6 心を冷やす雨
おっさんが勤務時間を過ぎても帰って来なかった。最近のおっさんは気落ちしてしまっていて、姿を見せない時間が増えていた。俺も同僚達も心配していたが、今はそっとしておいた方がいいと判断した。その日も気晴らしにどこかへ行っているのかもしれないと思い、特に気にせず帰った。
しかし次の日の昼を過ぎても帰って来ないことをさすがに不審に思った。同僚達と共に都市外を探し回ったが、手掛かりは全くつかめない。住民に聞いて回ってもおっさんについての情報は得られず、むしろ都市外の悪い噂を耳にした。
最近、都市外の住人が突然姿を消している、と。
雨が降っていた。曇天から滴る大量の水。滅多に起きないこの現象に喜々とした気分になるべきだが、今は視界を阻むものにしかなり得ない。身体に叩きつける雨の冷たさが、徐々に体温を奪っていく。
都市外の人間が死ぬと、遺体は都市へと送られる。都市の人間の遺体と同じように、研究に用いられ処分されると聞いている。だが、今回の話はこのこととは関係がないようだ。
生きているはずの人間が何人も消えているというのだから。都市外では度々行方不明者がでることはあったが、こんなにも多くの人が数日の間にいなくなるなんて異常としか思えない。この荒廃した地のどこに、彼らの行き着くところがあるのだろうか。
おっさんの疲れた表情が頭に浮かぶ。ちゃんと話を聞いておくべきだった。
きっと、このことを住人達に相談されていたのであろう。何かの事件に巻き込まれたのかもしれない。自分のコミュニケーション能力の低さにこんなにも憤りを感じたのは初めてだ。
情報を整理するために一度研究所に戻る。同僚達の身体は冷えきって、皆青白い顔をしている。ここにいる誰にとっても、おっさんは家族のような存在なのだろう。大黒柱がなくなったようなこの空間は居心地が悪い。
窓から空を見る。雨の勢いは収まらず、灰色の雲が光の侵入を絶対的に阻んでいる。あまりに重厚なその雲は永遠に消え去ることがない気がして。自分も含めたここにいる全ての人達の感情が映し出されている気がした。
「おっさんと最後に会ったのは誰だよ」
静かな空間を切り裂くように、男の声が響いた。怒りを含んだその声に、誰もが俯いていた頭を上げる。言葉を発した張本人だけは俯いたまま、組んだ両腕に力を込めている。
「お前じゃないのか」
彼が睨んだ先にいるのは俺だ。「カイ」という名を持つこの研究所一のムードメーカー。普段怒ることなんて滅多にないカイの憤りは、全て俺に向けられている。
脳を働かせて、記憶を辿る。カイのいう通りかもしれない。一昨日の夜、俺は最後に研究所を出て、おっさんと小言を交わした。
「多分そう」
カイが勢いよく立ち上がり、椅子が大きな音をたてて倒れる。
「なんでおっさんの様子に気づかなかったんだよ」
「よせ、シキのせいじゃないだろ」
同僚たちはカイを諫めようとするが、彼の怒りは静まりそうにない。俺の目の前まで来たカイの腕が、俺の胸倉を掴む。
「普段からお前が一番、おっさんに構われていただろ。お前が俺達に壁を作るから。お前が俺達を信用しようとしないから。それなのになんでだよ。意味わかんねえ」
胸元にあったカイの手の力が段々と弱まり、だらんと落ちた。
その後黙り込んでしまったカイは、静かに部屋から出て行った。力強く閉められるかと思われた扉は、隙間を残したまま静止している。
扉を完全に閉めた同僚が、こっちを振り返る。
「悪いなシキ。あいつも本気でそう思っている訳ではないんだ」
「いや、俺が悪い」
カイの言っていたことは、恐らく本心だ。なるべく壁を作らないように努力はしようとは思っていたのだが、隠し切れない本質を見破られてしまっていたのかもしれない。
「お前もカイも悪くないさ。皆動揺してしまっているんだ。こんな事は初めてだからな。
でもなシキ。俺もカイの想いには一理ある。もっと俺達のこと、頼ってくれていいんだぞ。」
その言葉になんて返したのかは覚えていない。「わかった」だった気がするし、そもそも何も返していないかもしれない。
よく考えてみれば、俺は誰にも頼ってこなかったのだと気づく。研究で行き詰った時も、仕事で徹夜になりそうな時も誰かに助けを求めたりはしなかった。
頭のほんの片隅にも、誰かに手を借りるという考えがなかった。そんな俺のことを心配してくれていた人達の気持ちに、気づく事もできなかった。
とりあえず、アスタロトの研究省本部に連絡をとることにした。都市外の事件に都市が関与することはないが、おっさんは都市の人間だ。都市の人間に対しては、絶対的な優しさを与えてくれる場所であるアスタロト。きっと何かしらの手を打ってくれるだろうと期待していた。
しかし、その想いは無残にも打ち砕かれる。
おっさんはアスタロトの人間ではなかった。