第7話 清水港へ行く
朝の渋滞から抜けだすと、東名高速はあっけないほど空いていた。亜紀は赤いレクサスLSを西に走らせていた。アクセルを思い切り踏みつけたい誘惑に駆られながらも、時速百キロを保つ。
新たなトラブルが伝えられたのは昨日の午前だった。清水港揚げのサクラが逃げ出したというのだ。
おかげで今日の午後には埼玉の物流センターで検品を終え、配送する予定だったのが、コンテナはまだヤードに残ったままだ。しかも、輸入許可を取るには、まず逃げ出したサクラを捕まえてこなければならないという。
カーナビが次のインターチェンジで降りろと指示をした。分岐点を左にそれ、料金所をくぐる。
国道に出て、カーナビの指示通りしばらく走りると、倉庫が建ち並ぶ埠頭内に入った。
比較的新しい倉庫が建ち並ぶ中、一棟古ぼけた倉庫が目に入ってきた。カーナビは目的地がそこだと告げていた。レクサスを止め、事務所へ入っていった。
小さな事務所だった。コンクリートの床で、入り口にスチールのテーブルと折りたたみのいすが置いてある。奥の机には乱雑に書類が積み上げられており、何人かの従業員が働いている。この中で一番奥にいた男が立ち上がり、近づいてきた。
「サクラエンタープライズの早坂と申します」
「これは遠方より御足労いただきまして恐縮です。私、辻倉庫の栗原と申します」
大きくお辞儀をして名刺を差し出した。亜紀も名刺を差し出す。
「えっ、社長がいらっしゃったんですか」
驚く顔の栗原に、優越感と、どうせ末端の社員ぐらいにしか思っていなかったんだろうという苛立ちが混じり合う。
「本来は物流課の相川という者が担当しておりますが、所用で来ることができず、私が参りました」
「そうなんですか。ご苦労様です」
所用と言うよりも、進退の問題だった。大城が退職届け出を出した直後、数人の社員が同調して退職届け出を提出した。その中に相川がいた。
彼らはそのまま有給届け出を出し、今日は出社していない。新たな人材を探さなければならないが、すぐに現われるはずもない。当面はすべて亜紀が兼任する以外なかった。おかげで昨日から会社に泊まり込み、ほとんど寝ていなかった。
しかも、こんなトラブルだ。
「こんなにむさ苦しい場所で申し訳ありません。どうぞ」
栗原は折りたたみ椅子を勧められて座った。年配の女性が立ち上がり、薄い色のお茶を持ってきた。
「早速ですが、現在の状況を教えていただけますか」
「はい。逃げ出したサクラの数はまだ判明しておりません。本来はコンテナから貨物をデバンして数量を確認しなければならないのですが、ヘタに開けると他のサクラが逃げ出すかもしれませんので、とりあえず扉を閉めて、コンテナヤードへ戻している状態です」
「メーカーとも話したのですが、そもそも製造段階でバッテリーを繋げていないので、動くと言うことはあり得ないのです。まずは一体でも捕まえて、内部の状態を調べなければなりません」
「担当している福井という者が昨日からサクラを追いかけております。でも、すばしっこいようで、なかなか捕まらないのです。今日も朝から探しに出かけているのですが……」
不意にドアが開き、若い男が入ってきた。荒い息をして、額から汗がにじみ出ていた。手に白黒の猫を抱えている。
「やっと一匹捕まえましたよ」
めまいがしたかと思った瞬間だった。世界が反転するような感覚を覚え、いつの間にか視界に天井が見えていた。
「大丈夫ですか」
声をかけられ、手のひらに冷たさを感じているのに気づく。視線を動かし、目の前に床が迫っているのを確認した。
亜紀は折りたたみ椅子から転げ落ちていた 痛むところはないか確かめながら、ゆっくりと体を起こした。心臓が激しく鼓動していた。何度か深呼吸しながら、動転した心を整えていく。
「申し訳ありません、昨日から寝ていないので、めまいを起こしたようです」
「それは大変です」
立ち上がり、手で払いながらスーツの皺を伸ばした。そのままネコを持った男に近づく。
「これは……。違います」
「え? 何がですか」
「これはサクラではありません。本物のネコですね」
「そうなんですか」
男はネコを持ち上げてまじまじと見た。「お前、本物なのか」
「ニャア」