不器用な人ですね
「一人でそんなところで研究ばかりして、楽しいですか?」
王城の研究室に一人こもっていた私の背中に、いきなりそんな声がかかった。
「女の子は花と一緒なんですから、大魔導士としてのお仕事がどれだけ大変でも、たまには外に出てお日様の光の一つも浴びないと……枯れちゃいますよ?」
「余計なお世ですよ、まったく。……あなたが例の、〈彫刻師〉の方ですか」
だとしたら、全く以て無礼だ。絶対に振り返ってなどやるものか。
そもそも、確かに私は好きで魔法の研究をしているが、気付けば大魔導士だなどと祭り上げられ、今ではこの王城に軟禁状態だ。研究の内容だって国のためのものばかりで、私が本当に望む魔法の研究さえ、なかなかさせてもらえない。そんな私が、望んでこんな状態になっているとでも思っているのだろうか。
小さくため息をつきつつ手元の作業を黙々と進めていると、ふいに、「その通りです」という言葉と共に、手元に向けた私の視界に綺麗な濃紺色の髪が入り込んだ。私の髪は黒髪だ。つまりこの髪の主は——
「お初にお目にかかります、大魔導士シエロ様——。私が、あなたの専属彫刻師、シャルドネ・ファン・アレスタンです。彫刻を彫るまでの間、しばらく身の回りのお世話をさせて頂きますので、よろしくお願い致します。
……とまあお固いのはこの辺にして、お気軽に『シャル』とお呼びくださいね!」
彫刻師を名乗る、シャルという少女。
濃紺色の髪に次いでひょこっと視界に現れた溌剌としたそのシャルの笑顔は、魔法の研究という灰色一色だった私の心に、鮮やかな色の絵の具を強かに塗り付けた。
彼女は後に、私の初めての親友、そして、”恋人”となる人物であり、そのまた後に、私が、私のせいで失うことになる人物でもある。
* * *
大魔導士、つまり個人崇拝の対象となった私は、偶像崇拝の禁止という教典の教えに倣って、その素顔を晒すことを固く禁じられた。私の素顔は、大魔導士になることがある程度目され始めた十代半ばの頃から既に、固く隠されてきた。それは、私を大魔導士に祭り上げた教会の人間でさえも例外ではない。彼らは教典の教えを信心深く、あるいは妄信的に遵守するのだ。だから、いまやこの世界に、私の素顔を知る者はほぼいないと言っていいだろう。
だが唯一、そんな私の素顔を見ることを許された人物がいた。
大魔導士は五年に一度、その姿を彫像にして残すことになっている。
それは有事の際、大魔導士の素顔を知る必要に駆られた時のための、致し方ない保険だ。
そしてそのために教会は、彫刻の才に秀でた子供を秘密裏に——主に拉致という形で——集め、幼い頃から彫刻の英才教育を施し、生涯一人の大魔導士の姿を彫像にして残すことだけを天職とする、〈彫刻師〉と呼ばれる存在を用意していた。
基本的に彫刻師は、一人の大魔導士に対して一人が専属でつくことになる。一度大魔導士の顔を見てしまった彫刻師は、一生その大魔導士のために人生を捧げなければならない。
教会は当然、そんな非人道的な活動を表沙汰にすることはできないので、彫刻師もまた、その素顔を晒さないように厳重に管理されていた。いつどこから足がつくか、分からないからだ。
私が大魔導士になってそろそろ五年が経とうとしていた。だから、そろそろ来る頃なのではないかと思ってはいたのだ。そしてそんな予感に、私はいっそう気を重くしていた。
先輩大魔導士(といってももう老人の域だが)からは、彫刻師というのは道具のような存在で、本人もまるで道具のように振る舞うのだときいていた。
私も近く、そんな様子を間近で見せられるのかと思うと、考えただけで気が滅入った。
だが、蓋を開けてみれば、そんなものは杞憂だった。
シャルはいつも溌剌としていて、そしてどんなときでも笑顔だった。
一切自分を卑下した様子もなく、大魔導士である私にも必要以上にかしこまった態度で振る舞うこともなく、まるで友人のように接してくれた。
私はそんな彼女に少しずつ心を開いていって、気がつけば、私にとっては唯一彼女だけが心のよりどころであり、魔法以外の興味の対象となっていた。
あるとき、私は勇気を振り絞って、彼女に告白した。
「ねえ、シャル。私、あなたのことが好きです——」
すると彼女は一瞬目を丸くして、そしてゆっくりと、優しく返事をしてくれた。
「うん。私も」
私とシャルは両想いであることを明かしあって、晴れて恋人となった。
その頃からだと思う。私が、あの世界に興味を失い始めたのは。魔法以外に価値あるものを見つけ出した途端、私にとっての魔法が、それほど価値のあるものに思えなくなってしまった。私がどれだけ魔法を極めたからといって、だからなんだというのだ。いずれは誰かが辿り着く道に、どうして私が人生を捧げなければならない?
