作家たちの独白。そして、ある日の監修風景
「すごい……」
憧れのあの人の作品を読んで、いつの間にか声を漏らしていた。
「すごい……っ。本当に……すごいなあ……」
いつからだろう、あの人と、あの人の作品に心から魅せられてしまったのは。
いつからだろう、自分だけの物語書くことができなくなっていたのは。
壇上でスピーチを行う、憧れの人を見る。
その人の視線は、自分ではない誰かに注がれていた。
あの人の隣に並ぶには、ただあの人を追いかけるだけでは足りなかった。
憧れの人。その視線の向く先に立つのは、もう一人の憧れの人。
最初は、ただの憧れだった。ただ、あの人たちのようにと……。
(そうだ。ただ最初は、あの人たちのようにどこまでも自由に、自分だけの世界を――)
* * *
あの二人が競い合う中で刺激しあい、失ったものを取り戻しつつ急成長していく姿を間近で見続けて、本当に久しぶりに、こう感じた。
熱い――。
こんな感情を胸に宿したのは、本当にいつ以前だろう。
いや、もしかしたら、はじめてのことかもしれない。
これまでは、いつだって一人で一番前を走ってきたから。
そして、いずれ自分が抜かされると分かった途端、すぐにその競争から降りてきたから。
だけど今、自ら消したはずの心の火が再び、熾火のようにぱちぱちと燃え始めるのを感じた。
(そうだ、私だって、もう一度――)
* * *
「なんだよこれ……」
付箋の貼ってある箇所に書かれたメモを見て、思わず噴き出してしまう。
そして同時に、「早く書きたい」と思わせてくれる。
……全てを失い、何を信じて書けばいいのか分からなくなっていた。
何が正しくて、何が間違っているのか。
何を求められていて、何が求められていないのか。
そんなことばかり、考えていた。
だけど――
ある人が、俺をもう一度奮い立たせてくれた。
ある人が、俺のために叱咤し続けてくれた。
それに、
(やっぱり、あいつのいた世界は面白いな……)
ある人との出会いが、もう一度俺に、大切なことを思い出させてくれた。
俺が、いつの間にか見失っていたものを。
物語を書くときに、最も大切にしなければならない気持ちを。
(こんな簡単なことを、どうして忘れてしまっていたんだろう――)
* * *
ある者は、自分だけの物語を書けなくなっていた。
ある者は、自分が物語書く必要なんてもう無いと思っていた。
ある者は、自分が持つ最も尊い才能を見失ってしまっていた。
――これは、一度は進むべき道を見失ってしまったそんな作家たちが、もう一度その道を、自らの足で見つけ出すまでの物語。
* * *
「こうしたら、もっとよくなりますよ――」
甘い吐息とともに、そう耳打ちされる。
俺は薄暗闇の中、妙齢の女性に手ほどきを受けていた。月明かりとPCのバックライトが、ぼんやりと彼女の横顔を照らしている。表情はいつでも凛としていて、純真さと強かさを湛えたまっすぐな目を持つ藍色の髪の女性。その美しさは、まるでこの世のものとは思えないほどで……って、まあ、実際、この世のものではないんだけど。
「こ、こうか……?」
恐るおそる、彼女の言葉通りに手を這わせる。
すると彼女はビクンと体を震わせ、大きく体をのけぞらせる。
「んっ……そうです……よくなってきましたね……。では……ソコはもっと大胆に……」
控えめだが形のいい胸が強調され、意識をもっていかれそうになる。しかし俺は、彼女をもっと悦ばせなければいけないのだ。集中力は切らさない。手ほどきを受ける立場とは言え、俺だってそれなりに技術は磨いてきた。彼女を悦ばせる方法は、身体が覚えている。
「これで、どうだ――!」
彼女の言葉通り、いやそれ以上に俺は思い切って、彼女の指示した場所よりさらに奥に手を入れる。
「ああっ――! そ、そんなことまで――っ!? でも、悪くない……」
やられっぱなしは性に合わない。
どうやら彼女も、この動きは予想できなかったらしい。体を弾むように何度も上下させながら、彼女は俺の指先に恍惚とした表情を向ける。
「ふふ……やはりセンセイは、なかなかのテクニシャンですね……」
「これでも、テクニックだけはプロ級なんで」
俺はどうだとばかりに五本の指を器用に動かして見せる。しかし、
(――!?)
彼女は「ですが……」とその身体をぐいっと寄せてくる。
俺の手を包み込むようにして、その手を彼女の思うさま動かしていく。
触れ合う手を通じて、火照ったその身体の熱が伝わってくる。
そして彼女が俺の手を動かすたび、
(う、ああっ……! あああっ!)
そこには、もはやこの世のものとは思えないほどのエポックメイキングとも言える悦び、快感という名のファンタジーが、次々と生まれていった。
「ほら。ここは、こうしたほうがもっと――ね?」
彼女のその言葉に、俺は「うぐう」と情けない声を上げ、しかし堪えきれずどうしてもかたくしてしまう。
(ちくしょう――こんな女の子に――)
彼女に才能を見出し、自分から手ほどきをお願いしたものの、いざその『違い』を見せつけられると、これほどまでに屈辱的な気持ちになるとは。
「ああもう、情けない……こんなにして。……私が、きれいにして差し上げますね?」
しかし、認めなければならないだろう。
彼女は俺よりも一枚も二枚も上手だ。
「ほら、どうですか? ここも、こうして……」
(すごい……)
俺はもう、声を出すこともできない。
そう、彼女は、俺なんかよりも遥かに、
「こうすれば、よりリアリティあるファンタジーになるでしょう?」
ファンタジーを描くセンスに溢れている――。
* * *
俺は彼女がバランスボールに乗りつつ(そのせいで途中変な声も上げつつ)手直ししてくれた設定資料を見直し、感嘆のため息とともに口を開く。
「はあ……やっぱり、実際に見てきたのと想像とじゃあ、リアルさが違うなあ……。『動いてる』って感じがするっていうか。俺じゃあどうしても、かたい設定に寄せちゃうんだよな……」
作法や文法に多少の粗はあれど、それでも彼女の紡いだ文章は、現実にはあり得ないその世界がまるで本当に実在するかのような匂いを感じさせる、ファンタジー小説に最も必要な要素を間違いなく満たしていた。
そしてそれはくしくも、デビュー当時の俺が持っていて、今は失ってしまった感覚そのものだった。どうして彼女は、そんな稀有な才能を持ちえたのか。
それは――
彼女はバランスボールから降りると、
「私はただ、見てきたものをそのままお伝えしているだけなので」
そう言って、部屋の片隅に目を向けた。
そこには、中世の騎士が身に着けるような、立派な鎧があった。
到底この時代にはそぐわない、幾度もの苦難と戦いを乗り越えてきたのであろうことを伺わせる、深い爪痕までついている。鉄の鎧に深い爪痕だ。あんなことができる野生の獣など、果たしてこの世界にいるだろうか。いや、いないだろう。では、あの傷は何なのか? それは、彼女の持つ稀有な感性の正体に繋がる。答えは簡単だ。
……そう、彼女が類まれなファンタジーのセンスを持つ、その理由。
それは彼女が、異世界から来た〈女騎士〉であるからに他ならない。
何のことはない、彼女は、本物を知っているのだ。