第71話 家康現る
石塔の扉が開く。ひんやりした空気が流出し、肌をなぞっていく。
真っ暗だった開口部から、わずかに金色を帯びた光が発せられたかと思うと急速に強くなっていく。
光の中からネコが現われた。
「サクラ?」
かわいらしい顔をした白黒ぶちのネコ。尾っぽに青いLEDを点灯させている。間違いなくサクラだ。次々と現われ、そこに回廊でもあるかのように、行列を作り、中空を歩いて行く。
十匹、二十匹、数え切れないほどのサクラが石塔から出てくる。たちまち境内の上空に、ネコの集団が形成されていった。
悠紀夫はその光景を唖然として眺めていた。
黄金の光が更に強くなる。まぶしくて見ていられない程だ。
サクラが何かを背負って出てきた。それ自体、強烈な光を放っている。
目が慣れて行くに従って、それが黄金に輝く輿であることがわかった。何匹ものネコに担がれながら、空へ上っていく。
大量のネコと黄金の輿がぽっかりと浮かんでいる。
――もう良い、面を上げい――
「なんと……」
天海が大きく目を見開き、ネコと黄金の輿を見上げた。唖然としたのか、口が半開きとなっていた。
輿の扉が横に開く。中から小太りの男が現われた。葵の紋をあしらった束帯姿だ。
「天海よ、驚いたか」
白髪交じりのひげの上にある、意志の強そうな目を、いたずらっ子のようにほころばせていた。
間違いない、徳川家康だ。
「御家来衆はどちらへ行かれましたか」
「いるわ。こやつらだ」
家康は大量のネコを見回す。しかし、家康の言葉に反応するネコはいない。耳をかいたり、隣のネコとじゃれたりしている。中には眠りこけているネコもいる。
「なんと……。井伊様や本多様はどうなされたのでしょうか」
「あやつらも充分働いてくれたからのお、もう暇をくれてやったのじゃ」
「恐縮にございますが、そのようでは権現様の警固が手薄になるかと」
「確かにな。しかし考えてみろ、儂がこの世を去ってから四百年を超えているのじゃ。いくら江戸幕府が平和を保っていたとは言え、今更儂の出番でもなかろう。
このまま歴史の古層に埋もれていっても良いかと思い、家来全員暇を出したのじゃ。
ただ、儂一人なのもちと寂しい。そこで左甚五郎にネコを作らせたのじゃ。どうだ。日光の眠り猫とそっくりじゃろう」
「仰せの通りで」
「天海、本来ならお前にも暇を出さなければならなかったのだが、一つ解決しなければならないことがあった。それがお前らの件だ」
家康は悠紀夫たちを見て、ニヤリと笑いかけた。
「この世界に生じたゆがみは是正されなくてはならない。あのときは、お前がそのうちなびくことを期待して情けをかけてやったが、もう待ち切れん。
ひと思いにお前らを切り捨てれば簡単だが、消えゆく者が若人の未来を潰すのも忍びない。そこで仕掛けを施したと言うわけだ」
「なんと……。由井の出現も、権現様がお仕組みされたと」
「如何にも」
「権現様の御深慮を斟酌せず、恐縮至極に存じます」
天海が再び平伏する。
「よいよい。お前も気が短いからの、ヘタに教えれば、こいつを斬って仕舞いにしかねん。
しかし由井の奴め、久々に生を受けたせいか、少々暴れる度合いが過ぎたな。儂の計らいが台無しとなってしもうたわ」
――嘘をつけ、私がお前の傀儡とでも言うのか――
ネズミとなった由井が不満の声を上げる。
「お前も昔から愚かであったが、今も変わらぬな。慶安の変同様、すべて儂の手の手のひらあるのに気づかぬとは。
悠紀夫よ、このゆがみを正すことが出来るのは儂でも天海でもない。お前だけだ。心してかかれ」
「でも権現様、どのようにすればこの混乱を沈められるのですか」
「お前には霊性があるではないか。すべては心の内にある霊性が道を指し示してくれる」
家康は黄金に輝く輿に乗り込んだ。扉が閉まり、輿を担いだ猫たちが、めんどくさそうに立ち上がる。
家康と猫の行列が動き出し、石塔の中へ戻っていった。
突然時が戻ってきたかのように、ネズミの鳴き声がけたたましく響き始めた。