第66話 亜美が斬られる
「由井よ。僕から立ち去れ」
悠紀夫は叫ぶ。
「それは出来ぬ。お主は私の力の泉源だ。むしろお主が私に取り込まれ、血肉となってもらわねばならぬ」
「だから僕たちを暗い場所に閉じ込めようとしているのか」
「そのとおり。私もかつてはお前と同じ力を有していた。だからこそ世界を変え、自ら将軍になろうと野望を抱いた。
まずは食い扶持をなくした浪人どもを集めて蜂起させる。私は久能山へ行き、権現を打ち倒す。そうなれば江戸幕府は解体し、世界は流動化する。民衆かうろたえている間に、由井幕府を打ち立て日本を平定させる予定だった。
しかし権現の力は思いの外強く、私は久能山へ行く手前で取り囲まれ、自刃するほかなくなってしまった。
だが、今は違う。権現の力はなきに等しい。現在世界を支配している民主主義とかいう思想は揺らぎまくっておる。だからこそ容易に世界を変えられるのだ」
「お前の自由にはさせない」
怒りが何かを突き動かす。
無意識のうちに右手を突き出す。
その先に、銀色の拳銃が現われた。
しかし由井は顔色一つ変えない。
引き金を引こうと身構えた時、フラッシュのように強力な光が拳銃から発せられた。
――何――
悠紀夫は予想外の出来事に身構え、自らの手を見つめた。
光が収まったとき、拳銃を持っていたはずの手に、日本刀が握られていた。
反り返った刃は優に六尺を超え、波打つような刃紋が鈍い輝きを放っていた。
「私を殺したいというお前の意志が拳銃を生み出した。無論、その感情は変えられないが、表出する物は変えることができる。今回、私に有利な武器とさせてもらった」
由井の手にもいつの間にか日本刀が握られていた。鯉口を切り、鞘を投げ捨てた。七尺近くありそうな刃が姿を現す。
「今度こそ冥府へ行ってもらう」
正眼の構えで悠紀夫を見据えた。
「なんだと……」
一切ぶれのない由井の刃先に対して、悠紀夫のそれは震えるように揺れている。腰も引け、戦わずとも由井の優位は明らかだった。
「いやぁぁっ」
裂帛の気合いと共に踏みだし、上段から悠紀夫に向かって振りかぶった。
とっさに刀を防御したが、金属のぶつかる音が響いたかと思うと、はじけ飛ばされ尻餅をついていた。
「死ねっ」
刀を逆手に持ち替え、上から突く。
身をかわし、刃が首をかすめた。
地面へ突き刺さった刀を引き抜き、再び振り上げようとした瞬間、悠紀夫が刀を振り回す。由井は自らの脛に当たるのを見越して飛び退いた。
起き上がろうとしたとき、由井が再び上段から振りかぶってきた。悠紀夫は刀を上にして構える。
しかしそれは陽動だ。由井は太刀を倒し、横薙ぎした。
無防備になった悠紀夫の横腹に向かって。
その時、亜美が背後から体当たりしてきた。バランスを崩した由井は多々良を踏み、払いは力を失った。
刃は悠紀夫のシャツと腹の皮膚を切り裂いただけだった。
「邪魔だ」
由井が振り向きざま、亜美に向かって刃を振り下ろした。
「ぎゃあっ」
鋭い叫び声と共に、血しぶきが宙を飛んだ。
亜美が倒れた。
「亜美っ」
しかし亜美は呼びかけにも答えず、大きく目を見開いたまま、仰向けに倒れていた。信じられないくらいの大量の血が傷口から噴き出し、グラウンドを汚していく。
「一緒に死ぬがいい」
由井は亜美の血糊が付着した刃先を悠紀夫に向けた。
「お前……。亜美を切ったな」
「見ればわかる」
由井は悪びれもせず、返り血を浴びた顔に、凄みを帯びた笑みを浮かべた。
めまいがするほどの怒りが噴出し、手先へと伝わっていくのがわかる。
「死ねっ」
由井が上段の構えから踏み出す。
衝動が、悠紀夫を突き動かす。
刃と刃とがかみ合った瞬間、すさまじい光が放たれた。
「何っ」
由井が弾かれるようにのけぞり後退した。手は黒く焼け、煙を放っていた。刀は消えていた。
悠紀夫が持っている刀から、炎が噴き出していた。