本物は
ソードは、白之絵巻——つまり大魔導士シエロに連れられていった。……いや、自らの意思で、ついていった。それを俺は何も言えず見送って、あえかとともに帰路についた。
家につくなり、俺は寝室のベッドに背中から倒れこんだ。そして、薄暗い部屋の中、しかしそれでも異様な存在感を放つ、魔法陣を見つめた。
女騎士と初めてあった日のことを、そしてそれから今日までのことを、思い返していた。
思えば、いろいろなことを指摘され、そして質問もした。さんざん、彼女を利用した。そして今日、その彼女を失い、俺は彼女の知識を恃むことができなくなった。言ってしまえば、それだけだ。確かに彼女の知識を失ったことは痛手だが、なんのことはない、彼女が現れる前の生活に戻った、ただそれだけの話。それに対して、過度に落胆するつもりはない。その資格もない。それはもともと、あるはずのないものだったのだから。
……だが、今俺の中に渦巻くのは、彼女の知識を失ったことを惜しむ気持ちではない。
あえかは別れ際、『よかったんですか、止めなくて』と一言だけ訊いた。俺はそれに『ああ』と呟くことしかできなかった。
よかったわけがない――。
本当は、止めたくて止めたくて、仕方がなかった。泣きついてでも、縋り付いてでも、止めたいと思った。
だが、俺が、なんと言って止めればいいというのだ? 彼女を勝手に召喚し、騙して、あまつさえ自分の作品のために利用さえしていた俺に、彼女を止める権利などあるわけがない。
(渡せなかったなぁ……)
俺は、今日密かに購入していた、小さなブルートパーズをあしらったネックレスの入った箱を見る。今日の別れ際、彼女に渡そうと思っていたのだ。そして、こう言おうと思っていた。
『これを着けて出かけた時は、お前がパフェを食べたいという意思表示だってことにしよう。そしたらその日は、好きなだけパフェを食べさせてやる』
我ながらよくわからない。が、なんとなく、彼女なら喜んでくれる気がしていた。どんな反応をしただろうと想像を巡らせる。しかしそんな反応を見る機会も、金輪際やってこないのだと思うと、思考を中断せざるを得ない。そんなの、虚しすぎる。
……いや、そんなことはない。
しばらくベッドに仰向けになり続け、俺は一つ、覚悟を決めた。
リビングに移動し、PCの電源ボタンを押す。スリープモードで待機させているので、一瞬で立ち上がる。
すると、思いがけず、メモ帳が開かれていることに気づく。そこには、こう書いてあった。
『導師、いつも遅くまで執筆お疲れ様です。
昨日はデートへのお誘いありがとうございました。
私に不自由をさせまいと、そのためには私に理解者が必要だと、そういった導師の心遣いに、感謝の念が絶えません。そしてそれは今回のことに限らず、この一週間で、私は導師が、どうしようもなくお人よしな、お優しい方であると確信しました。
私は、そんな導師の元に召喚されて、幸せです。
不束者ではありますが、これからもどうか、よろしくお願いいたします。』
俺はそれを読みながら、気づけば目から一雫、涙が頬を伝っていた。
(ごめんな……騙してて、ごめん……。裏切って、利用して、ごめん……。あんな顔をさせて、ごめん……)
俺には、彼女を想って泣く資格などないのに。だが、そう思えば思うほど、涙が止まることはなかった。
涙を流しながら、俺は、Wordを立ち上げる。
この一週間、俺は彼女に数々の指摘を受けて、様々な質問に答えてもらった。そしてそれらをベースに、ファンタジー小説の企画書を書こうとしていた。
しかし、そんな監修作業の半ばで、彼女との生活は終わりを迎えた。
彼女とこの先続くはずだった生活はもう、二度と戻っては来ない。
……で、あるならば。
涙を拭い、キーボードを叩く。
俺は、小説家だ。現実でだめなら、書いてしまえばいい――。
これまでの、そして、この先訪れるはずだった女騎士との生活を、書く。次回作もハイファンタジーを予定していたが、やめだ。毛色を変えたいと思っていたのは本当だし、ジャンルを多少変更するくらい、総曲輪さんだって許してくれる。……かは分からないが、とにかく、俺は今、この物語を書きたい。
タイトルは、決まっている。
俺はファイル名に、そのタイトルを打ち込む。タイトルは、こうだ。
【女騎士が俺のファンタジー小説を監修してくれるらしい。】
* * *
俺はバイトを一週間休んで、ひたすら企画書を書いた。その間、ほとんど寝ていない。そして、6日目の朝、ようやく出来上がった企画書を総曲輪庵へと送ったと恐らくは同時、力つきるようにして寝た。
起きた時には、7日目の深夜になっていた。
そして、メールBoxを確認すると、早くも総曲輪から返信が来ていた。彼女からの返信を確認するという行為に対してイップスになりかけている俺は、目を瞑りながらそのメールを開いて、そして恐る恐る目を開けつつ、その内容を確認した。しかし、その内容は、たったこれだけだった。
【本文】
多分寝てますよね。起きたら電話ください。何時でもかまいません。話したいことがあります。
(電話……? 珍しいな……)
元作家らしくというべきか、総曲輪庵は基本、テキストベースでのやり取りを好む。そんな彼女が自ら口頭でのやりとりを望むなど、初めてのことではないだろうか。そして携帯を見れば、総曲輪から、10回もの不在着信が入っていた。軽くホラーだ。
あまりにもひどすぎて、直接口でボツを食らわさなければ気が済まないとか、そんな感じだろうか……と、不安が胸に募る。
いや、だが、果たしてそんなことを総曲輪がするだろうか? 彼女はいつも冷静で、超然としていて、感情など滅多に表に出さない人物だ。そんな彼女が、俺の企画書がダメダメだったくらいで、ここまでのことをするとは思えない。
(……考えても仕方ないか)
ひとまず、電話をかけよう。発信ボタンを押す。すると、『遅いです』なんとワンコールを待たずして繋がった。
『す、すみません……完全に寝てしまってました……』
『こちらは電話を前にひたすら待機でしたが』
『す、すみません……それで……』
何の用ですか、とこわごわ尋ねる。すると総曲輪は、あらぬことを口にした。
『ソードさんはそこにいるんですか?』
『……は?』
総曲輪は小さくため息をついて、
『あの企画書、実体験ですね?』
『え、えっと……』
なにを言っているのだ、この女は。
『本来であれば、適当に描いた魔法陣で召喚など、馬鹿げていると切り捨てるところですが……最近、本当にこの世界から魔力が消えてしまいましたからね……信じるしかないでしょう』
『な、なにを言って……』
俺の心臓が、急激に早鐘をうちはじめる。
(なんだ、どういうことだ、どうして総曲輪は、俺の企画書を実体験だと言い当てられた? 魔力が世界から消えた? どうしてそんなことがわかる? この世界に召喚されたのは、女騎士と大魔導士だけのはず。女騎士にも大魔導士にも、既に会っている。であるならば、総曲輪は一体、何者だというのか……?)
『ソードさんはどこですか?』
『い、今は、本物の大魔導士のところに……』
なぜか事情に通じている様子の彼女に、俺は思わずそう返す。すると彼女はしばし沈黙し、今度は大きめのため息とともに『そういうことですか……』と言って、こう続けた。
『あのですね、本物の大魔導士〈シエロ〉は』
私です、と——