだ。それ以上の立場を与えぬよう決して出世コースには乗せず、有事の際には戦力としてすぐに引っ張り出すために――。要するにそれは、騎士叙任と言う名の、よく言えば中庸。悪く言えば、体のいい飼い殺しだった。
なぜ私は、教会の修道女ではなく、騎士になったのか。
修道女には基本的に自由が無いからだ。
一度修道女として修道院に入ってしまえば、二度と、修道院から逃れることは出来なくなる。神に仕えるとは、そういうことなのだ。それなら、教会に比較的近しい国に仕える騎士となれば、比較的自由な立場で姉を探すことができるのではないかと思い至ったのだ。
騎士団においての私の立場は決して気持ちのいいものではなかったが、まあ、とはいえ、私にとってそれはどうでもいい瑣末ごとだった。私の目的は、国に命を預けることではなく、姉を捜すことなのだから。
しかし、私の姉は10年程前、既にこの世を去っていた。
私がその事実を知ったのは、本当に偶然だった。大魔導士捜索の任に当たることとなり、先任の残したその資料にあった情報に一応目を通した。
大魔導士はその頃、その姿を彫像として残すため、彫刻師と呼ばれる者と行動を共にしていたこと。しかし、しばらくして彫刻師が協会本部へと納品した彫刻は彫刻師自身の姿を彫ったものであったこと。彫刻師はその後、王宮の中庭で自ら命をたったとみられること。その事実は半年間もの間明るみにならず、それまではその死体は、彫像との合致から大魔導士のものだと判断されていたこと……。
その資料には、大魔導士失踪時の状況が事細かに纏められていた。しかしこれは、大まかにではあるが世間にも広く知られている内容だった。問題はその後。「未公表につき、極秘」と記されたページの先だった。
そこには、大魔導士は当時、協会の目を盗んでは〈異世界召喚〉の魔法を熱心に研究していたこと。さらに、大魔導士失踪から半年ほど経った頃、この国からは遠く離れた異国の森で、大規模な魔法の使用が認められたことが、その詳細な資料と共に纏められていた。それだけではない。その先には、こんなことまで記されていた。
大魔導士は、自殺した彫刻師と恋人の関係にあったのではないか、と。
次のページに、ある手紙の片割れが挟み込んであった。先任の騎士は、くだんの森の中、ある手紙を見つけ出していたのだ。逃避行の最中である。羊皮紙一つ手に入れるのにも、相当な苦労を要しただろう。その薄汚れた皺だらけの手紙には、それとは不釣り合いなほど流麗な字体で、こう書かれていた。
「 大馬鹿者のシャルへ
あなたは大馬鹿者です。あなたのしたことは、本当に浅はかだったと思います。他にも道はあったはずなのに、どうしてあなたは、一人で全て決めてしまったのですか? そんなことをして、私が喜ぶとでも本気で思ったのですか? あなたのいない世界で、私が本当に幸せになれるとでも思っているのですか?
私はどうしても、あなたを許すことができません。魔法も、この世界への興味も、そしてあなた自身さえも……私から全てを奪ったあなたを、私は一生、恨み続けるでしょう。
ですが、
それでも、
私はこれからも、
たとえ世界を異にしても、あなたのことをずっと、愛し続けます。
これまで本当に、ありがとう。
シエロ 」
大魔導士シエロから、『シャル』へと当てた短い手紙。所々、文字がぼやけているのは、涙のせいだったのかもしれない。大魔導士が涙を流しながら決して届かぬ手紙を書いた相手、『シャル』。その名前は、あの、納屋にあった彫像に掘られていた、姉の名前と同じだった。
拉致されたという立場上姉には偽名を与えられていたはずだが、大魔導師に対しては、少なくとも名前だけは本当の名前を名乗っていたのだろう。
私はそうして、私の姉は大魔導士の像を彫る彫刻師として教会に拉致され、その後大魔導士と恋に落ち、その人のために命を落としたことを知った。
白之が出かけている間、私は、彼の部屋を整理するという名目で部屋を物色しながら、この世界に召喚される前の、そんな記憶を思い起こしていた。そこに、
「シエロたーん! ただいま帰ったよー!」
くだんの男が帰ってきた。
「お帰りなさいませセンセイ〜」
パタパタとスリッパの音を立てて玄関へと出向き、彼を出迎える。
「今日は担当の方と打ち合わせだったのでしたっけ?」
私はなるべく従順な風を装って、彼に接する。
「ああ、そのはずだったんだけどねえ——いやあ、総曲輪さんも食えない人だよ」
「?」
「この間ソードさんと一緒にいた、作家のシエロ先生。彼がいたよ。で、宣戦布告されてきた」
「——っ! へ、へえ。それはまた、どうしてです?」
「勝った方が、君を好きにできる、的な?」
「な、な、なんですかそれえ! あ、あの人はまったく——」
あの人には……シエロ導師には、本当に……悪いことをした。
何も言わずに、一人で決めてしまった。
「まあ、心配しなくていいよ。僕は負けはしないさ」
「そう、ですね。センセイが負けるはずがありません、よね」
だが、あの場ですぐに翻意を表明しなければ、もっと警戒されていたかもしれない。だから、仕方がなかったのだ。
「さて、じゃあ今日も、僕のために、僕がこの世界に来てからの向こうの世界のことをもっと教えてもらうよ。ね、ソードたん」
私は、彼、白之絵巻が、どうしてあの世界のことを知っているのかを、突き止めなくてはならないのだから。
他の誰でもない、顔も知らぬ姉が愛し、恐らくはその生涯で唯一望んだ、大魔導士シエロの幸せのためにも——。