私にとって、魔法は徐々に、興味の対象ではなくただの足枷となっていった。
本当なら、私はシャルと一緒にどこかで静かに暮らしたい。その障害となっているのが、私が大魔導士であるという事実、ひいては魔法そのものだったのだ。この世界ではもう、私は一生、大魔導士として生きていく他無い。一生、この城から逃げ出すことはできないだろうから。
そして私は、こんなことを思うようになっていた。
この世界ではない、他の世界に行けたなら——。
それをシャルにそれとなく話してみたら、彼女は「それいいね!」と冗談半分に笑っていた。
そして彼女は唐突に、私に「魔法で鏡ってつくれるの? つくれるなら、私に鏡をつくってくれないかな?」と訊いて、私はよく分からないまま彼女に鏡を作ってあげた。
それからしばらく、彼女は私の前に姿を現さなかった。
* * *
そんなある日、研究室で浮かない顔をする私のもとにシャルが突然姿を現し、こんなことをきいた。
「や、シエロ。シエロはさ、私が死にそうになってて、自分の命と引き換えにして私を助けられる場面がきたとしたら、どうする?」
その問いの意味は分からなかったが、私はこう答えた。
「そんなの決まっています。私は、迷わず私の命と引き換えに、あなたを助けるでしょう……って、いきなり何を言わせるんですかっ」
真剣に訊くものだから反射的に答えてしまったが、我に返って赤面する。
「あっははは、シエロかーわいいー」
「うるさいですよっ!」
「でさ、そろそろ、彫ろうと思うんだよね」
「え……あ……そうですか。ええ、わかりました。私はいつでも大丈夫ですよ」
そろそろだとは、思っていた。しかし、これでもう、私は本当に、この城どころか、この世界のどこへ行っても、逃げることはできなくなる。シャルが彫る像は、そのための彫像なのだから。
二人で彫刻室と呼ばれる専用の部屋に入り、そんなことを思いながら俯く私に、シャルは殊更に明るい口調で言った。
「ね、シエロ。最後にさ、キスさせてよ」
「え……」
「いいから。ほら」
そう言って、彼女は真っ直ぐに私をみた。
私は、彼女のその真剣なまなざしにあてられて、仕方なく目をつむる。
(いきなりなんなんですかこの人は、発情期なんですか。人が悩んでいる時にこんな……)
だが、しばらくしても何も起きないので、私は恐る恐る目を開ける。
すると目の前で、彼女がにやにやしつつ私をみていた。
「シエロちゃんのキス顔かーわいいー」
「な、な、な……あ、あなたって人は、どうし——っ!?」
叫ぶ私の唇を、彼女がその柔らかな唇で塞いだ。
いきなりのことに戸惑うも、彼女の小さな舌が私の中に入ってきて、私の舌と絡み合い、全身が弛緩していく。
私たちはしばらく、そのままずっと唇を重ねていた。
「——っぷはあ! あはは……どう?」
「こんなの、ずるいです……」
「いやー、可愛いものみれたなー。眼福眼福っと。それじゃあ、早速始めようか」
そしてその後、彼女は何事も無かったかのように、私の彫像を彫り始めた。
できあがった彫刻は、憎らしい程に見事な出来映えだった。
「私は早速これを教会に納入してくるね」
「わかりました。私も手伝いましょうか?」
「ああ、いいよいいよ。流石に希代の大魔導士様にそんなことさせてるのを見られたら殺されちゃうよ」
彼女は笑って、そして教会の言いつけ通り外套を羽織って、決して顔が見えないように目深にフードをかぶり、彫像を台車に乗せて運んでいった。
去り際、そんな彼女の口が何かを呟いていたように見えたのは、気のせいだっただろうか。
その夜、私は寝床について、ここ最近のシャルの言動に、そこはかとない不安を感じていた。
今日、彼女が去り際呟いていたのは、口の動きを見間違えたのでなければ「幸せになってね」だったように思えてならないのである。
しかし、どうして彼女がそんな言葉を呟いたのか、そして私の感じた不安が一体なんなのか、そのときの私には、まだわからなかった。
だが、その不安の正体を、私はその夜、自ずと理解することになる。
* * *
「大魔導士シエロが死んでいる——!」
誰かの叫びで目が覚める。
何やら城の外が騒がしい。中庭だ。私のあてがわれた部屋からは、丁度中庭が見下ろせる。私は起き抜けで霞む視界を、目をこすってクリアにしつつ、ベッドから這い出て、月明かりに照らされた中庭に目をやった。
そこでは、誰かが倒れていた。
いや、心臓をナイフで一突きにされ、死んでいた。
身につけているのは、フード付きの外套だ。
私は、その外套に見覚えがあった。
(うそ……うそでしょう……?)
