第53話 世界制覇
「脳髄にネズミを仕込まれた者は、ネズミを通して私の命令に従う。自らの心臓に刃を突き立てろと命令すれば、躊躇なく従うであろう」
「馬鹿な……。俺はただ、元のサッカー選手に戻りたいだけだったんだ」
「お前には球蹴りよりも魅力的な将来が待っているのだぞ。我がネズミは世界中に進出し、喰い尽していくのだ。見るがいい」
神社の境内が消え去り、代わって高層ビルが建ち並ぶ風景が現われた。真新しいビルもあれば、古い尖塔のような物もある。
路上にはアメリカ製の大ぶりな自動車が行き来し、様々な人種の人々早足で歩いて行く。乾いた空気と排ガスの臭い。見覚えがある。ここはニューヨーク、マンハッタンだ。
ビルの影からネズミが一匹出てきた。一人の白人女性が気づき、小さな悲鳴を上げた。程なく新たなネズミが現われて、道路を横切った。
ほんのわずかな時間の間に、ネズミは加速度的に増えていった。路上に数百匹のネズミが溢れ、誰もが意識せざるを得なくなった。
ネズミはまだ増えていく。やがて人々にたかりはじめていく。ある物は悪態をつき、ある物は悲鳴を上げながらネズミを振り払うが、足を伝い、後からどんどん這い上ってくる。
銃で発砲する者もいるが、怯むネズミはいない。逆に銃を持つ手を食いちぎられ、悲鳴を上げる。
街中が阿鼻叫喚に包まれていく。
路上の自動車も、既にネズミの山となっていた。ビルにもネズミは食いつく。次々と、ビルが音を立てて倒壊していく。
タイムズスクエアの掲示板に由井の笑い顔が映し出され、
――OBEY ME――
テロップが映し出される。
再び風景が変わった。緩やかな丘陵の頂に立っていた。見渡す限り、緑色の熱帯雨林が広がっている。雨がりなのか。空気は湿り気を帯び、谷の底には霧が立ちこめている。
うるさいほどに響いていた獣の鳴き声が不意に止む。足下からわずかな振動が感じられたすぐ後、正面の丘に生える木々が倒れはじめた。最初は見えなかったが、倒壊が進むに連れ、灰色になった地肌が見えてくる。
灰色に見えるのは、すべてネズミだ。
鳥が一斉に森から空へ飛び出し、巨大な群れとなって逃げ出していく。遅れて猿や蛇、昆虫が走り去っていく。
床に泥水をぶちまけたように、ネズミの群れは急速に広がり、緑を破壊していく。ほんの数分のうちに、視界はネズミで覆い尽くされてしまった。
キイキイ、キイキイ、ネズミの鳴き声が、至る所から狂ったように聞こえてくる。
砂漠の中にぽつんと存在する街が見えた。そこへ、一台の古ぼけたセダンが幹線道路からやってくる。
セダンは街の中心地へ来ると、道路の真ん中で停車する。後からきた車がけたたましいクラクションを鳴らし、警告するがセダンは動く気配もない。運転手が車から出てきた。太った中年の白人男で、顔に苛立ちを浮かべている。運転手はセダンへ近づく。
「おい、邪魔だ早く車を動かせ」
スモークか張られた窓の奥からはなんの反応もない。
「何とか言えよ」
男がドアを開けた。
その瞬間、何かが車内からこぼれ落ち、道路へ広がった。一瞬困惑の表情を浮かべるが、すぐに理解したのか恐怖で顔を歪め、飛びすさる。
キイキイ、キイキイ。
ネズミだ。
車内には人がいなかった。代わりに大量のネズミがひしめき合っている。
ネズミが車内からあふれ出していく。男は慌てて逃げ出そうとしたが、既に多くのネズミが足を伝って上半身に向かっていた。
「くそっ、よせよ」
追い払う余裕もなく、男はあっという間にネズミで覆われてしまった。ネズミの間から血が噴き出し、痙攣を起こしながら倒れた。
もう一台の車がやってる。今度は大型のトレーラーだ。荷台の扉が開き、大量のネズミがあふれ出していく。
たちまち、街全体を覆い尽くしていった。
「全世界で同様の事態が起きている。すべては私の僕である、ネズミどもが引き起こしているのだ」
「そんな馬鹿な……」
「すべては現実に起きている出来事だ」
「仮に本当だとしても、こんな事をして何になる。世界を滅ぼす気か」
「すべてを滅ぼすわけではない。ただ、人口七十三億人は多すぎる。大半は消えてもらわねばならない。そう……、一億人もいれば充分だろう。今は選別作業の最中なのだ」
「七十億以上の人々を殺すなんて、正気の沙汰じゃないよ」
「なんとでも言うがいい。所詮現実なんぞ、いくらでも変更が出来るのだ。不具合があれば変えればいいだけの話だ。
必要なのは世界を変え、理解する意志なのだ。私が人類の大半を消し去るのは、すべてを把握出来ないからだ。世界を形作るには、すべてを理解し把握しなければならない」
「馬鹿な……。俺は認めないぞ」
「ふふふ。めんどくさい奴だな。その性格、変えてやろうか」
由井が無造作に玉山の肩を掴む。
「ああっ……」
全身へ電流が走ったように痺れ、痙攣を起こす。逃げられない、脳がシェイクされるように思えてくる。意識が飛んでいく。
気がついた時、玉砂利の上に倒れていた。慎重に、確かめるようにして体を起こした。力も入るし痛みもない。
「気分はどうだ」
「はい、何の問題もありません」
見下ろす由井に笑顔を浮かべて答えた。
「玉山よ。全世界で我がネズミが人々を襲い、選別している。これをどう思うか」
「当然のことです。人類の数は多すぎます。ある程度間引くことは必要かと」
玉山はひやりとした笑みを浮かべた。
「その通りだ。わかっておるではないか」
「私は思い違いをしておりました。すべては由井様を中心にして世界が回っているのです。由井様がおっしゃることがすべてなのであります」
「その通りだ。ここで儂が予測しておこう。儂が世界を制覇した後、お前は世界に名を残すサッカープレーヤーとなり、深く民衆の心に刻み込まれるであろう」
「本当でございますか」
「ああ。ただし、すべてを為にはこれからが大変だ。お前にも充分働いてもらわねばならない」
「わかっております。何なりとお申し付けください」
由井は声を上げて笑った。