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女騎士さんを取り戻してください!

「それで……さっきの話ですが……」


 俺がそう口を開くと、


「さて、どこから話しましょうか」


 そういって彼女は、淹れたてのブレンド珈琲で舌を湿らせる。

 そんな彼女の所作はやはり全てが超然としており、そして堂に入っている。

 目は少したれ目気味だが、鼻筋はすっと通っており口元はいつでもきりりと結ばれていて、その全てが、計り知れない叡智をたたえている感じがする。

 首元までで綺麗に切りそろえた茶髪を耳にかけ、黒い縁のついたメガネをかけるその様子も、どこからどうみてもこの世界の編集者のそれであり、今は白いシャツに黒のエプロンをしているのでどちらかといえばバリスタ然としているが、どちらにせよ、元々はこの世界の住人ではなかったなどと言われても、とてもピンとはこない。

 ……しかし、その口からはたやすく、当然のように、


「まず、私は十年程前まで……つまりこの世界に自ら転移してくるまで、元いた世界で〈大魔道師シエロ〉としてその名を馳せていました」


 異世界人であることを意味する言葉が発せられるのだった。


 * * *


 俺はあの後、つまり総曲輪が自らこそ本物の大魔道師シエロであると宣言した後、電話でなく実際に会って伝えたいという総曲輪の要望で、タクシーに乗り込み彼女指定の喫茶店へと向かった。

 総曲輪の指定した住所は練馬某所であり、ビル街の中にひっそりと佇むその喫茶店へタクシーが到着した頃には、宵も深まり午前二時。

 ――だというのに、その喫茶店のドアにはしっかりと、”OPEN”と書かれた板がかけられていた。

 広義には打ち合わせと言って差し支えないので魚津書房の名前で領収証を書いてもらってよいと仰せだったからそうしたのだが、これからきかされるであろうことを思うとなんとなく後ろめたい気持ちになった。

 少なくとも、まともな打ち合わせではないことは確かなのだから。

 考えても仕方ないので、ひとまず喫茶店のドアを押し開けて中へと入ると、店の奥に彼女の姿を認めた。いや、店の奥というか、彼女はカウンターの向こう側にいた。そして、


「遅くにわざわざ来てもらってすみません。とりあえず、表の看板ひっくり返してきてもらえますか?」


 彼女はそんなことを言った。まるで、この店のオーナーのような口ぶりだ。

 しかし、


「勝手にそんなことして大丈夫なんですか?」


 と問う俺に、彼女は、


「私の店なので、特に問題ないかと思いますが」


 と事も無げに言ったのだ――。


 * * *


 ――とまれ、そんな経緯をもって俺は今、カウンター越しに彼女と相対して、彼女の話をきいている。


「私は幼少の頃から魔術の才に長け、十歳の頃には世界一と言われた魔術学院を首席で卒業し、その後二十歳を迎えるまでに、その世界の魔術という魔術を会得・改良、さらには新たな魔術の発見・確立にまで成功した、まあ、言ってみれば魔術の天才だったのです。そうして私は神童ともてはやされ――いえ、むしろ神格化されていたと言っても過言ではないでしょう。ともかく、二十歳を過ぎる頃には、押しも押されぬ大魔道師となったのです」


「そっちの世界の事情なんて分かるはずもないですが、とりあえずすごいってことだけはわかりました」


「しかし、大魔道師となったからといって、私のやることは変わりません。私は魔道を愛し、魔道を極めることを人生の目的として掲げていましたから、より一層魔の道を邁進しました。しかし、そんなある日、気付いたのです。

 この道には終わりがないのだ、と。そして、私がこの道をどれだけ進もうが、いずれは誰もが追い付き、追い越し、そして、その先を見ることになる。結局は早いか遅いかの違いで、私がどれだけ時代を切り開こうとも、仮にその道が私がいなければ切り開けなかった道であったとしても、私がいなくなったあと、その先を見る者が現れる――それが私には、どうしても耐えられなかったのです」