私は思わず、声をあげそうになった。しかし、その窓の縁に、手紙が一通置かれていることに気付いて、かろうじてその声を呑み込んだ。私は恐る恐る、その手紙を手に取った。そこには、こう書かれていた。
* * *
シエロへ
この手紙を読んでいるとき、私はもう、生きていないと思います。
私なんかよりもずっと頭のいいシエロならもう気付いてしまったかもしれないけれど、一応、どういうことなのか書いておきます。
私は、シエロに作ってもらった鏡を使って、私自身の彫像を彫りました。だから、暫くシエロのところにも満足に顔を出せなかったんだ。ごめんなさい。
そして今日、シエロと別れたあと、私は教会に、シエロの彫像じゃなく、私の彫像を持っていきました。
私はこの手紙を書いて、あなたの部屋に置いて、その後、中庭で自殺します。
勘違いしないで欲しいんだけど、私はそもそも、あなたの彫像を彫った後、しばらくすれば殺処分される運命にありました。なので、シエロが何か責任を感じる必要は全くないからね。
私は、どうせ失う命なら、あなたのために使いたかった。それだけです。
多分、教会の人間は、暫くは私の死体をシエロの死体だと思うことでしょう。
だから、シエロはその間に、城からできるだけ遠くへ逃げて下さい。
安心して下さい。シエロの彫像はあの後綺麗に砕いておいたので、ずっと騙し続けることは出来ないと思うけど、追っ手がかかる心配は、少なくともしばらくはないはず。
だからシエロ、あなたはその間に、今の研究を完成させてください。
シエロが最近〈異世界転生〉の魔法を研究していたの、知ってたよ。その魔法を協会は認めず、なかなか思うように研究させてもらえてないってことも。
シエロ、あなたは、その魔法を完成させて、どこかこの世界とは違う世界で、きっと、
幸せになってね。
私は、短い間だったけど、あなたといられて幸せでした。
ただの道具として扱われるだけの人生のはずだった。
私はそのことに目を瞑って、空元気に振舞ってた。どうせ死ぬなら、大魔導士にだって気を使う必要はないと思ってさ。……だけどあなたは、そんな私の失礼な態度にも、いやいやだったとしても付き合ってくれて、本当に嬉しかった。
私は、あなたのことが、大好きです。
* * *
彼女の手紙を読んで、私は帚にまたがって即座に城を出た。
彼女の死を、無駄にするわけにはいかない。
私は今研究している魔法、異世界への転生魔法を完成させ、この世界ではないどこか違う世界で、幸せになる。
そうすることが、唯一、彼女に報いるための方法なのだから——。
音を置き去りにする速さで帚を飛ばしながら、私はそう強く考え続けた。
しかし、どうしても、溢れる涙を止めることはできなかった。
それから半年程で、シャルの死体は大魔導士のものではなく、消えた彫刻師のものだと明らかになった。シャルを拉致した人物が辛うじてシャルの顔を覚えていたのだそうだ。
だが、私は森の中、草を編んだものを紙代わりに研究を続け、その頃には、魔法を完成させていた。
そうして、私はその魔法で、異世界へとわたった。
二度と同じ過ちを繰り返さないと、心に誓って——。
* * *
俺の吹き出したコーヒーを拭き取りながら、総曲輪は言葉を続けた。
「ソードさんは私を本物の大魔導士シエロだと知れば、今度は私の元に来るでしょう。それも、ある種の憧れ、そして、畏敬の念すらもって。彼女は、私のいうことなら何だってきくでしょうね。それこそ、あの男が今まさにそうしているように。
……本当は私も、あの男のことをとやかく言える立場ではないのです。ソードさんから向けられる『崇拝』というある意味では最高峰の好意を前に、私は正直、理性を保てる気がしません。
あなたの企画書にあった彼女の設定を見る限り、彼女の容姿、そして多分その真っ直ぐな性格も、私がかつて愛し、そして失った女性にそっくりなんです。私はソードさんに彼女の面影を重ねて、きっと愛してしまうでしょう。そしてソードさんにも、きっとそれを求める。大魔導士という立場を存分に利用して、ね。……私は向こうの世界で、この性癖のせいで一人の女性の人生を壊してしまった——。私は決して、もう二度と、この感情を、誰かに向けてはならないのです」
……だから、私じゃだめなんですよ。
最後のコーヒーの雫を拭き取って、彼女は俺に目を向けた。
「ですから、シエロ先生。ソードさんのこと、よろしくお願いします」
俺に真っ直ぐに向けられたその瞳には、普段は超然として感情を決して表に出さない彼女が初めて見せた、やるせなさという名の、諦念にも似た感情が、わずかに見て取れた。
きっと彼女には、まだほんの浅い関係でしかない俺などには推し量ることの出来ない葛藤と逡巡があったはずだ。本当なら自分自身の手で、彼女を救いたいに決まっている。だが、彼女はそれを、他ならぬソードのために投げ打って、俺にこうして頭を下げているのだ。
そんな彼女の頼みを無下にできる程の克己心を、生憎俺は持ち合わせていない。
それに——
「いやあ、まいった。こんな美人に頼まれたとあっちゃ、断るのは野暮ってもんですね」
彼女の頼みがあろうとなかろうと、あの小説を書き始めた時から俺は、他ならぬ俺の手で、
「わかりました。俺が、彼女を取り戻します」
彼女を取り戻すと決めていたのだから。
そんな俺の言葉に総曲輪は、まだ憂いの宿る目元を優しく緩めて、「もう、ほんとに、不器用な人ですね」と、にこりと微笑んでみせた。
ああ、この人も、大概不器用な人だ。
だとしたらそんな人に憧れた俺も、なるほど不器用なのだろう。




