第59話 飛び降りる
彼の話によると、数万人に一人、僕みたいに物に宿る霊性が見える人がいるそうなんだ。そういう人は霊性に働きかけ、世界を変える力を持っているという。ただ、誰もがそれに気づくわけではないんだ。僕だって家康公に言われるまで知らなかったしね。
家康公は徳川幕府の再興を僕に託そうとしたんだ。お前なら人格的、能力的にそれが可能だと言うんだ。
でも僕はそれを断った。だって、江戸幕府が倒されたのは体制が古かったんだらね。霊性だって同意しないよ。
「世界というのは自由に変えることは出来ないの」
「すべての存在には霊性が宿り、霊性よって世界は形作られているんだ。草木国土悉皆成仏という考えさ。
だから、霊性の意志は同時に僕個人の意志の意志でもあり、この世に存在するすべての意思でもあるんだ。
「でも、すべてが霊性の意志なら、この世に争い事なんか起こらないはずよ」
「霊性というのはすべてを決める全能の神なんかじゃないんだ。もっと有機的な生命同士の繋がりから生じるものなんだよ。
例えば国としての霊性もあるし、もっと小さな町内、学校、数人の仲間内での霊性もある。それらが繋がったり、時には対立もする。
だから、一部がおかしくなれば、時にゆがみもするし、妙な方向へ行ってしまうこともあるんだ」
「私たちはこの世界を変えることが出来るの」
「わからない。霊性たちが許してくれればさ」
悠紀夫は歩き出した。怖かったが、信じてついていくしかない。
しばらくすると、周囲の空気が熱くなっているのに気づいた。比例していくように辺りが暗くなり始めていく。
周囲がすっかり暗くなってくると、前方が赤く染まっているのがわかった。熱はそこから放射されているようだった。悠紀夫はそこへ向かっているようだった。
熱い。
空気はやけどしそうなほどの熱を帯びはじめていた。一体何があるのだろうか。
悠紀夫が立ち止まって、見下ろした。横に並んでみる。
足下は崖になっており、底で赤く輝くものが大蛇の塊のように蠢いていた。炎よりも重く、溶岩よりも躍動している。やけどしそうなほどの熱が、立ちのぼってくる。
地獄のような光景だった。
「これはなんなの……」
悠紀夫は問いかけに答えず、祈るように両手を合わせ、瞑目していた。
不意に目を開き、亜美と未来を見る。
「ここから飛び降りるんだ」
「そんな……」
一瞬冗談で言っているのかと思い、笑みがこぼれそうになる。しかし、悠紀夫の顔は至ってまじめだし、第一冗談を言えるような状況ではない。
「今を変えるには、一旦すべてを消し去らなければいけない。下の炎はそのためにあるんだ」
もう一度下を見る。赤く光りながら大きくうねり、灼熱を放ち続けている。こんな場所へ飛び込んだら、熱さで気が狂ってしまうかもしれない。
「怖いわ」
思わず悠紀夫の腕を掴んだ。
「でも、行かなければならないんでしょ」未来が覚悟を決めたかのように、厳しい顔で呟く。「どっちにしても、このままじゃ、あたしは生きていけない。行くわ」
止める隙を与えず、未来が飛び降りた。
悲鳴が響いたが、すぐに途絶えた。未来の肉体も、灼熱を放ちながらうねる物の中に消えていった。あまりにあっけなく、言葉も出てこない。
「僕たちも行こう」
悠紀夫の言葉に、ただ頷く。
両手で悠紀夫の手を強く握りしめた。
ジャンプしようと腰を低くするのがわかる。亜美も同じように構えた。
一緒に大地を蹴った。
赤く燃えたぎる物が近づいてくる。思わず悲鳴が漏れた。
耐えがたい熱さが全身を覆い、目の前が真っ白になった。