 それはまた……なんというか……


「極端な考え方、ですね」


「そうかもしれませんね――。ですが、少なくともその時の私は、本気でそう思ったのですよ。……そして、こう思い至りました。『そうだ、異世界に行こう』と」


「ちょっとちょっと、待ちましょう」


 思わずストップをかける。


「おや。なんです?」


「今の、繋がってました? なんか飛ばしてませんか?」


「む。脈絡がなかったですか? そこはうまく私の感情の機微を読み取って欲しいのですが」


「それはちょっと、受け手のリテラシーに頼りすぎだと思います」


「まったく、そういうところはしっかり成長してますねえ……。お姉さんも嬉しいような寂しいような」


 感慨深いですねえ、と珈琲を口にやって、彼女は


「つまり、飽きたんですよ。あの世界に」


 そう言い切った。


「飽きた……ですか」


「まあ、有り体に言えば、そうなりますかね。急につまらなくなっちゃったんですよ。全てが私のしったる事柄で構成されたあの世界が。だから、どこか別の世界へ行ってしまおうかな、と」


「……滅茶苦茶言ってますね」


「そうですか? どこか別の世界へ生まれ変わりたい、とか、普通に思いません?」


「叶わないと分かっているから願うんですよ。実際に実現できるとして、それを実行する人なんて、ほんの一握りだと思います」


「どうですかねえ……。とまあ、この議論にも興味をそそられますが、今は置きましょうか。とにかく、そうして私は、この世界に自らを召喚したというわけです」


「そういえば、ソードは大魔道師を探す任に就いていたと言ってましたが、そもそもどうして探し人である大魔道師の顔を知らなかったんでしょう。俺と総曲輪さんを同一人物と間違えるなんて、どう考えても顔を知らないとしか思えないんですが」


「それはですね、先程も少し触れましたが、あの世界では、大魔道師はある種神格化されるんです。そして同時に、偶像崇拝が禁止されてもいました。……つまり、私はおいそれと人前に顔を出すこともできなければ、人々は私を絵に描くことも像を彫ることもできなかったのです。性別すら伏せられていました。もちろん私が大魔道師になる前に私の顔を見た者もいましたが……ときに、ソードさんはお幾つなのですか?」


「ちゃんと聞いたわけじゃないですけど、多分二十歳そこそこだと思います」


「では、ソードさんはその中には入っていないのでしょうね。私がこの世界にきたのはもう十年程前です。その頃彼女はまだ十歳そこそこだったわけですから、私の顔など知っているはずがないでしょう」


「そんな奴に人探しを任せるなよ……」


 呟く俺に、彼女は小さなため息とともに答えた。


「まあ、彼女がその任に就くころには私を探し出すなどもうほとんど望み無しとされる仕事だったでしょうから、言ってしまえば、窓際部署だったんじゃないですかね、騎士団の中でも。与える仕事の無い騎士を、名目上配置する閑職だったのでしょう」


「な、なるほど……そういえば召喚した日、ようやくあの騎士団から合法的に逃げ出せたとかなんとかって言ってたかも……。少なくとも騎士団の中でうまくやっていけてなかったのは事実かもですね」


「まあ、彼女の過去については今考えても仕方ないでしょう。ともかく、私は自分をこの世界に召喚したわけですが……その召喚先までは、さしもの私も指定できなかったのですよ」


「お、つまり……?」


「私が召喚されたのは、ある古書店でした。そしてそこに居合わせたのが、当時その店の店長だった男と、その大甥でした。そしてその大甥というのが――」


 俺は瞬間的に、そのことを察した。つまり、その大甥は、


白之絵巻しろのえまき――ですか」


 その言葉に、総曲輪は「その通りです」と小さく首肯した。


「その日から私はその店でバイトをしつつこの世界の本を読み耽りながらこの世界のことを知ることにしました。そして私はいつしかこの世界の物語、とりわけファンタジーに心酔し、自分で小説を書くまでになり、デビューし、バイトを辞めました。しかし、それまでの間、私は並木秀介なみきしゅうすけ――つまり白之絵巻に、私の元いた世界のことを語り、そして私のこともある程度語っていました。そして彼は後に私の小説を読み、さらには先生の小説を読んで(・・・・・・・・・)、憧れを抱き、同じくファンタジー作家を志し、私から聞いた向こうの世界のことをネタにして、ファンタジーノベル作家となったのです――」


 そして総曲輪は、一度深呼吸をして、こう続けたのだった。


「先生、お願いします。近く開催が告知される、ファンタジーノベル作家が短編小説を寄稿して競い合う企画で、白之絵巻を下してください」


「は……?」


 俺はその言葉に、ただただ困惑することしかできなかった。

 しかし、総曲輪の言葉はさらに続いた。その言葉に今度こそ俺の思考は、混迷を極めることとなった。


「そしてどうか先生は、このまま大魔道師シエロのふりをして、女騎士ソードさんを取り戻してください――!」

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