第78話 本当の物語は一つだけ
「サクラ四百五十体、すべて数量が確認できましたので、もうすぐ通関が終了します。今日中にはトラックへ積み込みしますので、埼玉の検品センターには明日の午前着となります」
「了解しました。それでは引き続きお願いします」
亜紀はスチールの折りたたみ椅子から立ち上がり、軽く会釈をした。
「でも、サクラが戻ってきてくれて良かったですよ。一時はどうなることかと思って肝を冷やしました」
「いろいろとご迷惑をお掛けしまして申し訳ありません」
「いえいえ、とんでもありません。お役に立てて幸いです。もっとも、それまでの費用はいただきますけど」
あははと福井が笑う。
如何にも現場事務所と言った風情の建物の中に、スチール机が窮屈そうに並んでいた。
一瞬、めまいを起こしてよろめき、テーブルに手をついた。
「大丈夫ですか」
「ええ。すみません」
いったい何が起きていたのだろうか。混乱した思考を整える。
最初は税関検査でサクラが逃亡したという知らせだった。税関に状況を説明するため清水港へ来たんだ。
そのうちサクラが見つかって、数量を数え終えたというわけだ。
ちょっとしたトラブル。それだけの話だ。
さあ、東京へ戻ろう。やらなければならない仕事が山ほどある。
「それではこれで失礼します。後の処理は原という者に連絡してください」
「はい……」
福井の営業用の笑顔が曇り、哀しげな目を覗かせた。
「何か?」
「い、いえ……。何でもありません」
再び営業用の笑顔が戻り、ぺこりと頭を下げた。
福井に背を向け、事務所の薄汚れたドアを開ける。
「亜美」
背後から言葉を投げかけられ、たたきつけられるような衝撃を受けた。
外に足を踏み出したまま、振り返る。
福井が哀しげな顔を隠そうともせず、まっすぐ見つめている。
「私は……亜美じゃありません」
声がかすれていた。
世界がゆがんで見え、足下がふらつく。この感覚、どうしたの?
転げそうになりながら外へ出た。亜紀を追うように、福井も出てくる。
夕日の光景。小さな広場と二階建ての古びたコンクリートの建物。
福井。いや、悠紀夫がいた。
優しく抱きしめられる。それを自然に受け入れる。あたし。
あたしは亜美。
違う。あたしは亜紀。早坂亜紀よ。
東京で徹夜してもやりきれない仕事が待っているんだ。
早く行かないと。
悠紀夫の匂い。暖かな感触。
「亜美。行かないでくれ」
お母さん……、深川……、未来……、悠紀夫……、浅畑学園……、ネズミ……、サクラ……、由井……。様々な人や光景がめまぐるしく駆け巡っていく。
「ああ……どうなっているのよ」
「ごめんよ……。本当は抑えていようと思っていたんだ。でも、僕は君を愛している。僕は自分の気持ちに嘘はつけない」
福井の目から涙が溢れていた。
重なり合う二つのストーリー。
でも、本当の物語は一つだけ。